行程・コース
天候
曇り
登山口へのアクセス
マイカー
その他:
山陽自動車道・志和ICを降り、県道83号を北西に進む。そして最初の信号がある「西志和小前」交差点を南西に折れる。
変形四差路のカーブに突き当たると道なりに西へ進み、すぐ左手に現われる「日栄商事株式会社志和第2工場」の看板を見て、その道に左折する。
500mほど南西に進んだ所の左手に「海軍山登山道案内図」が建てられているので、確認しておく。
日栄商事手前の三差路まで進むと南に折れ、適当な路肩に駐車する。その三差路のやや西に道標有。
この登山記録の行程
駐車場所9:28頃・・・海軍山と三本山との分岐9:35・・・東西に伸びる尾根の三差路9:45・・・大谷山10:19・・・30分ほど各戦争遺跡を写真撮影して休止・・・11:28駐車場所
※コースタイムは正確ではない。
高低図
登山記録
行動記録・感想・メモ
2010年代後半、広島県のニュース番組や新聞で、広島市安芸区と東広島市の境界に位置する大谷山(海軍山514m)と、その南東尾根にある海軍中野村聴測照射所の戦争遺跡が取り上げられた。まだ米軍機の飛来を感知する海軍のレーダーが全国的に行き渡ってなかった昭和16年、聴音機や探照灯でそれに代用する基地が建設された。敵を欺くため、基地名には所在地とは異なる村名が付けられた。
聴音機や探照灯、兵舎等は終戦時に撤去されたが、今でも指令棟(戦闘指揮所)やGHQに爆破された退避壕の残骸、油脂庫、水槽等が残っている。
登山口は日栄商事の門の横、車道の舗装が途切れる地点だが、地形図ではまだここから林道が続く。しかし路面が荒れていることや、平日は日栄商事関係者の車が駐車してあるため、車の乗り入れは困難。
その林道を歩いていくと、海軍山と三本山(459m)との分岐に到る。当方は帰りのフェリーの時間を気にしていたこともあり、海軍山に直登するコースを選んだが、三本山に最初に登り、海軍山へと回遊した方が、点在する戦争遺跡を見逃すことなく巡ることができる。
海軍山への方向に右折するとすぐ沢に出るが、ここで一旦踏み跡が消える。複数箇所にマーキングテープがあり、ルートを思案していたが、渡渉して北東に上がる踏み跡が正規コースだった。雑木の斜面を上がるが、踏み跡が薄くなっている区間には虎の子ロープが設置されている。
南西に上がる尾根に出ると、ここからの尾根道は明瞭。
山頂一帯は海軍によって削平されている。最初に現われるのは、直径十数mの円形の穴で、その中心部には直径70cmほどの聴音機の台座基礎があり、10本ほどのアンカーボルトが付いたままになっている。
その南東にはコンクリートの建物と小さな水槽、屋外便所跡が残る。屋根は土を盛って擬装している。中はがらんどう。
その先の通路を南西に下りた所は地形を大規模に掘り下げており、兵舎跡、烹炊所(炊事場)跡、風呂場跡、変電棟等の基礎、貯水槽等が残っている。
そこから南西に上がると土砂に埋もれ気味の上水貯水槽があり、更に登って山頂部の一角に出て、少し山頂方向に向かうと聴音機の竪穴より一回り小さい、直径5~7mほどの円形の穴があり、中心部には直径1m少々の探照灯の台座基礎があり、6本のアンカーボルトが設置されている。
更に北東へと引き返すと、平地だけの管制塔跡やGHQに爆破されたコンクリート造りの退避壕がある。爆破されているので、地下に降りることはできない。
ここからは、油脂庫等が残る尾根に下ろうと思ったが、前述の海軍山登山道案内図が一部間違っていたことや、尾根の幅が広がっていたことから、すぐにルートは分からなかった。が、よく地形を観察すると、指令棟の下方に目指す尾根が続いていることが分かり、下る。ここには道標が欲しいところ。
少々下るとなぜか道標の矢印が尾根とは違う北方向を指していた。てっきり、谷の導水管関連施設跡へ行くものと思い、左折したのだが、明確な遺構は見当たらず、往路の尾根に出てしまった。強風か大雨等でさきほどの道標のプレートが正規コースとは違う方向を向いていたのだろう。しかしまた引き返すと時間のロスになる。帰りのフェリーの便を一便遅らせるといいのだが、そうすれば自宅へ帰り着くのが深夜0時を回ってしまう。仕方なく油脂庫等のあるエリアは諦め、元来た道を帰って行ったのだった。
フォトギャラリー:8枚
装備・携行品
シャツ | アンダーウェア | ダウン・化繊綿ウェア | ロングパンツ | 靴下 | レインウェア |
登山靴 | バックパック | 水筒・テルモス | ヘッドランプ | 帽子 | グローブ |
地図 | コンパス | ノート・筆記用具 | 腕時計 | カメラ | 熊鈴・ベアスプレー |
行動食 | トレッキングポール |
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