ペテガリ岳ぺてがりだけ
二百名山
写真:中村成勝 ポンヤオロマップ岳からのペテガリ岳(左奥)とルベツネ山(右)
DATA
山域: 日高山脈
都道府県: 北海道
標高: 1,736m
2万5千図: ピリガイ山
※ ペテガリ岳の紹介文についての注意点
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ペテガリ岳のガイド・ルポ
ペテガリ岳に行くモデルコース
周辺にある山小屋
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【ペテカリ山荘】
無人小屋
場所: ペテガリ岳西尾根取付
電話: 0146-49-0294
FAX: 0146-43-3900
営業期間: 通年(無人)
ペテガリ岳に関連する登山記録
ペテガリ岳の近くの山
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中ノ岳
1,519m
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1839m峰
1,842m
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神威岳
1,600m
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コイカクシュサツナイ岳
1,721m
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ソエマツ岳
1,625m
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ピリカヌプリ
1,631m
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1,979m
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1,902m
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イドンナップ岳
1,752m
北海道方面に行く登山ツアー
ペテガリ岳の関連書籍
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この山を有名にした理由のひとつは、その登山史にある。かつては深い谷に周囲を囲まれたこの山は、まさに「はるかなる山」であった。夏の登頂は昭和7年(1932)に慶応パーティによりなされたが、冬は北大山岳部がコイカクシュサツナイ岳からの往復ルートをとり、数度の挑戦を繰り返していた。昭和15年、コイカクシュサツナイ沢の雪崩で8人を失った痛手を乗り越え、その3年後の1月、コイカク頂上に築いたイグルーから、一気にラッシュ戦法で登頂した。実に往復17時間の行動であった。太平洋戦争が敗色濃い昭和18年という時代を考えれば、その気力には敬服するのみだ。戦後間もない昭和22~23年、早大山岳部が長大な東尾根から1カ月をかけて登頂したのも立派な記録だ。
頂上からコイカク方面には踏み跡が明瞭についているが、東尾根分岐以南は判然としない。
頂上からの展望の中心をなすのは、サッシビチャリの谷を隔ててそそり立つ1839m峰である。遠くカムイエクウチカウシやエサオマントッタベツなど、中・北部の山々も見える。また南は、中ノ岳、神威岳、ソエマツ、ピリカと果てしなく山脈が続き、心を奪われるに違いない。
登山道によらず沢を登ってくるとしたら、日高側のペテガリ川、サッシビチャリ川、十勝側のキムクシュベツ川などがあるが、いずれも困難な沢で経験者でなければ入れない。
山名はペテガリ川からきたもので「回遊する川」の意。大きく屈曲する川の姿を表したものであろう。
なお、ペテガリ山荘への道路は、札内川へ抜ける日高横断道路造成のため、一般車両の通行が規制されている(平成12年までの予定)。事前に状況を地元に問合せる必要がある。
現状追記:日高横断道路は工事中止になった道路である。林道は残っているが、現在は静内ダムにゲートがあり閉鎖されている。また「ペテガリ山荘」の地元呼称は「ペテカリ山荘」である。
「ペテカリ山荘」は健在だが、静内川の林道が入れないので、「神威山荘」からベッピリガイ沢に尾根を乗り越して入る方法がしばしば用いられている(道はなく、沢登りと踏後利用による)