ドルポの最奥のニサルから、さらに奥のチベット国境をめざす。慧海師の日記の記述との一致に興奮の夜を過ごす

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ドルポの最奥地の1つ、ニサルにたどり着いた稲葉さんは、さらに奥へと足を運んでいく。慧海日記の記述と比べながら進んでいくと、まさに慧海の記述そのままの景色が現われる。120年前の師の旅に思いを馳せながら、ドルポの最奥の地を全身で感じるのだった。

 

9/26 ニサル(3845m)~クン・コーラキャンプ地 (4815m)

慧海はニサルには立ち寄っていないと考えられているが、私はニサルで一泊した。それは、ここにはヤンツェルゴンパがあり、その後ろの山肌にへばりつくようにマルコムゴンパがあり、それはドルポで一番古い瞑想窟だと聞いていたからだ。

ニサルは私にとって2回目の訪問だ。前回(2007年)は、マルコムゴンパを訪問することはできなかったので、今回の旅(2016年)ではぜひ行ってみたいと思っていた。しかし結局、このときも時間の関係上行けずじまいだった。

山肌にへばりつくように立つ、マルコムゴンパ。ドルポで一番古い瞑想窟だという

実際に念願が叶ったのは、もう少し先の話で、2019年のドルポ越冬中となる。少し先の話にお付き合いいただくと――。

2019年、慧海ルートの探索で国境のマゲン・ラまで行ったときに、マルコムゴンパに立ち寄ることができた。山肌にへばりつくゴンパへは、登りやすいところを選んで登り、帰りはどうなるんだろうと心配しながら、なんとかゴンパの入り口にたどり着いた。

さらに上を見ると、山の上にはタルチョが張り巡らされ、特別な場所だと感じた。「ゴンパで僧侶が瞑想中だから中には入ってはダメだ」と聞かされていたが、外なら写真撮影はOKだと許可がもらえた。外から撮影をしていると、中に僧侶がいるのが見えた。邪魔をしたらまずいと思い、話しかけることはせずに周囲で様子をうかがっていた。

すると、下から3人の女性たちが大きな荷物を持って上がってきた。すごい荷物だ、さすがドルポの女性は強い。私が下から見たときは、道がないと思っていたところだったので、道があったのだとさらに驚いた。女性たちは僧侶の食料や水を運んできたようで、瞑想のお世話をしているようだ。

マルコムゴンパの入り口の前からは抜群の展望だ。眼下にはニサル村が小さく見え、また今まで見ていた景色とは逆側の景色まで見えている。これまで歩き、登ってきた山々が遠くに見えて、あらためてドルポの奥深さを感じる。気持ちいい風が吹き、私はただ、そこにいるだけで幸せな気分になった。

これまでにも、ドルポの古いゴンパや瞑想窟をとにかく肌で感じたいと思い、できるだけドルポ内部をくまなく歩いてきた。その中でいつも感じてきたことがある。理由もなく、とにかく心地よい、穏やかな気持ちになるのだ。ものすごくいい空気感と気の流れを感じ、まるで私の身体を包み、全てを浄化してくれるようだった。

マルコムゴンパからの眺望。これまで歩いてきた山々が一望できた

話をこの年(2016年)の慧海ルートに戻そう。慧海日記では、このあたりの記述から黒く塗りつぶされている箇所が出てくる。前回紹介した慧海日記の省略している部分の続きは、以下のように記されている。

河口慧海日記

行政はとる○○○○西藏土○○○交○経路○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○に○○○○○○○○○○○○○て○厳屋へ起こりて○○中○○○○○○○○○○犛○○に草を・・・る所まで進まざるべがらずとて前に○原○○深雪常の苦難に○○○○○○○○○○着せるまで処○○○○○○せる間の原にして処には草々○ 生へ○なり○○犛○茶を煎て靴底を○縫后ただちに草上に毛布を敷いてす。月明かりに雪峯の光清し。流声法音を奏して、月影水玉を散す。為に、旅苦と寒触とを忘れて快眠せしむ。行程十里余。

※〇は黒塗りされている部分。「犛」の文字はヤクを指す

黒塗り部分があるため、内容は完全には要領を得ないが、日記を参考に慧海の足跡をたどる。

クン・コーラに沿う道へと進んで行くと、最初は両サイドの山が切りたっており、狭い谷の中に入っていく。道はしっかりしていて、谷底を歩く時は徒渉するところや、風をしのげるように岩山に石を重ねてあるところ、地元の人のキャンプ地で避難小屋のようなポイントなどがある。多くの人に歩かれている様子だった。

谷筋に沿って、しっかりとした道を歩いていく

小さな橋をいくつか渡っていくと、岩山は褶曲し、さらに所々に穴が開いている場所となる。まるで洞窟か瞑想窟のようにも見える。

さらに進んでいくと、大麦を収穫したばかりの畑があった。この周辺には村がないので、ニサルの人たちの畑だろうか。ドルポは環境が厳しく食料が乏しいため、畑を作れる土地を最大限に活かそうとしているのだろう。この乾燥地帯でこれだけの畑ができるんだと、ドルポに来て驚いたことのひとつであった。

しばらく行くと、また小さな橋を渡り、徐々に登っていく。下の谷沿いには、小さめの畑があり、そばには小屋もあって子供たちの姿を見かけた。農作業の季節だけここにいて作業をしているのだろうか。2つの畑のポイントを過ぎたぐらいから、山肌を縫うように歩いていく。しばらく進んで振り返ると、山の斜面には家畜の道がたくさん見えた。

