行程・コース
天候
快晴
登山口へのアクセス
電車
その他:
往路:目黒→山手線→池袋→西武池袋線→小手指→〃→飯能→西武秩父線→西吾野
復路:東吾野駅→西武秩父線→飯能→西武池袋線急行元町・中華街行→渋谷→東急東横線→学芸大学
この登山記録の行程
西吾野駅6:36→森坂峠入口6:43→森坂峠6:58→本陣山442m7:08→本陣山砦跡7:32→イモリ山430m8:17→送電線鉄塔8:36→天寺へ十二丁道標8:42→小床峠9:16→吉田山城跡445m9:41~48→吾野御嶽山370m10:03→秩父御嶽神社10:08→東郷神社10:18→坂石諏訪神社10:34→岩殿観音11:03→法光寺11:23→吾野駅11:25→唐竹白鬚神社11:34→坂石小学校跡地11:39→岡部屋敷跡240m11:48→りゅうがい山城跡354m12:09→前坂430m12:34→大高山493m13:09~30→道間違い!→吾野テレビ中継放送局14:29→平野砦跡390m14:39→林道14:52→鎌倉峠235m15:07→井上神社15:12→東神社15:18~30→吾那神社16:00→東吾野駅16:06
合計9時間30分
高低図
登山記録
行動記録・感想・メモ
7月22日(祝)は、吾野駅の反対側にある城跡を4つ、「本陣山砦跡」~「吉田山城跡」~「りゅうがい山城跡」~「平野砦跡」とまとめて登って来ました。この辺の城跡は築城者知らずのヤブ山のバリエーションルートで、真夏に行くような場所ではないのですが、行かないと飯能から先にすすめないので頑張って登ってきました。
西吾野駅で電車を降りたら、国道299号を吾野方面に向かいます。1本目のゲートがある小さな橋が「森坂峠」の入口です。小さな峠なので軽くひと登りで着きます。峠から右の尾根を登って「本陣山」を目指します。ここもすぐなんですが途中にテレビアンテナが2つあります。「本地山山頂」422mは植林の展望の無いピークなんですが、山頂から真っ直ぐ北に120~130mぐらい下ったところに「本陣山砦跡」があるので行ってみます。山頂から急坂を下るとまず天然の要害である大岩があり、さらに下って尾根が二又に分かれるところまで行くと、右の尾根に堀切のようなものが2つあり、その先のたぶん山の神の石祠が2つある場所が本郭のようです。左の尾根にも小さな平場があり、こちらにも山の神の小祠がありました。
「本陣山砦」は城主、築城時期不明の城で、一説によると川越城にいた上杉朝興が、後北条家の重臣・遠山直景を攻め破った「吾野蜆城合戦」で一時的な砦として使われたのではないかと言われています。
再び森坂峠に戻り、今度は反対側の尾根を登りってイモリ山を目指します。「イモリ山」430mは山頂に露岩のあるトラロープの多いピークです。本陣山と違って自然林に囲まれているので冬なら展望があるかもしれません。山名の由来はイモリが出るわけではなく、御飯を盛った形の「飯盛(イイモリ)山」が語源とのことです。ここは信仰の山だったようで、山頂直下に石祠があります。
イモリ山からさらに進むと、まず見晴らしの良い「送電線鉄塔」があって、その先に石に「天寺へ十二丁」と書かれた石がある十字路に着きます。小床集落から子の権現へ行く道が横切っています。ここ直進すると秩父御嶽神社方面に行くことが出来ます。最初の465mピークの登りだけ道がアバウトですが、そこを過ぎるとハッキリした道が出てきます。
しかし次の「小床峠」道が分かりにくい意外な難所です。まず地図では小床峠で出会うはずの次の子の権現(浅見茶屋)への道に峠の前で合流してしまいます。一瞬ここが小床峠かと思い直進しかけたのですが、標識に小床峠は左折と書いてあったので戻ってそちらに進みました。しばらく行くと今度は林道の峠に出ました。今度こそ小床峠に違いないとまた直進しかけたのですが、景色が地形図と全然違うのでまた戻って、林道を南に少し偵察しながら下ってみると、なんとそこに「小床峠」の標識がありました。これはわからんよ!
