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廃道経由で丹沢焼山 閉じる理由はそれぞれに

丹沢 焼山、(仮称)焼山沢ノ頭、カサマクノ頭、桃ノ木沢ノ頭( 関東)

パーティ: 1人 (鋸太郎 さん )

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行程・コース

天候

晴れ 微風

登山口へのアクセス

マイカー
その他: 水沐所橋

この登山記録の行程

水沐所(みづあびど)橋0555……0622_427P_0622……0656カサマクノ頭-青野原尾根道合流点0656……0722カサマクノ頭0722……0732焼山-平戸廃道合流点0732……0806桃ノ木沢ノ頭0807……0842_852P_0842……0919鳥屋分岐0919……0924(仮称)焼山沢ノ頭0925……0931焼山0943……1001_867P_1001……1016_698P_1017……1058_イノクボ沢1106……1113水沐所橋

コース

総距離
約8.7km
累積標高差
上り約1,147m
下り約1,143m

高低図

GPX ダウンロード KML ダウンロード

登山記録

行動記録・感想・メモ

北丹沢 バリ・廃道系です。
奇しくも前回の続きとなりました。
  
焼山登山口の水沐所橋からスタートしましたが、アマノジャクにも主脈の東海自然歩道には入らず、東の斜面を無理矢理よじ登って尾根に乗りました。
上村か427Pを経由して、東開戸から475P、536Pを経由して745P(カサマクノ頭)に至る地理院地図道に合流する尾根です。
地形図を見ると分かりますが、その地理院地図道まで緩やかに、ほぼまっすぐ伸びています。
今回歩きたかった道その1です。
  
この尾根、現在では地理院地図にも登山地図にも一切線が引かれていませんが、91年や01年の登山地図には登山道としてではないものの、カサマクノ頭まで線が引かれていました。
と言うことは、そこそこ歩ける道があるに違いない!
そう思うともう楽しみで仕方なかったです。
  
いざ尾根に乗ってみますと、確かに踏み跡があります。
水源の森林標柱も立っています。
一部笹薮にいじめられる箇所はありましたが、概ね道として成立していました。
狙い通り気持ちよく歩いて行きます。
ところがこの尾根も前回同様、植林帯を抜けた辺り(具体的には521mの小ピークから先)からは崩れそうな岩ゴロゴロ系の痩せ尾根が連発しました。
しっかりした岩なら越えて行きますが、逆に亀裂がしっかり入っていますし、ヒトの頭サイズの岩ですら簡単にグラグラ揺れました。
コケもしっかりコーティングされていて、、軽い気持ちで進むと絶望しか待っていません。
と言う訳で、東開戸からの地理院地図線に合流するまでの部分は、余り登山道には向いてませんでした。
なるほどと思った次第です。
  
続いて東開戸からの現役の地理院地図線に合流してからです。
合流地点からは再び植林帯が復活、尾根も非常に歩きやすかったです。
ただこの道も、カサマクノ頭を前に容赦ない岩が、痩せ尾根の上に門番として立ち塞がっていました。
慣れた方、経験のある方には問題ないでしょうが、登山道にするには無理があるでしょう。
まあちょっと考えてみれば分かることですが、林業の方にしてみれば、別に山道が必ずどこかのピークに至ってくれる必要はないのですよね。
植林帯と麓が往来できれば良い訳ですから。
ただここも明るい尾根で、歩いていて楽しかったです。
  
さて無事カサマクノ頭を越えてからは、いよいよ焼山-平戸廃道に入ります。
歩いてみたかった道その2です。
こちらは「崩落のため通行止」「廃道」と具体的な言葉が並んでいますが、どの程度の崩落なのかを見てみたかったのです。
明らかに無理そうでしたら来た道を戻るか、西沢経由か、或いは東開戸の地理院地図線で帰るつもりでした。
  
で。
途中桃ノ木沢ノ頭に吸い込まれたりはしましたが、概ね気持ちよく歩いて行きました。
ですが前回の、カサマクノ頭から柏原ノ頭方面同様、トラバース道で路肩が崩れている箇所も多く、やっぱり気にはなりました。
何度も「←焼山 平戸→」の標識が出てきて、張り切って仕事をしてくれているのは分かるのですが、少しずつ怪しさが立ち込めてきます。
で、遂にやってきました崩落個所。
852Pへ延びる尾根の手前の沢筋ですが、一直線に2本、崩れ落ちていました。
普段からの沢にしては、「深さ」がありません。
次また大雨が来たら、どう崩落が拡大するか分かったもんじゃありません。
ですが現在は落ち着いていそうです。
こりゃ廃道にせざるを得ないかなあ、なんて思いながら慎重に横断しました。
  
