行程・コース
天候
晴れ/快晴/快晴
登山口へのアクセス
マイカー
この登山記録の行程
国体口(8:10)巽沢山(10:10)家向山(11:50)窓明山(14:25)P1775幕営(14:55/4:25)坪入山(5:15)鞍部(1475m/6:55)高幽山(8:15)梵天岳(9:40)丸山岳(11:40~12:05)梵天岳(13:40)高幽山(15:05)テント(19:10/7:20)窓明山(8:00)家向山(9:45~1025)巽沢山(11:20)登山口(12:25)
高低図
登山記録
行動記録・感想・メモ
小豆温泉手前の保太橋付近に車を停め、男女2人組の後を追って出発する。ザックは20㎏にも満たないが、1年振りのテント山行で、体力にあまり自信が持てない。
踏跡様のはっきりしない道から尾根へ上がって五葉松の落葉が埋める道を急登する。雪は無く、「ズボン下は脱ぐべきだったか」等と言いながらP1,009を越えると雪が現れ、雪原の幼木を踏んで巽沢三角点に出る。しばらくすると全面の雪となり、陽射しで緩んだ足跡を追って高度を上げ、家向山標高点へ行った間に先発の2人とトップを入れ換わる。
鞍部へ下り、窓明山への長い登りに取り掛かる。下部は幼木が頭を出したブナ林で、中間部のブッシュの裾を巻いて高度を上げ、純白の上部斜面を直上する。この頃には雪は完全に腐って靴が30~40㎝も潜って息が切れる。
予想より1時間ほど遅れて窓明山頂に立ち、待望の丸山岳を視野に捉えて気力を回復するが、坪入山へ向かって下降すると徳永君の足が攣って動けなくなる。記録では丸山岳往復には12時間以上を要するのが確実なので、最低でも坪入山まで進んでテントを張る計画でいたのだが、自分も先週の毛猛山の疲れが残っており、「無理は止そう」とP1,775の木陰の雪面を均してテントを張る。
快適な夜を過ごし、3時過ぎに起きる。外に出したコッヘルの水はドーナツ状に凍っており、「雪は締まっているけど、冷え込みが厳しくなかったから緩むのも早そうだ」と当てが外れる。即席ソーメン(長崎土産)の美味しい朝食を取り、水3.5ℓを持って出発する。
P1,775西尾根北面の樹林との境界を歩いて鞍部へ下り、坪入山頂に登って樹間を真西へ向かうと急斜面の上に出て鞍部のスノーリッジが見下ろされる。アイゼンを利かせて下降し、慎重にトラバースしてP1,754へ登って一息入れる。
高幽山が純白の絹のような山肌を左右に広げて大きく、「好い山だなあ」と見入る。その奥には梵天岳を経て丸山岳まで続く長い雪稜が姿を見せている。往復に12時間以上掛かる程長いとは見えないが、「何時間掛かるだろうか? 何れにしても、丸山岳に12時前に着かないと話にならない」と計算し、最低鞍部への下降を始める。
P1,712と標高1,600m付近の僅かな藪の外は雪上を歩いて1,495m鞍部にスムーズに下降し、P1,583(単独の計画ではここがテント場)へ登り返して最低鞍部を通過し、高幽山への登りに転じる。
P1,692に立って遅れ気味の徳永を待っていると、男女2人組の男性が追い付いて来る。荒い息で現れた徳永は「この調子だと丸山まで行けそうにないから、小川先に行ってよ。俺は高幽山辺りで引き返すよ」と言う。「まだ時間的には大丈夫だから、もう少し行って見ない?」「梵天まで行ったら、丸山まで行きたくなったりして‥‥‥。共倒れになるから行ってよ!」「判った。悪いけど、行って来るよ」と1人でトレースを付ける。
気温が上がって汗が滴り落ち、雪も急速に緩んで靴が潜るようになる。目出帽を手拭に、フリースの手袋を薄い毛に替え、高幽山頂に水1ℓ強とピッケルやミトン他をデポして少し身軽になり、梵天岳に登って丸山岳を目前に眺め、「近くなった。11時には着けそうだ」と元気を出す。
直ぐ先のp1,760の北斜面を巻き、50m程下って間違いに気付いてガックリしながら登り返してP1,723へ向かう。途中の藪に腰を下ろして一本立ている間に2人が追い越して行き、P1,697まで男性がトレースを付けてくれ、少し楽をする。
再び先頭に立って1,655m鞍部から尾根の右斜面を登って行くと、山頂間近のp1,780で男性がぴったりと後方に付く。p1,800は純白の鏡餅の様なピークだが、その先の雪庇崩れを伴ったのが3連ピークの最奥に位置する丸山岳山頂だ。
