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海軍大浜高角砲台から深草山防空監視哨跡回遊

深草山(愛南町)( 中国・四国)

パーティ: 1人 (マローズ さん )

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行程・コース

天候

あられのち曇り

登山口へのアクセス

マイカー
その他: 愛南町満倉(みちくら)坪の内の国道56号・坪の内橋西の三差路を南西に折れる。
垣内の住吉橋北袂の交差点を南に折れ、以後、大浜方面の道路標識に従う。
大浜集落の道路終点の堤防沿いに、邪魔にならないよう、駐車する。

この登山記録の行程

駐車場所11:06・・・掩蓋式高角砲台跡で休止11:19~11:43・・・四等三角点12:30・・・県道から途中休止後、北東の270mピークを往復12:55~14:02・・・掩蓋高角砲台跡北東の横道14:27・・・駐車場所14:40

コース

総距離
約3.6km
累積標高差
上り約334m
下り約336m

高低図

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登山記録

行動記録・感想・メモ

[進駐軍に爆破されても尚残る高角砲台]
昭和19年10月末、宿毛市宇須々木の宿毛海軍航空隊基地跡へ海軍第一特別基地隊宿毛派遣隊が進出した。四国西南地域の海防を担うためである。更に翌年3月1日付で同基地に作戦部隊である第21突撃隊が開隊し、5月から8月にかけて宇須々木を始め、大月町古満目、柏島、泊浦、土佐清水市越、愛南町麦ケ浦に水上・水中特攻基地が設営され、魚雷艇、震洋艇、回天が配備された。震洋艇とは、トヨタのトラックエンジンを搭載したベニヤ造りの特攻ボートで、ロケット砲、機銃を装備し、先端には250キロ爆薬を搭載していた。

各基地周辺には機銃陣地があったが、それとは別に大型の敵艦にも対応できるよう、愛南町武者泊と大浜に掩蓋式格納型の12cm高角砲を設置していた。「掩蓋(えんがい)式格納型」(仮称)とは、山の斜面を削ってかまぼこ型のコンクリートの掩蓋を造り、その中に高角砲を格納し、米軍上陸時は、掩蓋から砲身だけ出し、発射させるタイプの砲台である。映画「硫黄島からの手紙」を観られた方ならお分かりだろう。但し、砲身の先の方だけしか出さないため、高角砲としてではなく、水平砲として使用される予定だった。

砲台は武者泊と大浜にそれぞれ二門ずつ設置されたが、大浜の砲台は一門のみ掩蓋式で、もう一門は素掘りの竪穴壕の中に設置されていた。掩蓋がなければ高角砲として使用できるが、軍の記録には二門とも「水平砲台トナセルモノ」とある。
武者泊砲台は一門、当時のままの状態で残っているが、大浜砲台の掩蓋式の方は、海岸に近いこともあるせいか、終戦時、進駐軍に爆破されてしまった。しかし頑丈な造りであったため、損壊はごく一部に留まっている。

海岸近くの山や、米軍機の飛行予想ルートにある地域の山には、都道府県警の防空監視隊が管轄する防空監視哨が設けられていた。目と耳で敵機の来襲を察知し、専用電話で県警に報告するもので、24時間体制で行われていた。大浜砲台の東上、深草山山頂(170m)にも昭和19年4月、監視哨が置かれ、青年学校の生徒や在郷軍人らが一班7名の五班編成で、交代で監視していた。一日の最高発見件数は350機だったという。
愛媛県下の防空監視哨跡では、伊方町の伽藍山防空監視哨跡のように、コンクリート造りの聴音壕が残っている所もあるが、深草山の方は竪穴壕が残置するのみである。
大浜砲台と深草山監視哨跡は、別箇に登ればごく短時間で到達できるが、それでは山行にならないため、二ヶ所を回遊するルートを見出した。

