• このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 参考になった

アフリカの神宿る白き峰 キリマンジャロ

キリマンジャロ( 海外)

パーティ: 2人 (DAI KAI さん 、ほか1名)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 参考になった

行程・コース

天候

10/3晴れ時々曇り 10/4晴れ 10/5快晴 10/6晴れ後曇り 10/7雪 10/8雨後曇り

登山口へのアクセス

その他
その他: 1日深夜成田空港を発、ドーハを経てキリマンジャロ着は現地時間の2日14時、車で登山口マラングゲートのあるマラング村:ナカラホテルへ車にて2時間。翌3日9時にマラングゲート前駐車場にてガイド・コック・ポーター隊10人と合流、パーミッションを取得して登山開始。

この登山記録の行程

行程の位置関係をわかりやすく説明するため、富士山に例えると・・・
マラングゲート:0合目1847m
ランチポイント(トイレ有):1合目
林道合流地点:2合目
マンダラハット:3合目2709m
ランチポイント(トイレ有):4合目
ホロンボハット:5合目3780m
ゼブラロック:5.5合目4047m
ラストウォーターポイント(トイレ有):6合目4200m
ランチポイント(サドル末端・トイレ有):6.5合目
キボハット:7合目4708m
ハンスメイヤーズケイブ:8合目5240m
ギルマンズポイント:9合目5703m
ウフルピーク:頂上5895m

10/3
9:30マラングゲート~ランチポイント~14:30マンダラハット(休憩30分)~15:30マウンディクレーター~16:00マンダラハット(小屋泊)
10/4
8:00出発~11:50ランチポイント(休憩50分)~14:20ホロンボハット(休憩60分)~周辺散策~16:30ホロンボハット(小屋泊)
10/5(高所順応日)
9:00出発~10:30ゼブラロック(休憩20分)~11:50ホロンボハット(小屋泊)
10/6
8:00出発~11:00ラストウォーターポイント(休憩10分)~12:00ランチポイント(休憩30分)~13:30キボハット(小屋泊)~23:00起床
10/7
0:00出発~4:30ギルマンズポイント~6:00ウフルピーク~8:30キボハット(休憩60分)~11:50ホロンボハット(小屋泊)
10/8
6:00出発~9:30マンダラハット~11:30マラングゲート

コース

総距離
約69.8km
累積標高差
上り約4,568m
下り約4,568m

高低図

GPX ダウンロード KML ダウンロード

登山記録

行動記録・感想・メモ

Pole pole ni mwendo.(ゆっくり歩むものはより世界の深淵を知る)

10月1日
私と妻が成田空港に着くころ、2つ玉低気圧は合体しいよいよ勢力を増し関東に近づいていた。
風雨強まる中、搭乗便は20分早くフライト、難を逃れ、旅は始まった。

10月2日
24時間近いフライトを越えて降り立ったキリマンジャロ空港は砂漠の中、あちこちで砂塵が渦巻き、吸気には砂の匂いが濃く、熱砂の向こうのキリマンジャロには分厚い雲が立ち込めていた。
入国審査に1時間かけるあたりが既にもうポレポレだ。迎えのガイドが私たちの名前を全く別人と間違えていたのも一種のポレポレだろう。
キリマンジャロへは登山口のあるマラングの村まで車で約70キロ、古いトヨタ車(キリマンジャロ周辺ではシェア80%だ)がうなりと黒煙を上げ走る中をランクルで2時間ひた走る。
辿り着いたマラング村は標高1800mの高地、宿泊先は涼しく過ごしやすい高原のナカラホテルだった。

10月3日
早朝けたたましい鶏のコーラスとオウムみたいな鳥が窓をガンガン突くドラムロールで起こされる。5時には教会の鐘の乱れ打ちが始まり、ポレポレ世界の朝は2度寝に不寛容であり、無理に起こしてくることを知った。
ホテルで登山装備を整え、不要な荷物を預けて車で5分の登山口へ出発する。
登山口前の駐車場には私たちの登山隊が集合していた。メインガイドのジュリアス、サブガイドのエイリアス、コックのサイディ、ウェイターのアルファ、そしてポーター6人の10人に、私たちで合計12人の登山隊になる。