ですが廃道の一番の理由はここではありませんでした。
いよいよ東海自然歩道への合流を目指した焼山への登りですが、もっと斜度の厳しい部分で山肌が崩落していました。
先の崩落部分はガレ系でしたが、こちらはザレ系。
急斜に崩落してザレた土砂が柔らかく乗ったままです。
道も見えません。
何やら木橋らしき残骸もありましたが、どこからどう渡していたのか想像もつきません。
こりゃあかんです。
ですが慎重に慎重に、だけど慎重になり過ぎなければ、寝た子を起こさずに渡れそうでした。
  
さて何とか無事に先に進めましたが、その先もその先で路肩が崩れた道が続きました。
とは言えもうこの時点では
「そっちが本来の道なのね」
と判断がつくだけでもありがたい感覚になっていました。
ベンチを越えたあとは安全地帯としか言えない広い道が続き、程なく無事東海自然歩道に合流できました。
  
焼山から先は、主脈から一本西の尾根を歩いてみました。
こちらは手持ちの地図を3枚並べても登山道だった痕跡がありません。
ですが地形図を見る限り、十分歩けそうです。
行ってみるとスギの植林こそありましたが、ぱっと見、林業向けの植林には思えませんでしたし、本当になぜこちらに道がないかは分かりませんでした。
すぐ東にしっかりした東海自然歩道が整備されていますから、観光登山道としては必要がなかったのかも知れませんが、特に迷う枝尾根なし、危険な崩れそうな岩場なかったです。
ただ地図にない小さなお社はありましたので、生活に根付いた尾根なのは間違いないと思います。
水源の森林標柱もあり、今回の4種のバリ・廃道の中では一番気持ちよく歩けた道でした。
大きな声でお勧めする訳にはいきませんが、この尾根、小声ではオススメです。
  
丹沢は崩落の多い山塊ですから、登山道の栄枯盛衰もそれなりにあると思います。
ただそれ以外の理由でも道が廃れたり、或いはそもそも道にならないこともあるのでしょう。
  
今回も余り胸を張れる山行ではなかったのですが(そもそも正規の登山道は鳥屋分岐から焼山山頂過ぎまでのほんの一部、それも(仮称)焼山沢ノ頭に寄り道していますから、更に短距離)、色々鑑みればひとつひとつの道に歴史があり、焼山山頂の「白樺の碑」にもあります様に、クマザサの群生しまくっていた丹沢山塊に道を拓いた先人たちの姿に思いを馳せながら歩くのは、なかなか趣き深いものがありました。
今はこんなのらくらしたおっさんが偉そうに歩いてますが、感謝しながら楽しませてもらってます。
  
また行きますとは言えませんけど、今回も楽しい山行でした。

(追記)
因みにヤマケイオンラインの地図だと、なぜか745P(カサマクノ頭)の標高が388になっています。
何と単位間違えたんだろう?

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フォトギャラリー:120枚

焼山登山口、水沐所橋からスタートです。

因みに「所」は異字体ですね。
一瞬読めませんでした。

東海自然歩道には入らず、東の斜面をよじ登ります。
ヘソマガリ全開です。

主脈の道も台風で破線になっていましたから、こちらも何かしらあるだろうなーとは思っていましたが

案の定崩れていました。

直登に切り替えましたが、笹軍団登場。
直登でもトラバースでもササは厄介です。
地下茎が露出してませんように……

前夜の雨もあってぐにぐにくずれる斜面に、ふわっと落葉のコーティング。
ふくらはぎ強化週間でしょうか?

それでも気合で尾根に乗りました。

業者さんの?

とりあえず結んでおきました。

なんか笹が育ってきました。
ヤブ漕ぎを強いられ始めました。
もう両腕引っかき傷だらけです。

ですがツバキもまだ咲いていました。ほっとしますね。

観光用ではないとは言え、かつては山道として線が引かれていた尾根です。
加えて「水源の森林」柱もありますし、人の手は入っている尾根です。
だからまあ、多分大丈夫でしょ。頑張れ自分。

参考までに91年の地図です。
登山道ではありませんが「小道」として記載されています。

こちらは15年の登山詳細図。
最強の地図でも既に線がありません。

まあとにかく歩いてみましょう。
6時半頃におひさまー!

