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高天ヶ原丘陵の古墳群と壕群

高天ヶ原山、霧ケ峰(高知市)( 中国・四国)

パーティ: 1人 (マローズ さん )

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行程・コース

天候

晴れ

登山口へのアクセス

マイカー
その他: 黒潮ラインの県道14号で桂浜方面から南国市に入り、「土佐の百姓家」東の三叉路を左折。
県道243号が交差する交差点は左折し、その次の信号交差点は右折。
国道55号に出ると右折し、国道32号が交差する交差点手前左手、歩道奥の農作業道入口に駐車。但し、農作業時期は駐車を遠慮すべき。本文で解説する最も西の海軍壕跡前にも駐車可。
最寄りのバス停はすたみな太郎前の「潮見台通り」。

この登山記録の行程

駐車場所11:51・・・明見彦山古墳分岐の十字路12:18・・・一号墳で休止12:28~12:41・・・横道に出て左折12:54・・・三叉路を左折12:57・・・H字路13:00・・・高天ヶ原東の峯山頂の岩13:12・・・高天ヶ原山三角点で休止13:33~13:51・・・竪穴から続く壕14:21・・・霧ケ峰14:50・・・大津配水池で休止14:58~15:21・・・駐車場所15:47
※写真撮影時間を含む。

コース

総距離
約5.9km
累積標高差
上り約216m
下り約216m

高低図

GPX ダウンロード KML ダウンロード

登山記録

行動記録・感想・メモ

[麓と山上の古墳群と壕群]
三つのピークの中心の三角点峰、高天ヶ原(107.5m)は神奈備山として信仰され、東の峯には遥拝所や各種社殿、西の峯には仏堂や祠、10基からなる高間原古墳群がある。
また、東の峯北の彦山(56.7m独標点)の東麓には土佐三大古墳の一つ、明見彦山一号墳がある。
更に東の峯東方の68m独標点の東麓と北麓、高天ヶ原山東の尾根、及び西の峯西方ピーク下には旧日本軍の壕跡や、入口が封鎖された長大な横穴壕が残っている。
ルートは明見彦山古墳から彦山南に登り、高天ヶ原山から霧ケ峰(68m)へと縦走し、一旦住宅街へ下りた後、天竺城跡南の2~3分ほどで越えられる峠を越え、再び明見地区へと戻るという独自設定の回遊ルートを取った。

[コース]
駐車場所から西に進み、すたみな太郎西角を北に折れる。右手の民家を過ぎると一旦歩道になるが、水路を渡ると山際の車道に出る。
北東に進んで行くが、68mピークの尾根の先端付近にある駐車場上の藪に、大半が埋まった海軍の壕跡が見えている。

昭和20年3月15日、高知龍馬空港の前身の高知海軍航空基地に展開していた高知海軍航空隊は解隊され、実戦部隊や航空基地要員以外の予科練生は陸戦隊となり、各地で陣地造りを行っていた。この明見地区でもいくつかの民家を宿舎として予科練生が滞在していた。
68mピークの山裾にはかなりの数の壕が掘られたようだが、殆どが土砂に埋まって開口跡を確認することが難しくなっている。

山裾を西へと回り込み、右手に最後の民家を過ぎると、ほどなくして左手に錆びたトタンの倉庫があるが、この少し先(手前だったかも)から竹林に入った所が前述部隊の兵舎跡で、コンクリートの井戸や素掘りの排水路が残っている。但し、地元の人が「排水路だったのではないか」という程度の不確かなものなので、もしかすると塹壕だったのかも知れない。深さは1mほど。

右手に舗装道を過ぎるとすぐ歩道が交差する十字路が現れるが、その手前左手に壕跡があったかも知れない。車道から5mほど一直線に掘り込みがあるが、その奥に横穴壕があったものと思われる。
その十字路は北に折れるが、辺りは水田でのどかな風景。
彦山山麓のコンクリート歩道に出ると東に折れる。すぐ明見彦山古墳三号墳の道標が現れる。道標から左に上がると墓地で、再び道標があり、そこを右折すると左手の墓石群の背後に三号墳が開口している。
これは元々三基あった明見彦山古墳群(2号墳は開発で消滅)の一つで、6世紀初頭に築造された両袖横穴式石室を擁するもの。ただ、玄室へ入るには四つん這いに近い状態にならなければならず、奥行きもあまりない。故に外観のみ見学して、一号墳を目指す。

コンクリート歩道を南西へ引き返して行くと、木製標柱等が立つ三叉路があり、更に進み、歩道の終点から山中に上がった所に一号墳がある。こちらは土佐三大古墳の一つだけに、羨道へは少し背をかがめる程度で入ることができる。奥は普通に立って歩ける。羨道と玄室を合わせた全長は7.9mで、堂々としたもの。ただ、何千匹もの藪蚊の大群が飛んでいるので、冬場以外はあまり長居できない。

見学を終えると木柱が立つ三叉路まで引き返し、南に折れる。車道に出ると当然西に折れるが、一号墳の向かい辺りの地点のY字路で右の藪化して畦道のようになっている歩道に入る。
右手が水田跡らしく、じるい所もあるが、道端には薄紫の多年草、ゲンノショウコが可憐に咲いている。
ほどなく道は右に曲がり、山中へと入る。傾斜はきついが、長い上りは続かず、墓地の横道に出る。ここは当然左折。
それから約3分後に現れる三叉路も左折。更に3分ほどで今度はH字路が現れる。ここも方角や地形からして、誰でも間違わずに正規コースを選ぶことができるだろう。

