• このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 参考になった

9本の山城堀切と陸軍壕・針木山

針木山(針木城跡)[須崎市]( 中国・四国)

パーティ: 1人 (マローズ さん )

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 参考になった

行程・コース

天候

晴れのち曇り

登山口へのアクセス

マイカー
その他: 高知自動車道須崎東ICを降り、国道56号を南下。県道23号の高架を抜けると、K‘Sデンキの建物に沿って左後方へ折り返す道路に左折し、県道23号に出て南下する。
押岡地区にあるヤマザキショップの先の坂谷橋へ右折して大谷ふるさと農道に入り、ヤマザキショップ東からの狭い道路が合流する地点に駐車した。

この登山記録の行程

駐車場所12:01・・・コンクリート歩道入口12:08・・・陸軍壕近くで休止後、西の支尾根を探査・往復12:42~13:47・・・針木山13:57・・・238.2m峰で休止14:35~15:05・・・駐車場所16:17

コース

総距離
約4.3km
累積標高差
上り約355m
下り約355m

高低図

GPX ダウンロード KML ダウンロード

登山記録

行動記録・感想・メモ

全国に無数に存在する中世の山城跡を擁する山は、標高300m未満のウルトラ・スーパー低山が多い。須崎港北東方向に位置する針木山(227.7m)の針木城跡では、山頂の詰の段を挟んで両側の尾根に合計9本の堀切が残り、深いものでは背丈をはるかに超える。この9本を横断して行くのは面白味がある。
また、9合目ほどの尾根直下では、偶然、陸軍の臼砲陣地のような壕も発見した。
この山の往復だけでは歩き甲斐がないため、尾根続きの238.2m峰まで縦走した。尾根に藪は殆どなく、海岸に近い低山では必ず見かける下草となったシダや雑木が多い。

[コース]
駐車場所からはヤマザキショップ東に出る狭い道を歩き、県道23号に出て西進。
左手に最初に現れる民家西角は、互い違いの私道を含んだ四差路になっているが、ここを北の狭い道路に折れる。
道路の向きが北向きから北東に変わってから、左手に一軒の民家を過ぎると、左手にコンクリート歩道が分岐しているが、ここがかつての針木山押岡コース登山口である。この道は民家の庭のような所を横切り、背後の竹林に入る。

竹林内には、道跡か地拵えされた土地なのかよく分からない平坦な部分が無数に錯綜しているが、「本道」はほどなく上がると左にカーブし、尾根上を削平した墓地に出て終わる。墓地から上は見た感じでは藪っぽく見えたので、少し引き返し、尾根の東直下の斜面を適当に上がり、尾根上が登り易そうになると、尾根に乗った。
地図を見て分かっていたことだが、実際、勾配は急できつい。しかし何十年か前までは、ここに明瞭な尾根道が付いていた。それだけに今でも藪は殆どない。
何分か登ると、国土調査か何かのマーキングテープが現れるようになる。

雑木帯やシダ帯を過ぎ、標高190~200m弱まで上がった地点でふと前方右下に目をやると、木々の向こうの斜面に「掘り込み」が見えた。そこに行ってみると、斜面を竪に掘った陸軍壕のようである。径は4~5m位だろうか。尾根側の深さは写真を見ての通り。現在は土砂が堆積しているので、戦時中はもっと深かったはずである。
位地的なことから言えば、これは臼砲壕の可能性がある。臼砲の弾道は大きく弧を描く。故に米軍が須崎港から桜川沿いに攻め上がって来た際、ここから発射される砲弾は尾根を飛び越えて米軍方向に向かう。

因みに陸軍は桜川を挟んだ北西の岩永周辺の山にも陣地を築いており、今でもトーチカ(当記録の地図の多ノ郷小学校南東にフラグを立てている)が残っている。城山(142.7m・防空監視哨跡あり)の北の犬戻城跡にも山砲を据えており、対岸の串の浦から箕越にかけては、四国最大級の回天基地があり、今でも多くの回天格納壕や発電室壕、出入口を秘密保持のため爆破した司令室(海軍第23突撃隊)壕跡等が残置している。須崎湾沖の海底には、終戦時に沈められた回天が眠っているはずである。

壕上方から西に延びる支尾根も少し辿ってみたが、残念ながら壕や隧道跡はなかった。
ここから山頂にかけてだったか、壕から手前の尾根だったか忘れたが、針木城跡の堀切が次々と現れる。最初は浅い堀切だったが、詰の段に近づいてくると、深い堀切も現れるようになる。岩盤を利用する形で削って造成した堀切は特に深く、見応えがある。
資料には城跡は330㎡の平坦部、と記載されていたが、三角点のある所自体は狭かったような記憶がある。残念ながら展望はない。
詰の段から先も堀切は連続して現れるが、岩盤を掘り割ったようなものはない。それでも下りてまた上がって、ということを繰り返しているうちに、童心に返って楽しんでいる己に気付く。

コース中の展望がないまま引き返すのは無念なので、東方の238.2m峰までの区間に、少しは展望が開ける箇所があるのでは、と、縦走することにした。しかし結局、期待した展望はなく、辛うじて南の御領寺(おんりょうじ)山(264m)周辺が木の間越しに伺える程度だった。238.2m三角点周囲も雑木とシダ群で、展望はなかった。「レジェンド」MH2氏の登頂記念板には「押岡山」と記されていたが、彼は土佐町の「天火荒」を天賓阿礼山と記したり、北川村の「矢筈谷山」を四郎ケ野峠山と記したりしているので、表記の山名を鵜呑みにすることはできない。

帰路は、針木山から下方のマーキングテープを最後まで追ってはいけない。それは登山口のある「押岡中」集落ではなく、西の「押岡下」方向に下っているからである。

続きを読む

フォトギャラリー:17枚

すべての写真を見る

装備・携行品

シャツ アンダーウェア ダウン・化繊綿ウェア ロングパンツ 靴下 レインウェア
登山靴 バックパック 水筒・テルモス ヘッドランプ 帽子 グローブ
地図 コンパス ノート・筆記用具 腕時計 カメラ ナイフ
行動食

みんなのコメント

ログインして登山記録にコメントや質問を残しましょう

登山計画を立てる