開運祈願! 初春の奥武蔵・高麗郷を巡る初詣ハイキング
いよいよ2024年。歴史薫る初春の奥武蔵・高麗郷の野山をハイキングしながら、初詣で開運祈願はいかがだろうか。東京から鉄道でアクセスしやすい日和田山と、山麓の古刹・古社、巾着田を巡るハイキングコースを紹介しよう。
文・写真=西村 健(山と溪谷オンライン)
高麗にようこそ。駅前で真っ赤なチャンスンがお出迎え
西武池袋線の終点・飯能で西武秩父線を乗り継いで2駅。高麗(こま)駅の改札を出ると、駅前のロータリーにそそり立つのは、真っ赤な2体の神像だ。大きな目を見開き、歯をむき出しにした大迫力の姿に一瞬たじろぐ。右の像には「天下大将軍」、左の像には「地下女将軍」と大書されている。これは「チャンスン」とか「将軍標」(チャングンピョ)と呼ばれる、朝鮮半島の魔除けの神像だ。なぜ朝鮮半島の神像がここにあるのだろうか。
時は668年。中国から朝鮮半島にかけて繁栄していた高句麗は唐と新羅に攻め滅ぼされ、多くの高句麗人が海を渡って日本に逃れた。そうして日本各地に分散して住むようになった高句麗人は高麗人(こまひと)と呼ばれるようになった。716(霊亀2)年には現在の埼玉県日高市、飯能市の周辺に「高麗郡」が置かれ、関東各地の高麗人1799人を住まわせたことが『続日本紀』に記されている。高麗郡はその後入間郡に組み込まれてなくなったが、周辺には「高麗」の地名が今も多く残され、1300年の歴史を今に伝える寺社仏閣が今なお地域住民の信仰を集める。
日和田山で大展望を楽しむ
ハイカーに人気の日和田(ひわだ)山(305m)は、そうした高麗郷を見下ろすシンボル的な山だ。山腹には岩場もあり、トレーニングに訪れるクライマーも多い。高麗駅から巾着田(きんちゃくだ)方面に進み、出羽三山参詣の板碑や水天の碑といった歴史を感じさせる石碑、石仏を路傍に見ながら登山口をめざそう。民家の庭先には朝採り野菜や柑橘類などを並べた無人販売所があちこちにあるので、土産にするなら往路で早めに買っておくといい。
鹿台橋で高麗川を渡り、道標に従って日和田山登山口へ。トイレや自動販売機のある登山口で身支度を整えたら、冬枯れの雑木林と人工林が入り混じる里山の登山道を進む。コースは大鳥居で男坂と女坂に分かれるので、岩場の多い男坂を登り、比較的歩きやすい女坂を下に使おう。水場のある分岐を右に入り、杉林の中の急登を詰めていくと岩場に差し掛かる。難しいところはないので、ペンキマークをたどりながら慎重に進もう。
岩場を登り切ると、コース中最高の展望スポットに到着する。金刀比羅神社の鳥居越しに、眼下には高麗川が大きく蛇行し、秋には鮮やかな500万本の曼珠沙華が咲き誇る巾着田が広がる。丘陵地帯に白く見えるのは西武ドーム。奥武蔵、奥多摩、丹沢の山並みの向こうには、富士山の白い頂を見ることができる。外秩父山地の末端に位置する日和田山ならではの大展望を心ゆくまで楽しもう。
山頂は神社の裏手からひと登り。宝塔の立つ山頂広場からは、関東平野と筑波山の眺めがよい。下山は金刀比羅神社まで戻り、分岐を左に入って女坂から大鳥居方面に戻る。
高麗人のリーダーが眠る高麗郷の古刹を参拝する
日和田山登山口を左に折れて高麗本郷配水場の前を通り、車通りの多いカワセミ街道に出る。街道沿いをしばらく行くと庚申塔の先で、左手に重厚な山門が見えてくる。これが奈良時代創建と伝わる高麗山聖天院勝楽寺だ。山門の前には御影石の将軍標があるが、狛駅前のものとはずいぶん雰囲気が違うのも興味深い。境内には、高句麗の王族で、高麗郡設置に際してこの地に移り住んだといわれる高麗若光(こまのじゃっこう)の廟がある。若光は、朝廷から「高麗王」(こまのこきし)の姓を与えられ、郡長として高麗郡の発展に力を尽くしたと伝えられている。
門左右に風神、雷神を祭った重厚な山門は天保年間の建築で、日高市指定文化財となっている。高台にある本堂は見晴らしもよいので、ぜひ参拝していきたい。本尊は不動明王(胎内仏弘法大師御作)、高麗王若光の守護仏とされる聖天尊(歓喜天。出世開運、良縁成就)の霊験あらたかで、武蔵野観音霊場札所でもあり、参拝者も多い古刹だ。
正月3日午前11時からは新春大護摩修行が行なわれる。通常は300円の拝観料が必要だが、元日から7日までは拝観無料となっている。
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