でもとにかく道がわかったので、いったり来たりして多少疲れたので軽く休憩をとり、吉田山に向かう階段を登ります。そして一旦430mピークまで登り、軽く下って再び登り返したところにある445mのピークが「吉田山城跡」です。ここも築城者、築城時期不明の狭い山城なのですが、北側の尾根に浅い堀切と深い堀切が2本残されています、建物が造れるような平場は山頂以外ありません。
「吉田山城」は築城者不明ではあるのですが、至徳年間(1384~87年)頃に、後で行く岡部屋敷の岡部六弥田の孫・岡部新左衛門が吾野に居住し、吉田山中腹の秩父御嶽神社を再建したといわれ、関連が疑われています。しかし秩父御嶽神社は明治時代に秩父彦神社を遷座したものなので、その時代には存在していなかったのではと思うのですが、ただそれ以前は別の神社が祀られていたのかもしれません。
吉田山城跡から戻るように下ると尾根の突端の分岐のあまり山とは思えない場所が「吾野御嶽山」370mです。良く見ないと見落としてしまいそうな小さな手書きの標識があります。
吾野御嶽山から下るとすぐに「秩父御嶽神社」に着きます。古びた巨大な木造の神社を想像していたのですが、わりと新しい本殿の保護を優先させたような神社でした。山だから保たないのかな?
そして少し下ると「東郷神社」と「東郷平八郎」の銅像があります。その下に戦艦三笠の砲撃を受けた鉄板とかロシア軍の砲弾とか旅順港の水雷とかが飾ってあります。さらに下ると秩父御嶽神社を開いたは御嶽教の教師「鴨下清八(清貫一誠霊神)」の像が他の霊神たちに囲まれて置かれています。
「秩父御嶽神社」は鴨下清八が木曾御嶽山の神様を分霊して、明治28年当地に福寿山を開山、明治43年に坂元村の村社秩父彦神社を当地へ遷座させ、さらに大字南字上中沢の知久良神社を合祀し、秩父御嶽神社と改称したというわりと新しい神社です。清貫一誠は昭和20年7月神託により、時の内閣総理大臣鈴木貫太郎に建白書を呈し、無条件降伏を勧告したという話も残されていますが、ただこれは戦後軍国主義者としてパージされずに生き残るための方便っていう気もしないでもないです。本当のところはどうなんだろう?
「東郷神社」は日露戦争後の大正14年に、東郷元帥の承諾を得て、東郷元帥銅像を建立したのが始まりの神社です。銅像は東郷元帥自身により除幕された唯一の生身銅像だということです。なお最初は銅像だけで、神社の社殿は東郷元帥他界後の大正10年建立だそうです。
東郷神社から下ると、すぐ目の前にあるのが「坂石諏訪神社」です。日本武尊が東征の途中でこの地を訪れた時、あの舞山には神様(お諏訪様)がおいでになると敬って舞を奉納し、舞山の山腹に鎮座し、諏訪社と称したのが始まりだそうです、しかしある時、地滑りにより社殿が現在の社地まで押し流されてしまい、これも神様の御心ということで、改めてこの地に祀ったそうです。
そして吾野駅前に向かうと、駅手前に「法光寺」という寺があります。ここは岡部氏の菩提寺で、吾野要害(りゅうがい)山城主・岡部新左衛門入道妙高が祖先の鎌倉御家人であった岡部六弥太忠澄の菩提を弔うため創建したと伝えられる寺です。最初は真言宗でしたが途中から現在は曹洞宗寺院です。岡部氏は武蔵七党の1つ猪俣党の庶流で、岡部六弥太忠澄は一の谷の戦いで平忠度を討ち取った人物として有名ですが、基本的に高崎線の岡部駅周辺を本拠地とする一族で、高麗川・名栗川周辺の伝承は同じ猪俣党の岡部氏であるのかどうなのかを疑問視する人も多いようです。また飯能周辺の岡部氏には元は武田信の家臣だった伝承を持つ家もあるようです。いずれにせよ、この寺には「至徳三年丙寅五月十二日開眼畢大檀那岡部新左衛門入道妙高」という記述の残る「木造地蔵菩薩坐像」がのこされています。
