行程・コース
この登山記録の行程
筑波山神社入口バス停(08:44)・・・酒迎場(08:54)・・・大洗神社(09:15)・・・つつじヶ丘(09:47)・・・弁慶茶屋跡(10:19)・・・女体山(10:45)・・・御幸ヶ原(11:10)[休憩 18分]・・・男体山(11:46)・・・薬王院コース分岐(12:05)・・・御幸ヶ原(12:18)・・・男女川源流の湧水(12:35)・・・中茶屋跡(12:55)・・・筑波山神社(13:27)・・・筑波山神社入口バス停(13:34)
高低図
標準タイム比較グラフ
登山記録
行動記録・感想・メモ
いつも1月は寒かったり、雪が心配で、よく知っている高尾山あたりばかりだったので、今年は筑波山に行ってきた。定点カメラで雪がないことを確認した。
筑波山神社入口バス停で降りて、観光案内所でトイレを済ませて、神社へ。神社の右を抜けて千寺川センジュガワを渡って人家を縫って鳥居のある山道に入る。白雲橋ルートを登り、迎場との分岐へ。その地図に白蛇弁天とあり、巳年なので途中まで白雲橋コースを進む。白蛇を見かけると財をなすとか。まあそうそうみれるものではないよなぁ。分岐まで戻り、迎場コースを登る。杉林や照葉樹林を抜け、つつじヶ丘へ着く直前の草むらでガサゴソ。ガビチョウだった。
つつじヶ丘からは尾根になるので見晴らしがよく、標高が上がるにしたがって関東平野の広さを感じられる。霞ヶ浦もよく見える。木々も落葉広葉樹になり視界が良い。
断続的にあらわれる岩場が特徴。巨岩も多い。あとで巨岩の説明を少し書いておく。登りごたえがある。
途中で少し平坦な道もある。エナガの群れがいた。ツルウメモドキの萼片がよく落ちていたが鳥たちは何を啄んでいるのだろう。
女体山山頂 岩でできた頂上で見晴らしは最高。関東平野が一望できる。南に少し雲があって都心方面はややぼやけていたが十分な眺望である。
神社脇から降りてセキレイ茶屋の辺りから御幸ヶ原まで、望遠レンズの愛鳥家たちがカメラを構えていた。何を狙っているのだろう。
御幸ヶ原は広々としていて休むにはよい。バーナー専用スパースもある。北の眺望がよく、北関東の雪を冠した山々が大変美しい。望遠鏡も設えてある。ここで腹ごしらえ。どんどん冷えてくる。大学生らしき一団はトレーナー姿で、何人かは寒そうだった。膝の疲れをとるためしっかり休憩。
男体山は女体山より低く、岩の道は登りにくいがすぐに頂上に着く。西寄りがよく開けていて気持ちが良い。御社の裏から下山して自然探索路へ。何の変哲もない道と思っていたがときどき展望スポットがある。どんどん下りていくので帰りを心配しているとヒヨドリより少し大きい黒っぽい鳥。お腹はやや淡い色になっていて木の裏に隠れじっくり見れなかったが黒ツグミかな?
途中でも薄い丸石に文字を書き込んで置いてあるところがあり、山には無さそうなのでどこから持ってきたのだろうと思っていた。大石重ねと言って小石を持って登山すれば疲れず登れるし、罪やあやまちも消えると言われている、という説明書きがあった。下山路への分岐を折り返して御幸ヶ原へ戻る。
御幸ヶ原コースで下山。幅の狭い階段が続いておりずらい。岩の多いところもあり足膝に負担が多い。何ヶ所か東屋、小屋があり休むこともできる。神社まで降りて、筑波山神社バス停まで降りて終了。バス待ち30分ほどだったが、観光案内所のデッキで日当たりがよく、ゆっくりお茶して過ごせた。
ところで、登り始めの植生から高尾山とかと同じ土壌かと思っていたが、岩が増えていくと花崗岩があることに気づいた。火山?かと思ったが、等粒状で深成岩。黒っぽい閃緑岩もある。観光案内所のパンフレットで火山にならずに地下深くのマグマが固まりその後押し上げられてできた山ということがわかった。
弁慶の七戻り 神々の世界と現世を分つ場所とされてきた石門。振り返ると確かに落ちそうである。
高天原 天上の神々がおわす場所 天照大神が祭られた稲村神社の祠がある
胎内くぐり リュックのままだと通れない
陰陽石 陰 地女月夜静暗など 陽 天男日昼動明など 二つの岩が寄り添うようにたっている
国割り石 集まった神々がこの上に線を引き 統治める地方を割り振った どの線か分からなかった
出船入船 出る船と入ってくる船が並んでいるように見えるらしい。船玉神を祀る
裏面大黒 確かに大黒様の後ろ姿に見える
北斗岩 聳え立って北斗七星のように動かない 月読尊を祀る
屏風岩 巨岩が多くどれが屏風かわからなかった
大仏岩 高さ15m 一番上は頭のように見える
がま石 ガマの油の口上を考えた永井兵助がこの岩の上で考えたとか。江戸時代には雄竜岩と呼ばれていた。おたつ石コースの名の由来
セキレイ石 鶺鴒が神に道を教えたとか。














