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花の「淡路の天橋立」は幕末と明治の要塞島

成山(洲本市成ケ島)( 東海・北陸・近畿)

パーティ: 1人 (マローズ さん )

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行程・コース

天候

晴れ

登山口へのアクセス

その他
その他: 由良港からの定期船

この登山記録の行程

成ケ島船着場9:13・・・成山第一砲台観測所跡9:38・・・毘沙門堂10:19・・・高崎台場跡11:03・・・高崎砲台南部施設跡11:31~11:46・・・船着場12:40
※記録は取っていないので、コースやタイムは不正確。タイムには休止時間や遺跡見学時間も含む。

コース

総距離
約6.0km
累積標高差
上り約100m
下り約100m

高低図

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登山記録

行動記録・感想・メモ

淡路島の東、洲本市由良港の目と鼻の先に「淡路橋立」と呼ばれる、全長約3kmの細長い無人島・成ケ島が浮かんでいる。この島の細長さは本家の天橋立を上回り、遠目に見るとまるで糸のように細い。が、元々は本土の淡路島とは陸続きで、北部の成山は由良四丁目、南部の高崎は生石地区と繋がり、由良湾は潟湖だった。藩政時代中期から後期にかけて開削されたが、当時では類を見ない土木工事だった。

島は藩政期から明治期、紀淡海峡の海防の一翼を担っていた。まず、慶長18年(1613)、淡路国を領していた姫路城主・池田輝政の三男・忠雄(ただかつ)が成山(52m)に成山城(由良城)を築城。その二年後には忠雄に変わって徳島藩主・蜂須賀氏が淡路国を加封されたので城代を置いた。しかし地の利が悪く、寛永12年(1635)に洲本に移り、廃城となった。

が、幕末、外国船の脅威が増してくると、島の半ばの六本松に六本松台場、南部の高崎に高崎台場が築造された。後者の台場は規模が大きく、成山城の城壁の石が石垣に転用され、その高さは11(北側)~18m(南側)に及ぶ。
明治中期になるとロシア艦隊の脅威が高まり、紀淡海峡防備のため、明治22~38年にかけて海峡の西と東、淡路島と成ケ島、友ケ島、そして和歌山本土側に陸軍由良要塞の各砲台(全25ヶ所)が築造された。
太平洋戦争時にも砲台要員はいたので、成ケ島等への一般人の立入は戦後になってからとなる。

要塞の各砲台の内、成ケ島の砲台が最も荒廃が著しく、国民宿舎(昭和61年に廃止)その他の観光施設建設時には、成山第一砲台施設が破壊された。今日では成山第二砲台と高崎砲台施設の一部が残るが、進駐軍に爆破されたものも多く、残存・保存状態は極めて悪い。最も見応えのあるものは、徳島藩の高崎台場の石垣である。

しかし今日、成ケ島の魅力は他にある。島にはハマボウの群落を始め、約300種の海浜・海岸植物、約50種の広葉樹が自生し、アサリやサクラガイ等約500種の貝類が生息、更に初夏にはアカウミガメの産卵、アカテガニの誕生も見られるのである。故に島に渡る者は潮干狩り客が多い。但し、当方が訪ねた’08年は貝毒が発生していたため、潮干狩り目的の渡船への乗船は禁止されていた。
これらの生態的特徴から、国民宿舎廃止後、一時寂れていた島は再び注目を集めるようになり、休業していた定期船も平成9年に復活したのである。

[コース]
成ケ島は定期船で僅か3分の距離にある。なぜ架橋しないのか疑問だが、それは兵庫版レッドデータブックに記載されている植物や貝、カニ類が多いからだろう。
事前電話では乗船場に駐車スペースがあるとのことだったが、特に駐車場は整備されておらず、堤防内側の適当な箇所に駐車した。定期船は意外にも1時間に1本位の便があったと思う。

乗船者が私だけの渡船はあっという間に成ケ島に着く。船着場から上陸して東に歩いて行くと小屋があり、島の歴史や植物、水中生物に関するパネルや遊歩道のコースマップが掲示されているため、それを確認し、まずは島の最高峰・成山ではなく、山の北側の成山第二砲台跡を目指すことにした。

第二砲台は明治23年8月に起工し、24年9月に竣工している。位置は成山山頂北にある成山大明神の北西にあたる。北向きの28センチ榴弾砲二門、西の淡路島本島向きの12センチ・カノン砲二門を据えていた。前者の弾道は放物線を描く曲射砲で、後者は平射砲である。

砲台跡に到るルートの記憶もあまりないが、船着場桟橋側に引き返した後、島の西側の道路をやや北上し、大阪女子大学合宿所手前の三叉路を右折、成山大明神西の右急カーブから砲台跡へ入ったものと思われる。高崎と比べ、この成山側の砲台の残存状況は比較的良く、各砲床も明確に分かる。
カーブの北側に28センチ榴弾砲、北西の尾根に12センチ・カノン砲を設置していた。砲座以外にも円形の地はあるが、中心部に長辺70cmほどの長方形の石板が倒れている地が砲床であろうと思われる。石積み以外に円形に積まれた赤煉瓦壁もある。
石段を上った先に、発射する砲弾の着弾地や弾道の軌道修正を指示する観測所があったはずだが、それも殆ど記憶が薄れている。