オニグルミですね。

痩せ尾根も出てきましたが

広い所は広かったです。

こりゃまた鬼包丁で一刀両断した様な岩です。

斜度が少し上がってきました。

尾根も痩せて、荒れてきました。

んー、これは一般登山道にはできませんねえ。

しかも丹沢の岩は結構割れていますので、慎重に体重を掛けないと簡単に崩れます。

コケも加わって難易度プラスです。

東海自然歩道がしっかり整備されて、植林にも不向きな地形であれば、廃道扱いになるのも已む無しですね。

北東からの山道に合流しました。
こちらは地理院地図にはまだ記載されている道です。

ただこちらも植林帯を抜けるとバリでした。
ノイバラ登場でTシャツ歩きには厳しかったです。

なんか道を塞いでるー

「先に進みたくば、この俺を乗り越えていくのだな!」 
そうさせていただきます。

頑張って越えたら、ミツバツツジに労ってもらえました。

「じゃ次ね!」 
そうですか……。

そんなこんなで前回に続いてやってきたカサマクノ頭。
そんなに急登には感じられないのに、傍から見るとオニギリに見えるお山です。

焼山が見えました。
今日は登るよ! 
道が繋がってればね。

ここはもう焼山-平戸廃道ですが、倒木が綺麗に切られているなど、整備の跡は今も残ります。

北側の眺望が開けました。
帰宅後同定に挑んだのですが、難しかったです。

今回も本来なら迂回する小ピークに挑みました。

ここからはカサマクノ頭が見えるのです。

南西の眺望が開けました。
おや? あなたは

頭に山荘乗っけてる! 
蛭ちゃんだー!

焼山-平戸廃道に戻りました。
この辺りはとても廃道とは思えない良い道です。

小ピークから降りて振り返ります。
右がトラバースの本道、左が小ピーク方面です。

今日も来たよベンチさん。

さあガシガシ登るよ!

ところが気付くとどこか見た事のある風景が。

あれ?

平戸側から気持ちよく登って尾根沿いに進んだら、簡単に桃ノ木沢ノ頭に吸い込まれました。
桃ノ木沢ノ頭の先は難度の高い痩せ崩れ尾根ですから、危険ですよね。

分岐のピークに戻り、暗く斜度のきつい部分を降り、本来の道に進みます。

肝に銘じます。
ゴミは見つけ次第拾う派ですが、割れたガラス瓶(多分ウイスキー)を持ち帰るのは厳しいです……。

こちらのベンチは力尽きかけてました。

全体的に明るい道なのですが、大分谷側が崩れてきていますね。

よじ登りに近い部分が登場。
ただここは多分、現役時代からそうだったと思います。

問題はその先。
平行するふたつの谷筋で大崩落跡がありました。

先の登山道を見失うレベルでしたから、ここも廃道の理由のひとつでしょう。

崩落の谷筋を下流に向かって見ています。
相当な角度でした。

その先も少し不安定な道が続いていました。

さて、折角ですので852Pにも寄ってみました。

痩せ尾根ですが、気持ち良い道です。

なんかいますね。

よじ登ろうか一瞬考えましたが、

その岩よりPの方が高かったので控えました。
852Pです。

それでは戻って進みましょう。
ちなみに852Pのある尾根を降ると、沢の出合いで詰みそうです。

コーラの空き缶登場。
「Yes Coke Yes」とありますから、80年から84年の頃のものですね。

トラバース道はもう、自然に還り始めています。

焼山への急登が始まりましたが、何と言いますか焼山は山肌がかなり柔らかいのではないでしょうか。

大崩落がトドメだとしましても、全体的にこの道は、とかく路肩が弱いのではないかと思いました。

頻発する小崩落にも整備が追い付かなかったのではないでしょうか。

そしてここからが、廃道になった一番の理由でしょう。

近接する2つの谷筋で大崩落です。

ザレた土砂が斜面に残ったままです。
角度もあり、ここで滑落したら相当落とされることでしょう。

崩落個所を越えられたとしても、その先の道が見つかりません。

この木道も上から流されてきたと思います。

行く手を塞ぐような木が。
来るなと言うことでしょうか。
丹沢の場合、助けて!とばかりに掴んだ木が簡単に根本から折れることがありますから、それを計算に入れてはいけません。

それでも何とか崩落個所を抜けました。
幸せになれそうなベンチ登場。
ひと息つけました。
とは言え登りだからまだ何とかなったものの、降りには例えエスケープでも絶対使っちゃダメな道ですね。

ここから先は安全な道でした。
思うに「しあわせベンチ」は下降点の合図だったと思います。

主脈からきてこのベンチを通過し尾根を真っ直ぐ降ると、地形図上は伊勢沢林道に至れそうですが、多分痩せ崩れの岩尾根が待ち構えていると思います。
枝尾根も厳しそうですし、そもそも現在は伊勢沢林道も通行止です。
今では
「東海自然歩道に戻りなさい」
と言うためにいるベンチなのでしょうね。

広い尾根に道を見失い適当に歩き始めましたが

苔むした階段が出てきました。
そっちですか。

さあ主脈だ! 
東海自然歩道だ!

