行程・コース
天候
29日 7時まで雨のちに晴天
30日 終日晴天 夜間から強風及び雪
31日 時折雨 12時ごろから本降りに
登山口へのアクセス
マイカー
その他:
伊折のゲート前に駐車。
この登山記録の行程
Start(06:52)・・・中山登山口(09:11)・・・馬場島(10:04)・・・三角点(15:36)・・・早月小屋(17:19)・・・2600m標識(07:21)・・・剱岳(09:57)・・・早月小屋(17:29)・・・三角点(07:46)・・・松尾平(09:29)・・・馬場島(10:27)・・・中山登山口(11:05)・・・Goal(13:30)
高低図
登山記録
行動記録・感想・メモ
公開漏れを遅ればせながら…
毎年恒例の年末合宿。今年は試練と憧れの剱岳を目指すことになった。元々はこうした雪山登山では自らでラッセルして自らで担いで登り挑戦していくことに魅力を感じており、多くの入山者がいる年末年始の剱岳に対して高いモチベーションはなかった。そして怠惰な性格故に20日前の計画書の提出も剱岳に登らない理由となっていた。しかしまだまだ暖かい11月の段階において早月尾根の計画の誘いがあり、良い機会なので便乗させてもらうことにしたのである。
この行動記録は異常な暖冬や雪の少なさ、天候の安定、先行パーティーの存在が大きく影響しているため参考にするのは不適切かもしれないのでそれを考慮いただきたい。
28日 仕事を納め...(あまり納まっていなかった)、離京。ほとんどの食糧計画を同行者が引き受けてくださり感謝。魚津ICを経由して馬場島へ向かった。車内では天気について話し合う。予報では29日30日はかなりの好天。31日から悪天、2日の午後から回復するとのことだった。これに基づけば30日にアタックを出来なければ2~3日間は停滞する可能性がある。回避するには29日中にアタック圏内まで標高を上げることが必要だった。馬場島から早月小屋まで標高差は1500m。冬山でこの標高を稼ぐことは不可能なことであるはずだが勝算があった。28日に登頂したパーティーの存在である。彼らの新しいトレースを利用すればチャンスはあるのではと思案した。明日に向けて馬場島にて車中泊。
29日 7:00伊折 9:30馬場島 10:10早月尾根取付 11:20松尾平付近 17:00早月小屋
標高1500m稼ぐ為に早起き。しかし車を大きな雨粒が叩く音が響いている。伊折から馬場島まではヘッドライトで行動すればと思っていたが初っ端から雨に濡れたくないので2度寝。空がすでに明るくなった7時に出発となった。
早月尾根の取付付近で下山中のパーティー2組に会う。先にトレースのお礼を言った。以降はただただひたすらに登る。15時を過ぎたあたりでパーティーの2人がペースが落ち込んだこともあり、自分ともう1人で幕営装備を持って先行することにした。先にテントを張って食雪(雪を溶かして水づくりすること。一部では食雪と言っている)をして迎え入れようという算段だ。しかしこの作戦はあまりうまくいかなかった。重たくなったマカルー80Lに体力を吸われて自分までもがペースが落ちてしまったのだ。雲海広がる夕陽を背に地獄の歩荷。少し進んでは息を整える。苦しすぎる。しかしテントを張っておきますねと言った手前、後続に吸収される訳にはいかない。歩きたくない。でも歩かないと進まない。久しぶりに地獄を楽しんで早月小屋に辿り着いた。一から雪を慣らしてテン場を作る気力はなく風雪を防げそうな小屋の陰にテントを設営した。これやるとトイレが遠いんだよなぁなんて思いながら目の前の楽な道を選んだ訳である。夕飯を作って食雪を終えたころには22時。かなりの疲労感はあったがこれで明日アタックしなければ今日の苦しみが全て無駄になる。しっかり寝て回復させた。
30日 ?出発 9:00シシ頭 10:00山頂 11:00シシ頭 15:00帰幕
勝負の日。このアタック、敗退してもチャンスはあるが今回よりも登頂の可能性は下がるだろう。しかし、ここまでは体力的に苦しいだけで楽々来れたが、ここからは技術的に厳しくなるのでガンガンに攻める姿勢ではいられない。様々な要素が求められることは間違いない。早月小屋付近に他パーティーが1組。更に上部(早月小屋から20分くらいの場所)に1組がいた。上部パーティーが先行しておりここでも有難くトレースを使わせて貰う。シシ頭は夏道のトラバースが若干見えてはいたが、時間がかかってもセオリー通り直登して懸垂下降した。60m1本を折り返してもあまりがあった。懸垂支点は岩角とハイマツを掘り起こして連結したものを利用した。天気は良いとは言え、風は強く頬を叩く雪が痛いくらいだった。山頂直下のルンゼも氷化していた。アルパインクライミング的には簡単だが登山としては危険度は高いだろう。ルンゼで懸垂下降中の他パーティーとすれ違う。ルンゼを越えれば別山尾根に合流。稜線をすこし進むと山頂だ。自分の先輩は冬の剱に登って感極まり涙を流したと聞いた。しかし、山頂での自分は嬉しかったがそこまで感情は揺さぶられなかった。それは私がこの山にそれだけ賭けられていなかった証拠なのだ。山頂は風が強いので源次郎尾根側に少し回り込み休憩。後続が山頂に着いたタイミングで下降に移る。直下のルンゼは60m2本で懸垂。降りられる所まで降りて60m丸々だ。クライムダウンも可能だろうが急ぐ理由もなかったのでどんどんロープを出すこととした。しかし懸垂を待つのは寒いので嫌いだ。緊張感のあるセクションを越えたらあっという間に小屋。明るいうちに降りてこれたので明日からの悪天に備えてさらに下ることも考えたが、緊張感からの解放と疲労。なにより大量に余った食糧もあったので休むことにした。翌日は悪天の中でもその日のうちに伊折まで辿り着くだろうと考えた。その夜は食べたいものを食べたいだけ食べて就寝。
31日 ?出発 10:00馬場島 13:00伊折
朝食のパスタをゆですぎて失敗。最後の最後にしくじってしまって反省の朝からスタート。予報通りの天気の悪さでハードシェルはびしょびしょだった。ただただ下り続けるが明らかに雪が少ない。GW位の感じだろうか。松尾平を越えて最後の下りでは冬なのに土が出ていてドロドロな感じ。地球温暖化も来るとこまで来たようだ。
お決まりの試練と憧れの前で写真を撮り、県警に挨拶を済ませて伊折まで向かった。もはや最後は集中力などなくただただ歩いていたのであった。帰りは満天の湯。そして牛角に寄って帰京した。自宅には22時半位に着き予想外にも年越しを家で過ごす結果となった。
今回の山行を通して、登山というものは登った山の名前で推し量ってはいけないということを強く感じた。どういったコンディションで登ったのかなど考慮する必要がある。今回に関しては自分が冬の剱を登ったとは言い難いということである。









