行程・コース
天候
晴
登山口へのアクセス
その他
その他:
徒歩
この登山記録の行程
妙福寺・・・寺家ふるさと村・・・椙山神社
高低図
登山記録
行動記録・感想・メモ
近所の里山、谷戸を訪ねて散歩。
昨年以来、自宅のリフォーム、二度の引越し、足の怪我、さらにはコロナ禍に伴う外出自粛要請など、もう満足な登山を半年余りもしていない。仕事も週に4日は在宅勤務だが、週末の晴れともなれば、外に出たくなる。買い物も憚られる中、山に行けるわけもなく、せめての気晴らしに近所を散歩。朝飯前なので、行き交う人もほとんどなく、たまに会う人も似たような出立で、言葉を交わすことがなくとも「ああ、あなたも同じようなことを考えたのですね」と思える。
普段なら、わざわざ出かけることもなかったであろう近所を、里山や谷戸の面影を探して歩いて見た。意外な歴史の堆積を発見したり、美しさや懐かしさを感じる。ご近所もなかなかの物じゃあないかと思えてくる。萌え出る新緑や草木に、コロナウィルス云々という人間さまの事情とは関係なく、今年も春が訪れたのだなとも思う。
けれども薄暗い曲がりくねった里山の道から、整然と区画されたやけに明るい新興住宅地に唐突に出たりすると、近年の新興住宅地が里山を削り、谷を埋めて作られ、連続的な歴史や農村の文化を塗りつぶし、何の脈絡もない風景を持ち込んだのだなという思いが不意に迫り上がってきた。瀟洒な住宅地や小綺麗な街路樹や庭の花々も、何だか急に薄っぺらいもののように感じられてしまう。考えてみれば、自宅の庭に植えている花や木も、この風土とは関係なく持ち込んできたものばかりだ。先ほど感じた「ご近所」への誇りのようなものも、なあんだ自分はそれを無遠慮に塗りつぶした側じゃあないかと思い至る。自分の立場の危うさ、居心地悪さを感じざるを得なかった。
とはいえ、歴史や文化は必ずしも連続的なものではない。古ければ良い、連続的ならば良いというものでもなかろう。これが今の自分のありようなのだと、腹を括るしかないのかな。
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