とりあえず、この手の看板には従うことにします。
途中まではスキップしちゃうような広い尾根だけに、にわかに信じられないかも知れませんが、途中から道ないですから。
特に降りだとその印象が強くなると思います。

小さな路肩流出以外で、大きく危ない箇所は主に図の2か所です。
仮に修復しようにも、恐らくは元々余り人の来ない、静かなルートだったのでしょう。
廃道扱いも已む無しなのでしょうね。

はい。
自分もよっぽどでない限り、もう踏み込みません。

前回の写真ですが、奥野林道の柏原登山口は「焼山」の文字を消した方が良さそうですね。

では正規の登山道を焼山に向かいます。
ああ王道の明るさよ!

ですが何か呼ばれた気がして、焼山の手前の小ピークに寄ってみました。

仮称! 最高です! 
今日は名前持ちのお山にほとんど登れてない上、ご新規さんがゼロでしたのでカウントさせて頂きます!

焼山も久し振りです。

でも北斜面だけあって、雪?霜?がしっかり残ってました。

お社がありました。

よく見ると胴の部分がひっくり返ってます。
一度倒れて、直すときに逆になってしまったのでしょうか。

お供えに寛永通宝が! 
ですがお社の建立年月は明治とありますので、時代が異なります。
とは言えこのお社も初代ではないかも知れませんし……ロマンと受け取っておきましょう。

今日は君を目指して来たのです。

焼山タワーです。

ところが無言で立ち入りに圧を掛けられます。
まあ台風19号ありましたから、言いたいことは分かります。

宮ケ瀬湖ですね。

本文で触れました「白樺の碑」です。

下山もアマノジャクでした。
おとなしく主脈を降りれば良いものを、お隣の尾根で867Pや698Pを目指します。

斜度は緩やか、どうしてこちらの尾根には歴代のどの地図にも線が引かれていないのか全く分かりませんでした。
立派な東海自然歩道が平行している分、不要だったのかも知れませんね。

698Pです。
ここまでは全く問題のない道でした。

さらに降って、ここは「落葉の川」です。

深いところだとヒザ下くらいまで埋まりました。

高名な空手家が来たに違いない!

更に降りますと、これまた地図に道がない場所にお社がありました。

土中に埋まった謎の遺構。
全く分かりません。
水が溜まってました。

しっかりした林道に降りました。
本当はここで少し戻れば楽に水沐所橋まで戻れたのですが(主脈登山道の旧道経由となります)、適当に行ったれ! と降って行きました。

林業さんの道を借りて

イノクボ沢の河原に降りました。
まだ11時過ぎ、余裕があります。

堰堤が幾つか並んでいたのでプレートを探したのですが、どの子にも付いていませんでした。

護岸ブロックが破壊されてますね……。

そこを使って降りるのですから、自分も大概です。

さてこの先は溪谷になってしまってますので、

右岸の崖をよじ登って、東海自然歩道に戻ることにします。

業者さんの裏から

登山口のゲートに戻りました。

水沐所橋まで戻って山行終了です。
最近は登山道がどうとかでなく、地形図で山歩きすることが多くなってきましたが、短距離・短時間でも物凄く楽しめます。
と言うか、楽しかったあああ!!

帰りに聖地に寄りました。

丹沢と言ったら丹沢あんぱん! 
みんなで食べよう!

「くずれたみち?」 
いえあのその……決してそれを求めて行った訳ではッ!! 
そんなことよりパン食べようパン!!

ちなみにオギノパンの6枚切は、7枚入ってました。
耳の部分はオマケという精神にほわほわされまくりです。

いっぱい食べてヤブ漕ぎの傷を治します。
ほんと生傷が絶えません。

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装備・携行品

シャツ アンダーウェア ダウン・化繊綿ウェア ロングパンツ 靴下 レインウェア
登山靴 バックパック スタッフバック スパッツ・ゲイター 水筒・テルモス ヘッドランプ
タオル 帽子 グローブ 着替え 地図 コンパス
ノート・筆記用具 腕時計 カメラ 登山計画書(控え) ナイフ 修理用具
ツエルト 健康保険証 ホイッスル 医療品 虫除け 熊鈴・ベアスプレー
ロールペーパー 非常食 行動食 テーピングテープ 燃料 ライター
カップ クッカー カトラリー
【その他】 【その他】 モバイルバッテリー、予備ヘッドライト、風力計、アマチュア無線機、カラビナ、スリング、細引き、クイックドロー

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登った山

焼山

焼山

1,059m

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