ジュリアスは痩躯の不良中年、時間に厳しく私がポレポレ世界で見た最もポレポレでない男。
エイリアスは御年67歳、ガイド歴43年のベテラン、メンバーからの信頼は篤いが、登山中ジュリアスに気遣われていたり、適当なことばかり言ったりと、70歳を前に既に昼行燈。
サイディは行程中の食事のメニューの立案と料理を担当、揚物率を上げたことで一気に食欲低下したことを察するあたり、気遣いのできる素晴らしいコックさんだった。
アルファは24歳らしいが、中学2年生のような性格。日本語に興味を持っていたようなので、行程中日本語を教え、最終日にスワヒリ語-日本語の簡単な本を贈った。

オフィスでパーミッションを申請し、マラングゲートをくぐりスタート。ガイド2人は登山中常に同行し、他のメンバーは先行・または後続して荷物の運搬を行う。
キリマンジャロ国立公園内は環境保護のためペットボトルによる水の持ち込みは禁止されている。
大容量のテルモスでも持って来ていればよかったのだが小型のみ持参と完全に失念していたため(ペットボトルを持ち込むものと思い込んでいた)、ジュリアスが大型のボトルを用意してくれた。(ハイドレーションシステムを持ってきている登山者も見かけたが、聞く話だと砂埃や凍結でまともに使えなくなるとのこと、注意)
登り方は何度も言われる「ポレポレ」。ゆっくり歩くということだ。基本的にガイドのペースに合わせて後ろをついていけば問題ない。
歩くスピードはかなり遅い。踏み込んだ足の膝をゆっくり伸ばしながら送り足側に重心移動を始め、膝を伸ばしきった頃に自然に送り足が着地する、そんな動作を自覚的に行える程度にゆっくりだ。
ただし、彼らは休まない。休みたければ自己申告だ。
登山道を登っていくと、並行していたポーター用の林道(緊急車両通行可)が合流、巨木の原生林も次第に雲霧林へと姿を変え、幹・枝・葉に至るまでコケに覆われていくようになる。
歩くこと4時間、マンダラハットに到着。森の中に開かれた美しいコテージ群だ。
ホロンボハットとも共通することだが、コテージは管理事務所・食事棟・トイレ棟・大グループ棟・小グループ棟・ガイド&ポーター棟&炊事場となっており、一つの集落のようになっている。
私たちの宿泊した小グループ棟は4人部屋で、2段ベッド1つ、平置き寝台2つの構成、寝台には簀子の上にマットが敷いてあり、大き目の枕も置かれている。
夕食時には早いため少し休憩したのちに近所にあるマウンディクレーター(噴火口)へ。途中アビシニアンコロブス、ブルーモンキーの群れや、ハイラックスに遭遇、私たちのキリマンジャロ初日を歓迎してくれた。
マウンディクレーターの外周からは国境線の向こう、ケニアの大草原を眺めることができた。
夕食はフライドポテト・フィッシュフライ・キューカンバースープ(瓜と生姜のスープ)・ニンジンとインゲンの野菜炒め・アボカド。
夜は急激に気温が低下、昼は20度前後あったのに、10度近くまで気温が下がりガスがマンダラハット周囲に立ち込め、やがて雨が降り始めた。
後に気づいたのだが食材の中に利尿作用がある食材が含まれているようで、何度もトイレに起きる羽目になる、雨なのに。