[コース]
大浜集落の道路終点から南東方向に、南北に長い牛舎が見えていると思うが、コースは牛舎の東沿いを南下して山林に入る。一応、造林作業のための刈り分けられた踏み跡がある。
細い沢を渡って奥に進むと、南東に切れ込む谷の左岸(南岸)に道が続いているが、最初に右折する、石垣沿いの道に入る。山林に入ってすぐの地点である。この道は植林帯の際を、何度か雷状に折れ曲がって上がって行く。
ある程度高度を上げて(と言っても数十メートル未満)横道になると、西側が崖状になる。

下り坂になってほどなくすると、右下に廃棄されたタイヤがあるが、一旦そのタイヤの南西に下りた後、鋭角的に左後方へ折り返す。その先には涸れ沢があるが、海側の突端のやや上方から対岸に上がると、斜面を横に掘った壕跡があり、その奥に掩蓋式砲台が姿を現す。このタイプの砲台は四国周辺では淡路島にも複数あるが、こちらの方が一回りほど小さい。入口付近は爆破によって大きなコンクリート片が外側に落ちている。天井の通気口も爆風で広がっているようである。
掩蓋内部は左手に出入口があるが、土砂で埋まっている。右手の内壁に二個並んだ四角い区切りは、砲弾置き場である。正面奥は、岩盤を少し掘った跡がある。余談だが、高知県香南市に残る海軍手結第一砲台は掩蓋の奥の岩盤を数十メートル掘って、弾薬壕にしていた。壕内は懐中電灯がないと何も見えない。

砲台の上の横道に上がり、次の涸れ沢に到ると、右岸(北岸)に直径5mほどの砲床の竪穴壕があり、その南東にはコンクリートの水槽が残っている。谷の海側の突端の地面には敷石が一列に敷かれているから、もしかするとここに見張所があったのかも知れない。側には玉砂利が散乱しているが、ここでコンクリートをこねていたのだろうか。
竪穴壕から先も横道を辿って行ったが、進むに連れ、踏み跡となり、最後には獣道になる。藪はないので、踏み跡が不明瞭になっても難儀はない。
しばらく進むと、目の前にかなり明瞭な支尾根が現れた。この尾根は157.2m三角点南西の尾根の分岐点へと繋がっているはず。
最初はある程度、勾配が急だが、標高90mで一旦平坦になる。ここから尾根と踏み跡は更に明瞭になる。

前述の尾根の分岐点は三叉路になっていた。そこから三角点はすぐだが、周囲は灌木に囲まれ、展望はない。ここが本来の深草山山頂よりも山頂の風情がある。
ここから一旦下り、再び上りに転じた、その最高所が深草山山頂だが、手前の素掘りの溝のようなものは、監視哨当時の登山道だと思われる。その道跡を北西に行けば、地面に長辺1メートル半ほどの長方形の竪穴壕がある。この形状は前述の海軍手結第一砲台上方にある、第23突撃隊大峰山特設見張所跡の壕と同じである。
ここから引き返しては、山行として時間が短くなるので、北方の357.6m峰へ向けて尾根道が付いているかどうか確認することにした。

県道に出て、横断すると先に踏み跡はあったが、すぐ藪化した。そこで尾根に上がってみた。最初、特に踏み跡はなかったが、途中から薄い踏み跡が現れた。しかし尾根の幅が広いので、下山時のために、頻繁にテープを付けながら上がらないといけない。
再び踏み跡が消え、しばらくして270mピーク北のコルに出たが、そこから先は藪化していたので、引き返した。
復路は、深草山から西に派生する尾根を下りることにした。藪のない急勾配の尾根故、軽快に下りて行ったが、途中でシダが藪化していた。そこでそこから斜面を北東にトラバースして涸れ沢に出ると、沢沿いを適当に下って行った。この沢沿いは植林帯になっている。
掩蓋式砲台東上の横道に下り立つと、後は往路を引き返すのみ。

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