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スクリュー島の二山と廃道霊場

城山、阿島山[香川県粟島]( 中国・四国)

パーティ: 1人 (マローズ さん )

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行程・コース

天候

晴れ

登山口へのアクセス

その他
その他: 三豊市詫間町詫間の須田港から粟島汽船に乗船し、15分で粟島港。マイカー時、須田港の船着場前の駐車場はいつも満車のため、ル・ポール粟島専用駐車場西側の三角広場へ駐車する。車の航送も可能だが、一台しか積めないため、予約が必要。が、航送する観光客やハイカーは殆どいない。
恐らくJR詫間駅等からバスの便あり。

この登山記録の行程

粟島港9:20・・・梵音寺9:43頃・・・城山で休止10:25~10:51・・・6番霊場石仏11:18・・・観音堂下の峠で休止11:59~12:17・・・新田集落の15番石仏から先の参拝道がヤブで分からず、集落の方から説明を受け、道が崩落した18番石仏手前まで案内して戴いた後、少し引き返し、姫路へ下る・・・姫路を出発13:32・・・再び観音堂下の峠で休止13:57~14:09・・・阿島山で休止15:42~16:01・・・観音霊場道16:20・・・粟島港16:50頃

コース

総距離
約12.7km
累積標高差
上り約701m
下り約701m

高低図

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登山記録

行動記録・感想・メモ

荘内半島の須田港から定期船で僅か15分の所にある周囲16kmの粟島にはかつて日本初の海員養成学校があり、また、島の形が船のスクリューに似ていることから、スクリュー島とも呼ばれる。そのスクリューの三枚の羽根の箇所にはそれぞれ山があるが、島の最高峰・城山(じょうのやま・222.1m)の登山コースの一つは整備され、山頂の展望台からは瀬戸内海の絶景が広がることから、一般観光客もよく登っている。

当初の予定では、島を周回するミニ四国霊場参拝道を巡りながら三山を登るつもりだったが、城山の復路(観音堂コース)と島西部の霊場道が竹の倒木群で廃道同然だったため、通常の何倍もの時間を要してしまい、城山と阿島山(181.6m)しか登ることができなかった。

阿島山は端正な円錐形の山容をしているが、その山名から古代以前は粟島とは分離した阿島という島だったことが想像される。最短コースは既に廃道化しており、山の北西の周回するミニ西国観音霊場参拝道から登るルートが一部では知られているが、それは遠回りになるため、道なき斜面を適当に登って登頂した。マイナー峰だけに展望はない。
今回、島を訪れた目的は山やミニ霊場参拝だけでなく、二ヶ所の浦島太郎関連伝説地と映画「機関車先生」のロケ地を巡ることでもある。

[コースガイド]
まずは「機関車先生」のロケ地、海員学校跡の粟島海洋記念館に向かった。記念館の建物は大正9年に建てられ、昭和62年に廃校になるまで使用されていた国定文化財である海員学校施設をそのまま利用している。
映画では本館が主人公、坂口憲二の教え子たちが出展した絵画コンクール会場となり、背後にある武道場は憲二が勤務する小学校の剣道場になっていた。

記念館周辺は粟島海洋記念公園となっており、武道場南西上はキャンプ場のバンガロー群がある。バンガローの丘から稲荷大明神前の小径に出て、神社西から「きつね坂」を南下する。坂の名称は稲荷大明神からきているのだろう。
ほどなくミニ四国霊場の1と2番及び88番石仏のある梵音寺に着く。それらを参拝した後は少し戻った所のY字路を北西に折れる。

小堂内に六地蔵と共に祭られた87番石仏を過ぎると、妙見宮前には86と85番石仏が祭られている。
粟島小学校のある十字路には城山の道標が建っている。登山道の勾配がきつくなると丸木階段になり、これが延々と続く。この日は1月3日だったが、何組かとすれ違った。彼らは皆、観光客だろうか、それとも帰省している島出身者だろうか。少なくともハイカーではない。