10/4
雨は早朝には上がり、明るくなるころには晴れ間も見えていた。
朝食はお粥、ソーセージ、卵焼き、トマト、ピーマン。
お粥は今後も毎朝食提供される。味付けをしていないので、日本から持参したフリカケ類を毎食使用した。
生野菜はアタルとひどいらしいが、文句言わずに食べる。結局最後まで何ともなかった。
歩き進めマウンディクレーターの分岐を過ぎてしばらく行くと木々の背丈が低くなり始め、次第に灌木帯へ。
灌木の向こうにはマウェンジ峰が姿を現し、振り返れば雲海が地平線の向こうに(眼下に、ではない)広がっている。そんな中異様な光景が眼前に現れた。山火事だ。
一面焼け焦げた山肌、私たちの進む登山道で火の手はその進行を停めていた。昨晩ルート北方のコーヒー山方面から出火し、広大な面積を焼いた後に昨晩の雨で消火されたらしい。
理由は不明らしいが、昨晩は一面煙が立ち込め、消火されなければこの登山も続行が危ういものであったそうだ。世界の登山ではこんな障害も待ち受けていたのか。
延焼を食い止めた広い登山道を歩き続け、ちょうど昼時にランチポイント(4合目と名付けた)に差し掛かり、ランチタイム。
ランチは毎回メニューはほぼ同じで、サンドイッチ・マフィン・フライドチキン・フライドポテト・バナナ・生野菜(ニンジン・瓜・柑橘類他)・マンゴージュース
こんなメニューを小袋に入れて毎朝渡される。
ランチスポットには必ずカラスがいる。日本のカラスやトンビよりも大きく、嘴も凶悪なサイズ、しかも首に月の輪の縁取りまである。しかし彼らは人から直接食料を奪うことはしない。うっかり落とした食料を拾いにくるだけだ。ずっと見られているが食事は安心してすることができる。だが油断禁物、彼らは人がいなければ物を盗む。例を挙げるなら、石鹸。(実害だ)
ランチポイントからしばらく行くと奇妙な形状の大型植物(樹木?)ジャイアントセネシオが現れる。徐々にその数は増え、セネシオの合間に1本の高いアンテナが見えればホロンボハットはすぐそこだ。
ホロンボハットは下山してきた隊も逗留するため登山者やポーターの数はマンダラの比ではない。この日は4人部屋をスウェーデンから来た女学生2人組と相部屋することになった。

休憩した後、高所順応のため周辺散策に出ることにした。
ガイドのエイリアスはセネシオの群落に案内してやると、道なき道を行く。ほとんど藪漕ぎだ。
藪から飛び出しケルン群のある小ピークに辿り着くと、来た道を戻るか?と聞かれたので拒否。
高山病や傷病で動けなくなった登山者を運搬するための荷車で遊んだりしてホロンボまで戻った。
夕食はカボチャスープ・ニンジンとインゲンの野菜炒め・ビーフパスタ・チャパティ・アボガド。どうやらこの国の人はインゲン好きなようだ。
食後外に出ると麓のモシの町が煌々と輝いているのが見える。気温も低下し、5度前後、シュラフはモンベルの#0(厳冬期モデル)を持ち込んでいたが、これで正解。隙間風の吹く山小屋は寒いが、おかげでよく眠れた。
夜にトイレのために外に出ると天の川まで視認できるほどの星空!月はマウェンジの影にあり、地平線間際のオリオン座より上の空は見たことも無い星ばかり、赤道直下の空だ!
しばらくじっとしているとマウェンジの稜線から月が現れる。目を瞑りたくなるほどの明るい月だった。

10/5
この日は高所順応日。
朝起きるとやや倦怠感、高度障害が少し出ているようだ。ダイアモックスの利用は体調をみて決めようと思っていたが、大事を取り、半錠ずつの服用を開始する。スッキリしようと外に出てみると身を切るような寒さ、水たまりは凍結しており、昨晩0度近くまで気温が下がったことを教えてくれる。
普通に生活しているが、ここが富士山頂とほぼ同じ標高だとあらためて実感する。

