行程・コース
天候
晴れ
登山口へのアクセス
マイカー
この登山記録の行程
南公園駐車場11:50***籾山峠登山口11:56***雷電山12:20***石切場跡12:50***茶臼山13:57***駐車場14:45
高低図
登山記録
行動記録・感想・メモ
冬の訪れを告げる北風がカタカタと雨戸を揺らしている。
寝床の穴の開いた障子の隙間からは月明かりが漏れていた。
自転車を転がしていた高校生の頃は11月の下旬ともなれば冬一番が吹き、寒さに震え帰宅し、炬燵に真っ先に入っていたように思う。
最近は12月でも暖かい日が多いが、そんな暖かなある日息子が朝から家中の障子の張替えをし始めた。
その最中、息子が声を張り上げ、倉庫のドアを叩いた。
>とうちゃん、すげぇ生き物がいる!ちょっと来て、来て!!
>何だよ~うるさいな~障子の張替えは終わったん?
>良いから、来て、来て、
と、言われるままに母屋に行ってみると、息子が、良い、良く見てと、玄関脇に置きっぱなしだった肥料の土の袋を動かすと黒い影が飛び出し、さっとまた袋の下に潜り込んだ。
>見た、見た、でっかいヤモリだね。10cm以上あるやつはお父さんも初めて見たよ、親ヤモリだな、ここで冬眠するのかな、と二人で子供に戻ったような会話をしてはしゃいだ。
週末からのクリスマス寒波は日本海側で大雪になったが、関東でも毎日冷たい北風が吹いている。
あの大ヤモリは無事に冬眠できただろうか。
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久しぶりのハイキングです。
本日は群馬に仕入に出かけたが、夕方の待ち合わせだったので少し早く家を出て群馬の低山を歩いてきました。
そこで2,3時間で登れそうな桐生の茶臼山と吾妻山を候補に考えていましたが茶臼山に面白そうな場所を見つけたので行ってみることに。
桐生市ハイキングコース
https://www.city.kiryu.lg.jp/kankou/spot/hike/1002124.html
茶臼山周辺はたくさんのコースがあるみたいで参考にしました。
<藪塚石切場跡>Wikipediaより
藪塚周辺の八王子丘陵からは、今から凡そ二千万年位前に多くの火山活動によって堆積された軽石凝灰岩が地殻の変動で隆起し、各地に露出して藪塚石と呼ばれる凝灰岩の建築用石材が採掘されており、近村に販売されていたが日露戦争ごろに地元の有志が石材会社を設立してから採掘が本格化された[1][2][3]。質は柔らかく細工がしやすく価格も安かったので[4]、建築物の土台や塀、熱に強いことからカマドとしても発売されていた[5]。また都電の敷石にも使用されていた[6]。
1909年(明治42年)7月、藪塚石材軌道株式会社が設立され[7] [8]、1911年(明治44年)5月、藪塚石材軌道が太田 - 藪塚間に石材運搬用の専用人車軌道を開設した。そして10月には藪塚石材軌道は太田軽便鉄道へ社名変更をした[7]。かつては石切り場から藪塚駅まで馬車鉄道(トロッコ列車)が敷設されてもいた[9]。
1913年(大正2年)に東武鉄道が同社を買収すると東武桐生線となり、販路も関東諸府県(ママ)[10]から長野県に至るまで藪塚石の名は広がり、関東近県へ販売されていった。当時労務者は350人位であった[11]。このように藪塚石は大正時代に全盛期を迎えた[12]。
しかし藪塚石の欠点は火には強いものの水に弱く中に小石があること、層に割れ目が多いことなどで同質の大谷石と比べ多くの人件費がかかったため、大谷石が進出しはじめると質に於いてだんだん衰退していった。そして1955年(昭和35年)に閉山された[13][14]。近くには太田市立藪塚本町歴史民俗資料館があり同採掘場の歴史を学ぶことができる[15]。近隣には湯之入古墳群と呼ばれる北山古墳や西山古墳等があり、同古墳の石室に藪塚石を使用していることが確認できる
と言うわけで八王子丘陵北側を周回してみることにしました。
それでは出発します。
余談
真夏に父の病気が分かり、冬が来る前に亡くなった。
コロナ過で何処も入院すると見舞いにも看取りも出来ないと言うことで自宅介護を選んだが、世の中には家族にも会えずひっそりと亡くなる方も多いだろうと思うと世界が早くコロナ過の前の生活に戻れるように切に願います。
来年は穏やかな年になりますように。
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