こんな奥地にも、小さめの畑と小屋があり、子供たちの姿もあった

ところで、このクン・コーラは、慧海の時代(120年前)にはヤクが通れなかったという情報があると聞いて、私は疑問を覚えた。それで自分なりに現地の人たちに聞き取り調査をして調べてみた。その結果は「人によって意見が違っていた」というものだった。

確かに道が険しい時代もあり、通れないと言う人もいたが、通っていたと言う人もいた。だから、絶対通れないとは言い切れないだろうと私は感じた。実際、私はこれまで冬季も通してドルポ全土をくまなく歩いたが、驚くような急な斜面にもヤクやヤギの姿を見かけることがあり、その側には必ず人がいた。自分の目を疑ってカメラの望遠レンズで双眼鏡のように何度も覗いたほどだ。

前述の慧海日記を私なりに解読してみると、以下のように読み取れる。

慧海師は、草があるところでお茶を飲んだあと、靴底の修理をし、直接草の上に毛布を敷いて横になった。月明かりに雪峰がとても美しく澄んで見え、川のせせらぎを聞きながら、旅の疲れと寒さの中、国境手前まで来られた安堵感からか、ぐっすり眠った。

この山肌に家畜の道が見えたところあたりで、ネパール人メンバーと合流して休憩した。草があるところでポーターと馬方が私を待っていてくれたが、あまりにも遅い私を寝転んで待っていたようだ。しかも馬方は機嫌がわるい。聞くと、「これ以上行くと草がないから行きたくない」と言う。標高をみると4800m、なるほど、そうだね、そろそろ草がなくなりそうだと感じた。

ポーターと馬方は、寝そべって待っていてくれたが、少し機嫌がわるかった

そこから見渡していたら記憶がよみがえってきた。北側には湖があって、そのさらに北の国境方面にはドーンと山がある。ここは2007年に初めて大西バラサーブに慧海ルートの調査で連れてきてもらったとき、テントを張った場所に近い。あの頃の私は、ただただバラサーブの後を付いていくだけで読図なんてできてなかった。でも、この光景はしっかり覚えている。

国境方面には、台形の山が見えていて、大西バラサーブは「あの山はスニーカーで登った」と言っていたので、私の頭の中にはしっかりと記憶に刻まれていた。当時は、「ふ~~ん、そうなんや」と思うぐらいで、山の名前すら聞かなかった。それを出発前に調べていると地図上で、“あの山”というのはイェメルンカンだとわかり「私も登ってみたい、きっと展望がいいはずだ、チベット側が見える」と思い、私のエンジンがかかった。

台形の山こそがイェメルンカン(6028m)、慧海日記にも出てくる「雪峰」ではないか?

そして、慧海日記にも出てくる「雪峰」という表現は、もしかしてイェメルンカンではないのだろうかと考えている。この山は6028m峰、慧海が越境したときは、この標高4800mあたりにも雪があったと記述されている。当然6000m峰にも雪がついていると想像できる。

草があって水の音が聞こえる場所で、雪峰らしき山 =イェメルンカン(6028m)とすれば、まさに慧海の記述そのままではないか! と、私は一人で興奮した。そして、この日はここでテントを張ることとした。

まだ明るかったので、慧海師を真似してお灸をした。今回はネパールのお灸がいいと思い、ネパールで鍼灸の勉強をしたことがある日本人の知人に紹介してもらい、わざわざ現地の棒灸をカトマンズで手に入れて持参していた。しかし、いざお灸をしてみると、テントの中では煙たいことに気付いた。やはり、次回から煙のないお灸にしようと思った。

満点の星空に浮かび上がる山のシルエットがカッコよく、見惚れていた

この日、夕日が山を染めて、山のシルエットがカッコよすぎて見惚れた。夜は、満点の星空の中で焚き火をした。すると暗闇の中から動物の鳴き声がする。ネパール人たちは、キツネだというが、私には狼のように感じた。キツネの鳴き声ってこんな感じか? 以前にも、同じようなことがあった。その時は、昼間だったので肉眼でもその動物の姿が見えた。カメラの望遠を最大にして撮影してみると、私には狼に見えた。

狼? 狐? の鳴き声に緊張しながら、ポーターたちと共に焚火を囲む

今回も狼かもしれないと思うとうれしくなったが、もし襲ってきたらどうすればいいのだろう? 火があれば大丈夫? 狼って人間を襲うものか? 昔見たインディアンの映画を思い出し、とにかく焚き火の近くにいるようにした。

今回の行程。ニサル(Nisalgon)からクン・コーラ(Krun Khola)へと進んだ

プロフィール

稲葉 香(いなば かおり)

登山家、写真家。ネパール・ヒマラヤなど広く踏査、登山、撮影をしている。特に河口慧海の歩いた道の調査はワイフワークとなっている。
大阪千早赤阪村にドルポBCを設営し、山岳図書を集積している。ヒマラヤ関連のイベントを開催するなど、その活動は多岐に渡る。
ドルポ越冬122日間の記録などが評価され、2020年植村直己冒険賞を受賞。その記録を記した著書『西ネパール・ヒマラヤ 最奥の地を歩く;ムスタン、ドルポ、フムラへの旅』(彩流社)がある。

オフィシャルサイト「未知踏進」

大昔にヒマラヤを越えた僧侶、河口慧海の足跡をたどる

2020年に第25回植村直己冒険賞を受賞した稲葉香さん。河口慧海の足跡ルートをたどるために2007年にネパール登山隊に参加して以来、幾度となくネパールの地を訪れた。本連載では、2016年に行った遠征を綴っている。

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