この日はマウェンジのビューポイント・ゼブラロック(4047m)まで登り体を高度に慣らす。
歩き始めると倦怠感も消え、この登山一番の晴天で気分も弾む。
歩き始めて1時間半、辿り着いたゼブラロックはまさにシマウマ、高さ10mほどの黒い溶岩の岩盤上を融けた石灰岩が流れたのだろうか、見事な白黒の縞模様を作っている。
そしてそこから見えるマウェンジ峰の大きく美しいこと!私はこの峰を日本の剣岳によく似ていると思う。
ゼブラロックを巻くように登り詰めるとマウェンジの反対側に目指すキリマンジャロ本峰、キボの雄大な姿が現れる。
アタックキャンプとなるキボハットから頂上稜線(噴火口外周)まで1600mもの壁が立ち上がっているのが見える。頂上部には氷河も視認できる。
明後日にあの頂点に立つことを妻と確認し合ってホロンボハットへの帰路に着いた。

昼食はフライドポテト・フライドチキン・バナナドーナツ・ナスの天ぷらと揚物尽くし、、、高山病の症状もあったのか夕方気持ち悪くなり口が噴火以下略。
以後夕食から揚物は姿を消した。
夕食はグリーンピースライスにミートソース、キューカンバースープに野菜炒め、私の胃は回復しつつあるようだ。

10/6
未知の領域、4000mの世界へ本格的に踏み入れる。ダイアモックスは1錠まるごと飲み始めた。
灌木帯は次第に植生を細らせ、サドルと呼ばれる高原砂漠となる。
砂埃を警戒していたが、風はほとんどなくバラクラバをするほどではなかった。
朝からキボ峰の上に停滞した雲が次第に厚さを増し、マウェンジを越えた雲塊が迫る。天気が崩れ始めている。
午後に頂上下、最後の山小屋キボハットに入る。キボハットは1部屋に2段ベッド5台の10人部屋が数部屋ある窮屈な石小屋。
早めの食事をとり短い睡眠をとった。
高度5000m近い環境ではなかなか眠れない。妻は平気でよく寝ていたが、私にはなかなか眠りは訪れなかった。
僅かな眠りを得て、深夜11時行動開始。SPO2(血中酸素濃度・低地ならば通常100%近い数値を示す)を計測するとこの高度でも90%、高度順化は完璧だ(直前に富士山で宿泊を伴う高度順化訓練と低酸素室トレーニングを行っていた)。
装備を整えているとアルファがお粥とお湯を用意して待っていてくれた。トイレにと外へ出ると深いガスとともに霰まじりの雨が降っている、気温はこの時点で3度前後、未明にかけてまだまだ気温が下がるので、雨・雪両方の対策が必要になると判断。
アタック装備は下記の通り
ニット帽・バラクラバ・モンベルのストリームジャケット(厳冬期用GTXジャケット)・フリース・ジオライン上下(エクスペディション用)・ファイントラックのスキンメッシュ・マムートのアルトパンツ(雪山用パンツ)・マムートのクライメイトレインパンツ(GTX雨具)・メリノウールの厚手靴下とインナーグローブ・マムートのダウングローブ
ザックにはダウンジャケット、ゴーグル、替えの靴下とインナーグローブ、行動食、水2リットル、救急セットを入れた。
防風性・耐寒性能とともに防水性能も重視して装備を若干変更、迎えに来たガイドとともに小屋の外へ出る。
気温は0度、深夜0時、アタック。

