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京都府で唯一の村「山城の軽井沢」童仙房

童仙房高原(南山城村)( 東海・北陸・近畿)

パーティ: 1人 (マローズ さん )

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行程・コース

天候

晴れのち曇り

登山口へのアクセス

電車
その他: JR関西本線笠置駅下車

この登山記録の行程

笠置駅(30分ほど)下有市(1時間半ほど)童仙房三番(20分ほど)野殿・童仙房小学校(30分ほど)童仙房六番(1時間ほど)関西本線大河原駅

コース

総距離
約13.8km
累積標高差
上り約594m
下り約573m

高低図

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登山記録

行動記録・感想・メモ

明治初年、京都府は維新で失職した武士のために、藩政期は「堂千坊」と呼ばれていた、標高450m前後の高原地帯「童仙房」に田畑を開墾した。しかし当該士族は政府から秩禄公債を支給されたことから、農業を行う者は殆どいなかった。そこで府は一般の入植者を何度か募り、合計約500人が入植した。

しかし明治11年、各行政機関が木津町に移り、一旦寂れる。が、終戦後、府では童仙房の開墾地域を広げ、新たに入植者を募り、電気も通して文化的暮らしを行えるようにした。
昭和中期以降、「山城の軽井沢・童仙房高原」とも呼称されたが、特に行楽施設がある訳ではなく、茶畑や水田が広がる、のどかな高原山村である。尚、童仙房がある南山城村は京都府で唯一の村となっている。

童仙房高原は有名な奈良の倶留尊高原や三重の青山高原のように、眺望が優れた縦走尾根道がある訳ではない。当コースの約8割は車道である。但し、高原を東西に走る道路は東海自然歩道に指定されており、当コースの7割以上は、南山城村に隣接する笠置町が指定した「横川ハイキング・コース」を辿る。当時、コースの道路は未舗装区間がかなりあり、道路に沿う横川は、淵になっている箇所や激流箇所、泉のようになっている箇所もあり、見ていて飽きることはない。
尚、当時のコース図等は廃棄しているため、復路の半ばほどの箇所が、実際とは若干異なるかも知れない。

[コース]
笠置駅を出ると東に歩いて行くが、名勝・笠置山の麓ということもあり、全国的にはあまり有名ではないものの、観光地の雰囲気がある。駅近くの観光案内所で弁当にするおむすびを買った。
白砂川を渡り、南北に走る道路に突き当たると北に折れ、京都屈指の大河・木津川を笠置橋で渡り、国道163号に突き当たると東に折れる。

笠置トンネル手前で北の狭い道路に折れ、下有市の横川に架かる橋を渡ると左折。
集落を過ぎ、横川の最初の大きな堰堤を見送ると、横川の水量は極端に少なくなる。
その後も砂防ダムを過ぎるたび、横川の流れは表情を変えるが、砂の川原を緩やかに蛇行していたと思えば、川床がごつごつした岩盤になったり、滑らかな岩肌になったりし、激流や優しい流れが交互に現れる。道路も未舗装になり、ハイキングに相応しい道になる。

平成2年発行の地形図での林道の終点箇所よりまだ先に、林道が延長されていたかも知れない。上部では横川が渓谷状になっており、景観が良い。
444m独標点(分岐)辺りから北は開けた谷間になり、水田が広がっている。この道路を上がって行った先のT字路の東西、童仙房高原の「童仙房三番」を走る道が東海自然歩道に指定されている。「三番」は府による三回目の募集で入植した地域という意味で、地形図「笠置山」を見る限りでは、八番まである。

T字路の北西方向にある三ケ岳(618m)の登山道を付近の住民に尋ねたが、今一つ道順が分からなかった。当時はまだ無名峰やマイナー山を登るための読図力が備わっておらず、また、展望のない山やピークハントにもあまり興味がなかったため、すぐ道を探すのを諦め、東海自然歩道を東進して行った。

三番の集落を過ぎるとすぐ四番の集落だが、当時のガイドブックを見ると、四番の住宅群東寄り北側に、昭和57年開業の農家民宿・童仙房山荘が記載されている。松茸料理やボタン鍋が提供される旨の記述があるが、現在のネット地図を見ると、その位置よりやや西方の道路の南側に記載されている。電話番号は同じなのだが、ガイドブックの記載が間違っていたのか、移転したのかは定かでない。山荘のホームページを見ると、合宿も受けつけているほど、規模の大きい民宿のようである。

東進する東海自然歩道が南東に向きを変えると、道路の北側に泥湮寺(ないおんじ)が現れる。これは明治初期の開拓事業時、入植者を慰めるために建立された本願寺の布教所。
道々には茶畑が広がり、眺望も開けている。この見下ろす景色から、この地が高原であることが実感できる。
道標が立つ十字路に到ると遠回りになるが、道標の指し示す通り、北東に折れる。ここからの地形図の破線道が歩道だったか、車道だったのかは記憶が定かではない。
三国越林道に出ると道標に従い、南に折れる。東側にある野殿童仙房小学校は現在、廃校になり、体育館は有料で利用できるようになっている。申込みは童仙房山荘へ。
この辺りは「五番」だが、民家は殆どない。

小学校南の三叉路で東海自然歩道と分かれ、そのまま南下し、その南方の三叉路で再び横川ハイキング・コースに合流した後、495m独標点北東の三叉路でまた横川コースと分かれ、南東の狭い道路に入る。この道も谷間の水田が広がるルート。
「七番」の南端辺りの三叉路でまた南東に折れる。ここから山城谷川までの道は地形図に記載されておらず、当時のコース図も廃棄しているので、明確には思い出せないが、地形図の破線が直角に北東に曲がる地点から、そのまま直進して南東に進み、526mピークと510mピークとの間の谷を南に下ったものと思われる。

山城谷川沿いの林道に出た所で再度、横川ハイキング・コースに合流し、河口の北大河原集落へ出て、国道163号を大河原駅へと向かう。
余談だが、この前年の9月にもこの駅に降り立った。その時のハイキングコースはこのコースとは比べものにならないほど、素晴らしく、そのため、笠置町が京都で一番好きなまちになった。そのコースは今年の9月にでも投稿したい。

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