いくつかの大石を越えた先に一つ目の展望台がある。山頂の展望台は風が冷たいこともあり得るため、ここで休止することにした。この後登る阿島山やスクリュー羽の一つ、紫谷山(しきややま)を始め、岡山や広島の島々を見渡すことができ、爽快。この展望台がある箇所が中世の城跡の二の段の郭だろう。
山頂展望台のある箇所は当然、詰の段(本丸)。二の段の展望台を上回る絶景を誇っている。

展望を心ゆくまで楽しむと、「観音様歩道」の道標が建つ三差路まで引き返し、その歩道へ折れる。このコースが観音堂コースである。
最初、急斜面をジグザグに下って行くが、その内道が荒れ始め、シュロの倒木群に悩まされることになる。
シュロが終わると竹藪の倒木群に変わるが、身をくねらせながら倒木帯をくぐって行くため、時間が浪費される。

竹藪を抜け出ると6番石仏の建つ霊場道に立つ。城山中腹を回る霊場道は歩き易いが、一部、竹の倒木帯がある。
10番石仏手前のY字路から南に下り、浦島太郎関連伝説地である亀戎付近に下りようと思ったのだが、この道も途中で竹の倒木帯となり、通行が難しくなったので、Y字路へと引き返した。ロスタイムは10数分程度か。

12番石仏を過ぎると南の尾根を下るようになるが、途中、尾根道沿いに塹壕らしきものがある。この島には戦時中、詫間海軍航空隊の予科練生の兵舎が二棟あったことから、彼らが掘ったものかも知れない。
13番石仏が安置された、ドコモの電波塔の建つ峠手前の小堂が観音堂で、かつてはこの地に観音像を本尊とする堂宇があった。

峠からは北西の竹ノ浦集落に下り、路地道を北上する。一軒以外は皆空き家の住宅地端の右手に14番石仏を安置した小堂があるが、扉が開かない。そのすぐ先の三差路に15番石仏があり、その石仏方向に折れる。道は樹林帯に突入すると不明瞭になり、進路が分からなくなる。

そこで霊場道を辿ることを諦め、亀戎に向かおうとしたのだが、集落唯一の人家の方が声をかけてくれて、その方の兄が霊場道を案内してくれることになった。
正規コースは樹林帯に入り、地面に二つ目の井戸を過ぎたすぐ先で左手の竹藪に入るようになっていた。ここから先の霊場道は3年前から手入れをしなくなり、毎年開催される島あげての霊場巡りも竹ノ浦には寄らなくなったという。こちらは城山観音堂コースをはるかに上回る倒木帯で、何度も四つん這いになりながら倒木群を越えて行く。しかし70代位の案内人はサンダル履きでスイスイと進む。

進路が北向きに変わる頃には竹藪がなくなり、歩き易い道になったと思う。
18番石仏付近は何年か前の台風で崩落したようで、そこから先はまた藪になり、通行が困難になるという。
もう一つの浦島関連伝説地、姫路に下る道を教えて戴いた後、案内して戴いた方と別れた。その分岐は確か、17番石仏付近だったと思う。

姫路は地形図に三軒の建物マークが記載されているが、無人になって久しい。ここには浦島太郎を竜宮城から太郎の故郷へと送り届けた乙姫が潮流の関係で一時、逗留していたという。現在、姫路というとそこの砂浜を指す。
三差路から姫路の砂浜に下りて行く道も北に進路が変わると竹藪の倒木帯となる。そこでそのカーブ部から適当に斜面を下り、砂浜に出た。
浜の幅は非常に狭く、満潮時は樹林帯の際近くを歩かないといけないほど。現在、島民は干潮時に竹ノ浦から磯伝いに歩いて行っているという。