10/7
ガスは濃いが先行・後続する隊が何組かいるのがヘッドライトの光跡でわかる。
私たちは別に早いわけではないが、無理のないスピードで休まず登り続ける。
後続してきた登山者20人&ガイド10人程度のアメリカ隊(勝手に命名)がすごいスピードで追いついてきたので道を開けるが、その後その隊は次々と脱落者を出し始める。
先頭グループがスピードを上げ過ぎ、無理して付いていった者、付いていけなかった者がガイドに支えられながら降ろされていったり、動けなくなりガイドに看病されていた。
その最中もどんどん気温は低下、完全に雪となった後は、一面真っ白になるのにそう時間はかからなかった。風も標高を上げるとともに徐々に強くなり、雪が顔の正面から当たるようになる。
8合目と定めたハンスメイヤーズケイブは頂上までの数少ない休憩ポイント(かつキジ撃ちポイント)、半分程度に数を減らしたアメリカ隊と、追いついてきた5人程度のインド隊(これまた勝手に命名)が大の字に伸びてしまいここで動けなくなる。
軽装備で無理して登ってきた上に、低体温も疲労に拍車をかけているのだろう。
実際に5000mを超え酸素濃度が地上の半分を切ってくると体が熱を作る働きが急激に低下するのがわかる。
お湯を飲もうと、カロリーを摂ろうと、どれだけ運動しても体が暖かくならない。呼吸は意識して行っているので息苦しさは感じていないが、体の冷たさは痛いほど感じることができる。気温は-5度をさらに下回ってきた。
ハンスメイヤーズケイブから出たのは私たちのみ、他の隊はしばらく停滞して脱落者の選別や、残されたガイドが登山ペースごとに隊の分割を試みているようだ。
突如進路上でスッとヘッドライトの光跡が現れた。単独の韓国人女性がガイドに荷物を預け空身となり、おぼつかない足取りながらも懸命に登っている。ガイドの献身的なサポートもあり、彼女は以後私たちのトレースをすぐ後ろでフォローしつづけた。
9合目と定めたギルマンズポイントの直下は急峻な岩場が現れる。ここでガイドのジュリアスがルートをロスト、吹雪でわかならくなってしまったようだ。
岩の表面の雪を払いのけてホールドを作りながら、方向の見当を付けて登路を築くと、やがて登山道と合流しヘッドライトの光輪の中に道標が現れた。
4:30ギルマンズポイント到着。ジュリアスが「君たちが今日最初のギルマンズポント登頂者だ、おめでとう」と言い、エイリアスともに抱きしめてくれる。
ギルマンズポイントは登頂証明書が発行される最も低いピーク。ここから火口外周を歩き、最高標高点のウフルピークを目指す。
火口壁は切れ落ちており、暗闇とガスで底を見渡すことはできない。トレースは雪に覆われて失われているが、岩と岩の間を縫うようにして稜線を登る。
ステラポイント手前で他のルートからウフルピーク目指して登ってくる隊のヘッドライトを捉えた。同時にたった3人に数を減らしたアメリカ隊が追い抜いて行く、後続は稜線上には見えない。稜線上を先行する隊もいる。ハンスメイヤーズピークで妻の体力が尽きかけたが、ジュリアスが荷物を代わり、歩みに気力を取り戻した。
分厚いガスが覆う頂上稜線のはるか後方で日出したのか徐々に周囲が明るくなってくる。衝立のような氷河が影だけの存在となって呼んでいる。
もう着いてくれ、もう着いてくれ、と数々の偽ピークを越えていく、長い稜線だ。白い稜線だ。汗で濡れた足先が凍るようだ、指先は冷たく感覚がない、頬はナイフで切られたように痛い。
妻と励まし合いながら吹雪の稜線を進む。妻の体は「く」の字に曲がっているが、全力で歩みを進めている。もう着いてくれ。
遠くに光の花が見える。あそこが頂上であって欲しい。

6:00 ウフルピーク登頂。

「お前は強い男だ、いいクライマーだ」
ジュリアスが私の肩を叩く。妻も無事に登頂し、目標としていた夫婦での登頂を果たした。
この大陸にはここより高い場所はない。周囲には氷河がそそり立つ。クレーターが大雪原となり眼下に広がっている。
キリマンジャロは崇高な山だ、アフリカという人類発祥の地において、並ぶものない世界に白い頂上を抱く。
きっと人類がもっとサファリの中にあった頃、神様がいた場所なんだろう。