また線路を渡った向こう側の山の中腹にある「岩殿観音」の手前の宝生の滝の横に「岡部六弥太公無念の不動」と呼ばれる磨崖仏も残されています。ただこれに関して寺は弘法大師が描いた「爪書き不動尊」と言っているようです。岩殿不動尊の先には畠山重忠の馬の蹄の跡という石もあります。ただこれは石灰岩が浸食して蹄のような跡が残っただけの岩とも言えます。
吾野駅を過ぎ「唐竹白鬚神社」のところでまた線路をくぐり「岡部氏屋敷跡」を目指します。「唐竹白鬚神社」西武線沿線に多い、高麗人が霊亀2年に高麗郷に入植して各地に祀った神社の1つと考えられる神社で、唐竹の名はその時に高麗人が高麗から持ってきた竹を植えたことに由来するそうです。名前は、江戸時代までは白髭大明神と称していましたが、明治に唐竹神社と改称するも、その後神明社を合祀した際に白髭神社に戻されて現在に至っています。
線路をくぐって軽く登った場所にまず廃校になった坂石小学校跡地の広い平坦地があります。しかしここは「岡部氏屋敷跡」ではありません。「岡部氏屋敷跡」は字・中屋敷と呼ばれる標高240mの山の中腹にあります。『新編武蔵国風土記稿』南村の項に「りうがい山 村の南にあり 土人岡部六弥太忠澄が城跡なりと云(中略)堀石垣等の形僅存せり 是より東の方谷を阻て 物見山と云える所あり 北の方へ下る事五六町ばかりの所に愛宕社の小祠あり 其下に四五百歩の平地あり是を中屋敷と云」という記述も残っています。ただ本当に猪俣党出身の岡部氏だったのかはよくわからないそうです。
坂石小学校跡地から岡部氏屋敷跡に登る道は無いので、適当なところから獣道を使って登って行きます。しばらく進むと吾野駅方面にから登ってきた明確な山道にぶつかります。もしかしたら法光寺の墓地の横から登る道があるのかもしれません。その道を辿って行くと、標高240m付近で広い平坦地が出てきます。ここが「岡部氏屋敷跡」です。土塁や堀といった物は残されていませんが、平坦地の東北側に巨石に祀られた小さな神社があります。
岡部氏屋敷跡が平時の居館であるとするならば「りゅうがい山城」354mは、戦争時の詰め城や物見台のような存在です。登る道は先程の山道が上まで続いているので、それを辿って行けば問題なく到達出来ます。りゅうがい山城は山頂部分が狭い平場になっいるだけで、特にあとは何もありません。岡部氏屋敷跡自体が結構な高台にあり、かつては土塁なども残っていて戦闘行為にも十分に対応できる居館であったため、物見等の最低限の用事をこなせればよかったのではないでしょうか。
りゅうがい山から吾野から「前坂」に登る登山道に行く道も踏み跡とテープに書かれた標識があるので問題なく行けます。ぶつかったら「飯能アルプス」の「前坂」まで登り、左折して「大高山」493mを目指します。「飯能アルプス」の道は昔は無かった巻き道がこれでもかというぐらい作られていて、非常に楽に縦走できるようになっていました。「大高山」はこの辺りで一番高く特徴的な山というのが名前の由来で、特に鷹狩りとかは関係ないようです。展望は刈り払いがなされて良くなったのですが、季節柄木の葉が繁ってイマイチでした。