三差路まで引き返すとまた来た道を引き返し、観音堂下峠から反対の東に下って海岸沿いの道路に出て、亀戎まで行った。亀戎とは祠の亀戎神社のことで、太郎を竜宮城まで乗せて行った亀の遺骨を埋葬した所。太郎が竜宮城から故郷に帰って三年後の6月13日、亀の死骸がこの亀戎付近の浜に打ち上げられていたという。
亀の死を知った太郎はこれで二度と乙姫に会うことができなくなると悲観し、玉手箱を抱えて彷徨うように歩き、両親の墓前で玉手箱を開け、老人になったという。太郎と両親の墓は荘内半島の箱崎にある。

道路を歩いて海洋記念館北東角まで引き返すと西に折れ、数軒過ぎた所の三差路を北に折れて粟島中学校跡を過ぎた所のY字路を左折する。左手三軒目に何人かの芸能人も訪れた有名な「漂流郵便局」(旧粟島郵便局)がある。この局では配達は一切せず、葉書や手紙を受け入れるのみ。天国にいる家族や友人に宛てて書いた手紙をこの局へ郵送する者も少なくない。第二と第四土曜のみ営業し、全国から届いた手紙や葉書を読むことができる。

車道に出ると北西に進み、峠を越えた所で左手のコンクリート歩道に折れる。この道は池沿いを通ると西浜集落南端の民家に出て、そこから路地を北上する。車道を横断しても尚、北上を続け、やがて海岸沿いの車道に出る。少し進んだ右手には達磨型の炭焼き窯「達磨窯」が現れる。西日本最古の達磨窯である。

最北の三差路の角地の広場は前述の予科練生の射撃場跡。今でも一部に盛土や地面の窪みがある。
その三差路を右折するとすぐ「阿島山三十三観音様道」の道標が現れるので、その小径に折れる。
参拝道は四体の霊場石仏が並ぶ三差路を西に折れる。道は大正6年に建立された1番札所石仏を過ぎると北向きに変わる。

適当な所で右手の斜面を登りたいのだが、ヤブでなかなか登れそうな箇所が現れない。そんな中、5番石仏付近のヤブが浅かったので、そこから適当に登って行った。
ある程度登ると山頂から南に派生する尾根に乗り、そこからは歩き易くなり、難なく山頂に至った。
三角点は石組みのような自然石群の中にあった。

帰路は南の尾根を下って行こうと思ったが、途中でヤブ化したため、往路同様、適当に斜面を下り、霊場道に戻って引き返した。
漂流郵便局北の三差路まで戻ってくると東に折れ、またすぐ現れる三差路を南に折れて港に下ろうとしたが、その三差路に藤井フミヤが寝そべったというベンチがあった。藤井は複数回、来島しているようだが、このベンチを利用したのは2011年時か。2013年にもNHKの「鶴瓶の家族に乾杯」で島を訪れている。余程粟島を気に入っているようだが、来島したことがある者ならその気持ちが分かることだろう。

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装備・携行品

シャツ アンダーウェア ダウン・化繊綿ウェア ロングパンツ 靴下 レインウェア
登山靴 バックパック スパッツ・ゲイター 水筒・テルモス ヘッドランプ 帽子
グローブ 地図 コンパス ノート・筆記用具 腕時計 カメラ
ナイフ 行動食 トレッキングポール

みんなのコメント

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  • こんにちは。
    昨年、阿島のヤブと姫路へのヤブ、どちらも途中で断念しました。
    後日、姫路へは干潮時に海岸沿いに行きました。
    島一周できたら良いのですがね。

  • スイトン さん、コメントありがとうございます。
    阿島山は11番石仏からの尾根が比較的登り易いようですね。紫谷山は南の尾根道が有志によって整備されているようですね。また三豊市に宿泊することがあれば紫谷山と周囲の霊場道を辿ってみたいのですが、宿泊することは二度とないかも。

登った山

城山

城山

222m

城ノ山

城ノ山

425m

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最適日数
日帰り
コースタイプ
往復
歩行時間
3時間40分
難易度
コース定数
13
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