短い時間ではあったが記念撮影をして下降開始。(別ルートからの登山者が多く、撮影時間はわずかしか許されなかった)
来た道を戻る。ギルマンズポイント以降は新雪で覆われた斜面を踵とストックでスピードを制御しながら直滑降するように駆け下る。
転んだら滑落して怪我ではすまない角度、ストックの先端が岩角で吹き飛んだ。
キボハットまで降りても雪の勢いは衰えず、サドルも一面の雪原へと姿を変えている。
湿り気を増した横殴りの雪がゴーグルを凍らせる中、ホロンボハットまでの下山を強行する。
標高4000mを下回ってようやく雪は雨へと変わり、正午、ホロンボハットに帰営した。
この日は夕食にマトケ(バナナシチュー)を食べた後、相部屋のアメリカ人カップルも気にせず、トイレに起きることも無く8時間以上眠り続けた。

10/8
ホロンボハットの雨は未明まで断続的に降り続け、5000m帯ではまとまった降雪になったらしく、早朝一瞬見えたキボ峰は白銀の山へと姿を変えていた。
早朝から下降を開始、マンダラハット直前で天気は回復、昼前に無事にマラングゲートへ下山した。
最後は登山隊でキリマンジャロの歌を歌った。
私が喜びをもってこの歌を歌ったように、キリマンジャロに登る多くの登山者が、多くの感動ともにこの歌を聞けますように。


Song of Kilimanjaro(キリマンジャロのうた)

Kilimanjaro! Kilimanjaro! Kilimanjaro!
Kilimanjaro mlima mrefu sana!

Na Mawenzi! Na Mawenzi! Na Mawenzi!
Na Mawenzi! mlima mrefu sana!

Ewe nyoka! Ewe nyoka! Ewe nyoka!
Ewe nyoka! mbona Wanizunguka!

Wanizunguka! Wanizunguka! Wanizunguka!
Wanizunguka! wataka kunila nyama!

Jambo! Jambo Bwana
Habari Gani! Nzun sana!

Wageni wakanbishwa Kilimanjaro
Hakuna matata!

Tembea Polepole
Hakuna matata!

Tufakafuka Mandara
Hakuna matata!

Tukaenda Horombo
Hakuna matata!

Tukaenda na Kibo
Hakuna matata!

Tukafika Uhuru
Hakuna matata!

続きを読む

フォトギャラリー:44枚

すべての写真を見る

装備・携行品

シャツ アンダーウェア ダウン・化繊綿ウェア ロングパンツ 靴下 レインウェア
登山靴 バックパック スタッフバック スパッツ・ゲイター 水筒・テルモス ヘッドランプ
タオル 帽子 グローブ サングラス 着替え 地図
コンパス ノート・筆記用具 腕時計 カメラ ナイフ 修理用具
ホイッスル 医療品 ロールペーパー 非常食 行動食 テーピングテープ
トレッキングポール シュラフ シュラフカバー ライター カップ アウターウェア
バラクラバ オーバーグローブ 雪山用登山靴 ゴーグル
【その他】 なくてもよかったもの
・シュラフは厳冬期用を利用するならシュラフカバーは不要(寝心地を犠牲にして汚れを防止するなら別)
・蚊取線香、高地に蚊はいない
・ライター、蚊取線香用だったが、使用しなかった
・虫よけスプレー、同上
あってよかった!!
・ポーター預け荷物はザックよりバックがいい。彼らは大きな袋に荷物を入れて頭の上に載せて歩荷する。頭に乗せたとき重量が左右対称になるようにボストンバック等に詰め込むのが適している。
・水筒は大型のプラスティックボトルが適している、プラティパスは現地スタッフでは運用しにくい。
・ザックカバー、砂埃避けに常につけておくのがいい
・ネックウェア(薄手のネックゲーター)、砂埃避けのマスクにも、薄手のニット代わりにもなる
・雪山用ゴーグル、特にメガネユーザーはレンズに氷雪が付着するのは死活問題。おすすめ

みんなのコメント

ログインして登山記録にコメントや質問を残しましょう

登山計画を立てる