大明神の南東が成山山頂だが、ピークハントが目的ではなかったので、特に山頂部の記憶はない。その先の三叉路から南の広大な芝生広場が国民宿舎跡で成山第一砲台のあった所だが、遺構の大半は国民宿舎建設時、破壊されている。ここに21センチ・カノン砲を六門、据えていた。
広場南寄りの地面をよく観察すれば、砲座を囲んでいた円形の赤煉瓦壁の下部が地表に顔を出していることが分かる。幅70cm、高さは30cmあるようだが、地面に埋まっているため、雑草が茂ると確認し辛い。

その南、展望所上にはコンクリートに囲まれた円形の竪穴があるが、これは第一砲台の観測所跡。見張所も兼ねていた。
展望所(テラス型)からの成ケ島と紀淡海峡の展望は絶景で、「淡路橋立」たる所以を実感できる。この景色は本家の天橋立を凌駕するのではないかとさえ思える。高崎にかけての島の形状はまるでそうめんか糸のように細長い。「奇跡の景観」と言っても過言ではないだろう。
観測所跡の南西の尾根は南東方向に向けた15センチ・カノン砲二門があった地だが、遺構はかなり崩れていたと思う。

パネル展示小屋近くに下りて来ると、北東のキャンプ場広場へと進む。この地にはハマボウフウ等の白や黄色の花の群落がある。「成ケ島花畑」という名称を付けてもいいくらいだが、ここはハマボウ(開花期は6月)群落地でもある。
島の幅が極端に狭まる手前には塩沼湿地帯があり、ハママツナ、ハマサジ、アイアシ等の海浜植物が自生している。

一旦狭まった島の幅がやや広がろうとする地点を六本松と言い、島が陸続きだった時代、船着場があった所で、名称から考えると、かつて六本の大木の松があったことが想像される。ここに幕末、オランダ式台場が築造されていた。資料が散逸しているため、正確には思い出せないが、台場石垣は当初、Vの字型をしていたと思う。それが度重なる高波や津波等で崩れ、修復される際、現在のような一直線の低い石積みになった。
台場上の土塁も一部残存している。

土塁と地形は一体化しているように見えるが、この樹林が少しあり、やや幅が広がった部分を抜けた先、高崎に到るまでが、展望所等から見えていた、糸のように細い箇所。津波が来れば一遍に破壊されて切れる位、か細い。
高崎の入口にあるのが、徳島藩のフランス式・高崎砲台跡。台場石垣はまさしく城壁のような曲線を描き、そそり立っている。創築は安政元年(1854)11月で、幕府からの命により、徳島藩の西洋砲術指導を行っていた勝浦安右衛門が急造した。同5年以降、拡張工事がなされ、延べ27万人以上の人夫を動員、全てが完成するのは文久元年(1861)12月になる。石垣の城壁転用石は六千余個に及び、各種刻印があるという。

台場跡を過ぎると、意外にも竹藪を切り開いた道になるが、左手の藪の奥を注視していると、進駐軍に爆破された由良要塞高崎砲台の砲座壁や地下砲側庫等が次々と現れる。コンクリートの水槽は武器ではないので、あまり破壊はされていない。あまりにも破壊や荒廃が激しいため、明確に同定できる砲床は少ない。
北側に24センチ・カノン砲が縦に並んで六門、燈台に近い南側に同型の砲が二門、南西方向に設置されていた。

燈台の手前、短い石段を上がった先が観測所跡であろうと思われるが、周辺は灌木の藪に覆われている。
南端のコンクリートの縁からの展望は良く、対岸の陸軍今川射場跡の海上自衛隊第一港湾哨戒隊展開地や、その背後の生石山第一から第五砲台跡を擁す生石山山塊も見渡せる。

由良港の渡船場に戻ってからは、車で前述の第五砲台跡へ移動し、尾根を辿って途中、廃墟となった海上自衛隊紀伊警備所支所の屋上へ上がって、紀淡海峡を愛でながら弁当を食べた後、生石展望台が建つ第一砲台跡、そして堡塁砲台跡と見て回った。それらの砲台の大砲総数は32門に及ぶ。ただ、生石山の尾根の距離が短いため、登山記録としては投稿できない。

余談だが、由良要塞の各砲台等は’09年に出版を予定していた戦跡ガイド本の第二弾に掲載する予定だった。しかし’08年秋、前述の成山城代で後に洲本城代となる稲田氏家臣の一人の子孫の屋敷(徳島県美馬市)に、坂本龍馬の驚くべき遺物があるという情報を得てから、龍馬の無名伝承地と歩いた街道調査に没頭することになり、戦跡本の第二弾は永久に出版されないことになってしまった。それ故、資料も散逸している。

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