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小夜の中山を歩く

金谷宿、間宿菊川、日坂宿( 東海・北陸・近畿)

パーティ: 2人 (MORO さん 、ほか1名 )

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行程・コース

天候

晴れ時々曇り

登山口へのアクセス

その他
その他: 東海道53次踏破の旅の第2回目5日間の5日目。4日前に三島宿から再開し、4日目は藤枝宿に宿泊。当日は藤枝駅~島田駅間でJRを利用し、蓬莱橋・島田宿・大井川川越遺跡を歩いた後、大井川を越えて金谷宿を目指した。

この登山記録の行程

金谷駅裏金谷宿西端(11:33)・・・金谷坂上り口(11:43)・・・すべらず地蔵尊(11:55~11:59)・・・金谷坂下り口(12:04)・・・諏訪原城跡(12:10~12:22)・・・菊川坂下り口(12:23)・・・菊川坂上り口(12:39)・・・間宿菊川(休憩15分)・・・青木坂上り口(13:10)・・・青木坂下り口・久遠寺(13:38~13:55)・・・農事法人 中山茶業組合(14:00~14:16)・・・日乃坂下り口(14:55)・・・日乃坂神社(15:04~15:07)・・・日乃坂上り口(15:09)・・・日坂宿片岡本陣扇屋跡(15:14)