2人で山頂を踏み、握手を交わす。何とか12時前に着いて気持ちに少し余裕ができ、無風快晴の山頂で360度の展望を楽しむ。年齢を聞かれて答えると「4つ違いですか。元気ですね」と持ち上げるので、「執念です!」と言って2人して笑う。女性も12時前に着き、「やったわ!」と満足げだ。
山頂に別れを告げて1,655m鞍部へ下ってP1,697へ登り、再度1,655m鞍部からP1,723へ登ってアイゼンを回収する。崩落寸前の雪塊を渡って熊の足跡の残る小藪の斜面をp1,760へ登り、梵天岳最高点まで歩いて一息入れる。女性の足が遅くなったようで、2人は徐々に遅れている。
急斜面をグリセードで降りて往路のトレースに戻り、一気に1,565m鞍部まで下る(14:00)。しかし高幽山への180mの登り返しの足は遅く、「気力との勝負だ」と疲れた足を機械的に前へ出す事を繰返す。
高幽山頂に戻ってデポを回収し、「下りに1時間、登り返し2時間として、スノーリッジは暗くなる前に通過できそうだ」と計算して一安心するものの、p1,760への長い登りを眺めて溜息を吐く。
高幽山からは徳永のアイゼンの跡が付いており、「「高幽山に登れれば満足だよ」と言っていたけど、良かった」と気持ちが軽くなる。1,475m鞍部から「余計なピークめ!」とP1,583へ登って振り返るとP1,692と高幽山の雪庇が印象的に見上げられ、「やっぱり春山は素晴らしい!」と立止まって息を継ぎながら眺め入る。
1,495m鞍部からの登りは徳永のトレースを辿る。2~3時間しか経っていないと思われるのだがトレースは午後の陽射しで緩んで靴が潜り、期待に反して楽にならない。「兎に角、無事にテントに戻らなければ丸山岳に登ったとは言えない」と自らを鼓舞して歩く。この頃には、強い陽射しと反射光に晒された顔面の皮膚が張って、ピリピリと痛く感じる。
p1,760の左側を巻いてP1,754に辿り着き、アイゼンを着け右手にピッケルを持ってスノーリッジへと下る。ここの雪も腐っており、深く大きいアイゼンの跡が規則正しく続いて坪入山南東尾根目指してトラバースしている。ブッシュが出た付近でトレースを見失うが、しばらく歩いて下から上がってくるトレースに気付く。
やがて南東尾根へ出て一息吐き、2人組のテントの先で鞍部へ達し(18:20)、「ケロヨーン」と徳永にコールして最後の登りに取り掛かる。気温が下がって雪が締まりほとんど潜らなくなるが、170mの登りは堪えて暗くなるのと比例するかのように足が重くなる。徳永が幾度もコールするのが聞こえ、大声で返しながら登って行く。
山頂直下の樹林で木の枝周りの空洞を踏み抜いたりして「限界に近い」と思う程に消耗して時間を喰い、ヘッドランプの光に迎えられて針葉樹林から雪原へ出ると、「何度呼んでも返事が無いから、ツェルトを持って出掛けるところだよ」と言う。返事が全く聞こえなかったのは風向きの所為のようだ。
テントの中に納まって落着き、ゆっくりと炊事をする。自分は胃がムカついて食欲が無く、スープのみを飲むが、思い直してコーヒーを作ってパンを流し込む。時間の経過につれて元気が戻ってくるようで、「飲んでも大丈夫みたいだよ」と徳永に催促して緊急袋からウィスキーを取り出し、お湯割りを作って乾杯し、とりとめもない話をして過ごし、22時過ぎに寝る。
明るくなってから目を覚まし、寝袋の中で1時間ばかりの間話を楽しんでから起き、朝食を取ってテントを畳む。
崩落し掛かった雪塊から窓明山へ登って丸山岳にお別れし、東尾根を下る。3日目も快晴で陽射しが強く既に雪は緩み加減で、1,436m鞍部へ下って水が足りないのではないかと心配しながら一本立て、家向山へ登り返して空身で標高点を往復する。この頃、窓明山の雪原を下降する5人を目撃する。赤布の目印から南東尾根の急斜面に入って下り、登山口へ下山する。
車は8台に増えており、窓明温泉で蕎麦を食べて帰途に就く(疲労と膝を思って温泉は割愛する)頃に4人が下山してくる。伊南の酒屋で会津の地酒を手に入れ、西那須野の牧場で八重桜を眺めながらソフトクリームに舌鼓を打って寛ぎ、19時前に帰宅する。