大高山山頂からまた登山道を外れて、今度は北東に下りて「平野峠」を目指します。ここで大きな道間違い!北ではなく北東の意識があったため、1本東側の尾根を下ってしまい、しょうがないので下りきったところにある沢から対岸をよじ登ろうかと思っていたのですが、沢まで来たら正しいルートの途中にある「埼玉テレビ吾野中継放送局」まで電柱とメンテナンス用の作業道が続いており、せっかくなんでその「埼玉テレビ吾野中継大高山493m」まで登り返して、正しいルートで下り返してみることにました。ところが中継放送局が思っていたより遥かに上にあったため、10分で行けるところが1時間近くかかってしまい、大幅なタイムロスになってしまいました。
埼玉テレビ吾野中継放送局に着いたら、そこから先は非常に良い道が尾根上に続いていて、労なく「平野砦跡」390mに到着することが出来ました。ここも岡部氏屋敷跡のような広い平坦地を持つ城(砦)跡で、築城者不明ではありますが、東北側に長い土塁と堀の跡が残っています。『新編武蔵国風土記稿』に戻ると、先程の岡部氏屋敷跡に関する記述の中に「是より東の方谷を阻て 物見山と云える所あり」とあるので、この「物見山」こそが平野砦だったのではないかと言われているようです。
平野砦から北に下ると林道に出るので、その林道を東に進み一番東側に行ったところから道なき道を下ると切り通しになっている「鎌倉峠」に着きます。『新編武蔵風土記稿』には「鎌倉峠 高麗郡西の限りにて、絶頂の高所は、当郡と秩父の郡界なり。峠は東西に通ずる一条の秩父街道にかかれり。険阻の峠にて、上井上村より5、6町ばかり登り、西の方へ下りて秩父郡南村に至る。土人ここを鎌倉坂と呼べり。相伝う往昔鎌倉全盛の日、秩父辺より彼の地への往来は皆ここに由ると、今この峠の北の方に間道あり、ここは土人のみ往返せり」とあります。ということであまり使われなくなってから相当たつようですが、それでも切り通しは残っています。
鎌倉峠から東に下った場所にあるのが「井上神社」です。高根神社とも呼ばれ、地元ではおたかね様とも呼ばれているようです。典型的な地形からきた神社ですね。井上の由来は井は水を指し、場所が川の上にあるところから付けられたものといわれています。
その下にあるのが「東神社」で、ここは高麗川に近いこともあって元は八雲社で祭神は牛頭天王だったようです。この辺は山間で土地が無いせいか、境内狭隘のため村社の基準を満たせず、三嶋社の社地があった現在地に遷座したそうです。当然三嶋神社は合祀。東は小字名とのこと。
そして国道299号をしばらく歩き東吾野駅に向かいます。駅前に「吾那神社」というのもあるのでついでに寄って行きます。ここは元は熊野社で、むかしは熊野平という峰上に鎮座していたようです。吾那は吾野の古い呼び名で「アガナ」と読みます。「上がった野」の意味で水田に適さない微高地を意味するそうです。また、吾野は元は武蔵七党の児玉党の越生氏の支流「吾那氏」の領地だったと言われており、そうすると吾那神社は居館か?と思いたくなるのですが、吾那氏の本拠地は越生梅林の近くの越生町堂山字堀ノ内にあったとのことで、吾野は単に領有していただけのようです。
東吾野駅は当然飯屋はなく、今日は暑くてペースが上がらず、しかも道間違いで大幅にタイムロスしたので、飯は家の近所で食べることにして、そのまま帰ります。
本陣山からイモリ山。そして子ノ権現、吉田山経由の遠回りで御嶽神社の紅葉祭りを見に行く。
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第16回山行 りゅうがい山・大高山・鎌倉峠。 - Biglobe
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