コース

総距離
約6.7km
累積標高差
上り約283m
下り約313m
コースタイム
標準3時間15
自己3時間15
倍率1.00

高低図

標準タイム比較グラフ

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登山記録

行動記録・感想・メモ

金谷駅手前のガードをくぐると風景が一変する。“金谷大橋跡”の解説板や祠が建った少々急な狭い上り坂が、如何にも旧街道の雰囲気である。国道473号線を横断すると「旧東海道石畳入口」の大きな看板が立っている。国道から少し上ると駐車場とCaféがあり、その前が歩行者専用の“金谷坂石畳”の始点になっていて、幅4m程の石畳が綺麗に復元されていた。“金谷坂石畳”の延長は450m程である。周囲が深い木立に囲まれて薄暗く、箱根旧街道にも似て非常に情緒はあるものの、丸い川石が敷き並べられた急登はこの上なく歩き難く、標高差80m程が非常に身体に堪える石畳であった。“金谷坂石畳”の中間付近に“すべらず地蔵尊”が建っている。地蔵尊を示す赤い旗が林立していて、非常に目立っている。旗で目立っているだけではなく、地蔵尊は六角形をした御堂に収められていて、小振りながらも実に美しい造形の御堂であった。沢の水を利用した蛇口をひねって頂くお清めの水には沢山のゴミが混ざっていたが、汗を拭うには丁度良い。休憩用の椅子が配置されていれば、より有難味が増したであろう。金谷坂を上り切った先は、丘陵上のほぼ平坦な長閑な道である。金谷坂上端から400m程歩くと“諏訪原城跡”の道路標示が立っていた。道路脇に駐車場とトイレを備えたビジターセンターが建っている。ビジターセンター屋外のベンチで休憩した後、一寸覗く程度のつもりで扉を開けて入ると、事務所から説明員が出て来て捕まってしまった。訪れる観光客が少ないのであろうか、パンフレットを手渡し、有無を言わせず説明を始めた。武田勝頼と徳川家康との合戦に纏わる城跡で、幾層の曲輪、空堀と砦で形成された山城であったようだ。時間の都合上、今回の旅では行程に入っていなかった。ビジターセンター内部には当時の城のジオラマや、復元された曲輪・空堀や城門の写真と共に、城の歴史、合戦の様子が解説されていた。説明員が納得いく程度まで説明を聞いてセンターを出た後、センター近くの曲輪まで行ってみた。浅い空堀の先が平場になっていて、現在は茶畑に利用されている。入口には石碑が並んで、彼岸花が綺麗に咲いていた。“諏訪原城跡”ビジターセンターの先の県道を渡ると“菊川坂”の上端である。“金谷坂石畳”よりも少し狭い幅3m程の石畳が綺麗に復元されている。周囲に木立が少なく、日差しに晒される急登である。非常に情緒はあるものの、“金谷坂石畳”と同様に丸い川石が敷き並べられた急登なのでこの上なく歩き難く、下りであっても、延長600m、標高差100m弱が非常に身体に堪える石畳であった。“すべらず地蔵尊”参拝のお陰か、転倒しなかったことが幸いである。“菊川坂”を下り終えると“間宿菊川”に入る。日頃愛飲している日本茶の産地であるので新茶の購入を期待していた。“菊川坂”の下端で出会った女性に間宿内で茶が購入できる場所がないか尋ねると、良い返事が返ってこなかった。間宿内、特に平日は無理なようである。400m程の延長の間宿には旧街道の面影は残っておらず、1軒の店も見られなかった。日頃の買物が心配になるような、周囲を丘で囲まれた静かな集落であった。“間宿菊川”の集落の西端の「四郡の辻」から再び西方の丘に向かって坂を上って行く。舗装された歩き易い道路であるが、“小夜の中山”最大の急登と云われる“青木坂”が延々と続く道程である。「小夜の中山の茶畑」としても有名な場所で、道の周囲の斜面に茶畑が広がり、時々振り返りながら見下ろす茶畑が美しく、その眺める時間が良い一服になった。「四郡の辻」から1.2km、標高差150m、30分程で坂の頂上に着いた。“小夜の中山”と呼ばれる金谷宿から日坂宿に至る区間は東海道の三大難所の一つと云われるだけあって、途中のなだらかな丘陵上部や間宿の区間を除いて、金谷坂・菊川坂・青木坂・日乃坂の4つの急登を上り下りする非常に大変な道程である。延々と続いた“青木坂”を上り切ると木立が増えて小さな集落があり、その中に寺が建っている。山内一豊が徳川家康の接待に使用したという逸話が残る“久延寺“である。明るく開放的な境内の山門や本堂は古く、本堂は花頭窓が付いた風格のある外観をしている。本堂の前に明褐色の石が祀られ、「小夜の中山夜泣き石」伝説が分かり易く解説されている。山門脇の御神木の楠の古木も見事である。寺の前には茶屋の跡が残っていて、寺の逸話に合わせて”接待茶屋“という名で呼ばれていたらしい。急登を上り切った休憩地として丁度良い、見晴らしも良い場所である。現在も寺の先に茶屋や休憩所が設けられているが、茶屋は週末のみの営業らしく開いておらず、残念であった。“久延寺“から100m程の道沿いに収穫作業をしている農家があった。間宿菊川で新茶が購入できなかったこともあって、付近で購入できる場所がないか尋ねてみると、その農家が利用している製造工場に連絡し、農家から100m程先に建つ”中山茶業組合“の大きな工場に案内してくれた。最初に事務所で頂いた風味の濃い冷茶が非常に美味しかった。深蒸し煎茶で特に高い評価があり、各種の賞を獲得する日本でトップレベルの農事組合法人であった。手摘みを含めた数種類の製品を購入することができた。人影がほぼ皆無の中での偶々の声掛けが期待以上の結果に化ける、ドラマのような体験であった。”中山茶業組合“の先は丘陵上のほぼ平坦な道が続く。”中山茶業組合“の工場の脇の交差点の隅に立った“佐夜鹿の一里塚跡”の石碑のように、昔は「佐夜鹿」と表記された地域であったようだ。両脇には茶畑が広がり綺麗で長閑である。道端の所々に芭蕉等の歌人の歌碑や広重の絵碑が立っていて、それらを観ながらのんびり歩くのが楽しい。3km程先の九十九折れの急登 「日乃坂」を下ると国道1号線に出て、その先の大きな集落が“日坂宿”である。集落内の家々に「○○屋」の屋号が掲げられていて面白い。集落の中心付近にある広い公園の入口に「日坂宿片岡本陣扇屋跡」の木戸門が復元されていた。街道沿いには旅籠や脇本陣の古い建物も残っていた。宿場南端の「川坂屋」は非常に立派な旧旅籠で、週末には内覧できるようであった。逆川の袂に「下木戸跡」の表示があり、「高札場」が復元されていて、風情ある景観が広がっていた。集落全体で宿場の雰囲気や面影を維持する努力をしていることが窺える旧宿場町であった。

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