幹が何本かに分かれている大木を過ぎるとほどなく石積みが見え始め、伏見稲荷三ケ峯遥拝所参道に出る。その遥拝所を始め、各種祠が立つ地が高天ヶ原東の峯である。頂上は祠跡のような岩場になっているが、高天ヶ原山遥拝所と思しき祠が建つ、その下の岩も変わった形状をしている。
東の峯から西に下った所の平地には、「高天原稲荷奥之三社」その他数々の社殿や祠が鎮座している。その三社は北から「日之社」「星之社」「月之社」。

この三社は高天ヶ原山への尾根一帯を占めているので、尾根道はどこにあるものやらと、玉垣の北沿いを西へ歩いて行くと、右に歩道が見えた。この道は高天ヶ原山の尾根と下方の参道との間を並行して東西に走っている。
すこし行くと左手の岩盤下に北斗社の祠が現れた。歩道はこの先から北側に膨らんでカーブしているため、ここから尾根に登った方が近いだろうと思い、祠の東から適当に斜面を上がって行った。
尾根上に乗っても特に踏み跡がある訳ではなかった。藪はないので安心して登り始めると、左手の尾根直下に何か、掘り込みのようなものが見える。見てみるとどうやら、海軍の壕跡のようである。浅い竪穴を掘り、尾根側に横穴を掘っているが、横穴の開口部はやはり大半が埋まっている。

山頂は四等三角点があるだけで展望はないが、6年前に発行された高知市内のみの低山のガイドブックに掲載されているせいか、登頂記念標が一本立っている。
山頂から西の尾根は藪化していたので、適当に斜面を北に下っていると、炭焼き窯に酷似した円形の掘り込みが現れた。道のないこんな山の斜面に炭焼き窯は造らないので、これは迫撃砲か機銃等の陣地跡かも知れない。

先ほどの中腹の道に出ると西の峯向けて歩を進める。
西の峯の入口は峠風になっている。ここにも何社もの祠や仏堂、石塔等があるが、高間原古墳群の解説板が建っている。よく分からないので、祠群の裏に回ると、「一之古墳」という石柱と小さな古墳が現れた。一応、形状は前方後円墳だが、規模が小さすぎるため、地権者が円墳を改造したのではないかとさえ思ってしまう。
祠群を再度見渡すと、同じ石柱があり、「二之古墳」や「三之古墳」等の刻字が見える。しかしどれもマウンドの盛り上がりが少なく、また、墳丘が削平されたりもしているので、あまり古墳らしくない。
どれも羨道や玄室の開口部は見当たらないが、これまで須恵器や土師器、先石器時代の石核等が出土しており、古墳は6~7世紀に築造されたものであろうとされている。

西の峯の西のコル西寄りから北西に下る踏み跡があり、これは西のピークの巻道ではないかと辿ってみたら、住宅街が見えてきたので誤りに気づき、斜面を適当に南西へ上がり、正規コースである踏み跡に出た。
踏み跡はその西のピークも直下を走っていたと思う。そのピークで尾根の向きは西向きから北西方向へと転じるが、右手下を見るとまたも掘り込みが見える。近づいて行くと、これは規模の大きい壕だった。硬い岩盤地面を竪に数m掘った後、南に向けて横穴を掘っている。入口はブロックで塞がれているものの、一部、穴が開けられていたので覗いてみると、全長は数十mはありそうである。このような長大な壕は介良富士(170m)の西斜面にもある(陸軍錦兵団の壕)。

標高50mのピークに12番送電鉄塔があり、そこを下ると大津霊苑で、北東方面の展望が若干開ける。
霊苑沿いのコンクリート道はコル部で大津配水池へと延びるアスファルト車道に出る。霧ケ峰への尾根上も墓地になっているが、車道を北東に少し歩くと、鉄塔巡視路が尾根に向けて上がっていたので、これを辿る。
霧ケ峰山頂には11番鉄塔が建っているものと思っていたが、あったのはKDDIの土佐大津局だった。山頂一帯がフェンスに囲まれ、立ち入ることができない。11番鉄塔はその東下にあった。

ここから配水池までの尾根は、下方に車道ができて以降、若干荒れ気味だが、藪化はしていない。
配水池手前で車道に下りる小径を辿る。
配水池は展望がよくないので、車止めゲートの西方から小径を下る。この小径沿いも墓地だが、横道に出ると左折する。
峠谷アパートから東西に走る車道に出ると左折。大津東保育園の三叉路はそのまま北に進み、関雨水ポンプ場手前を右折。Y字路は南東に進む。岡上第二マンション前で車道は終わるが、終点から先に峠道が延びている。

古道は峠周辺から先が倒木で通行不可になっていたので、東側の藪をかき分けて平地に出ると、車道が下っていた。
すぐ先の清和女子中学・高等学校の体育館角を北に折れ、その先の三叉路は右折。道なりに東進して行くとT字路に突き当たるので南に折れる。
住宅街を抜け出た所には星神社の御旅所のような祠があるが、尚も南下を続けると、往路の海軍兵舎跡付近の車道に出る。後は来た道を引き返すのみ。

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