行程・コース
天候
1日目:晴れ、2日目:晴れのち雨、3日目:雨のち曇り
登山口へのアクセス
マイカー
その他:
県有公共駐車場(P3)。新穂高センター(奥飛騨温泉郷観光案内所、綺麗なトイレあり)の正面にあり、笠ヶ岳や槍ヶ岳の起点としてもっとも便利な駐車場。しかし、盛期のみ開設で、16時になると閉鎖されるため、下山が遅れると出庫できなくなるため要注意。1泊1,200円×3日分(HPには1,000円と書かれていたが値上がりした模様)。
この登山記録の行程
1日目:新穂高センター(03:00)・・・穂高平小屋(03:50)・・・チビ谷(05:24)・・・滝谷避難小屋(05:50)・・・藤木レリーフ(06:01)・・・槍平小屋(06:48)・・・千丈沢分岐(08:52)・・・千丈沢乗越(09:44)・・・槍ヶ岳(12:08)・・・槍岳山荘(13:28)
2日目:槍岳山荘(03:59)・・・飛騨乗越(04:08)・・・大喰岳(04:38)・・・中岳(05:22)・・・南岳(06:38)・・・南岳小屋(06:45)・・・大キレット・・・最低鞍部(08:04)・・・長谷川ピーク(08:36)・・・A沢のコル(08:58)・・・北穂高小屋(10:40)(休憩~11:10)・・・北穂高岳(11:27)・・・北穂高岳南峰(11:48)・・・涸沢岳(14:02)・・・穂高岳山荘(14:15)
3日目:穂高岳山荘(05:20)・・・荷継沢・荷継小屋跡(07:27)・・・白出沢口(09:20)・・・滝谷避難小屋(10:03)・・・新穂高センター(10:49)
高低図
登山記録
行動記録・感想・メモ
長年、温めてきた計画があった。
新穂高温泉から槍ヶ岳に登り、大キレットを経て北穂・奥穂からジャンダルムを攻略し、西穂経由で戻ってくる。
数年前、満を持して実施の決断をしたと同時に、新型コロナが押し寄せてきて、社会生活を一変させてしまった。登山どころではなくなり、中止を止む無くしたが、タイミングを逸した影響は大きく、以前は長距離であろうが難易度が高かろうが全く問題にしていなかったのに、年を重ねるごとに体力の衰えが目立つようになってしまった。これ以上は延ばすと完全に行く機会を失ってしまう気がしたので、コロナ明け2年目の夏となる今年に再度、実行を決意した。
「今年やりますよ!」と仲間に宣言したところ、計画に興味を持った3人が冒険に加わることとなった。
しかし、冒険は計画段階から波乱万丈。
当初7月連休を予定していたが、梅雨明けが遅れて天候条件が整わなかったことから8月お盆時期に日程を変更した。ただでさえ予約が取りづらい「槍ヶ岳山荘」と「穂高岳山荘」。緊張しながらパソコンの前に待機し、時計を見つめながら予約開始とともにキーボードを叩いたのは忘れがたい想い出となった。そのためだけに会社を2回も休んだ仲間にも大感謝だ。
最悪だったのは、計画立案後に腰をやってしまったこと。危険が伴う場所なので万全の状態で挑戦したかったが、トレーニングを控えおとなしく完治を待ったものの、結局、痛みは治まらずコルセットを巻いた状態で当日を迎えることになった。
ダメ押しは、「南海トラフ地震注意警報」の発報。出発のため帰省する途中の上野駅で、待っていた新幹線が神奈川県西部で発生した震度5弱の地震の影響でSTOPしてしまった。危うく「山に行けない」とビビってしまった。
地震・雷・火事・おやじ。。。
「南海トラフ地震」と「腰痛おやじ」のカードが揃い、更に「雷(台風7号の接近)」がやってくるという。文字通り暗雲立ち込めていたが、予測しづらい天候に悩んでいても仕方がないと、とにかく現地に入ってやるだけのことはやってこようと覚悟を決めた。
8月11日、お昼前に自宅を出発。
山仲間の車でピックアップしてもらい、ゆっくりと現地を目指す。登山開始時間に合わせて移動することも考えたが、新穂高温泉は上高地と並んでメジャーな山の登山起点となるため、駐車場を心配して早めに現地に入り身体を休める作戦とした。
駐車場のおじさんが「ここ数年で一番混んでいた日」と言っていたが、狙い通り我々が到着した頃には帰る人も多く、「新穂高温泉のバス停」手前にある一番便利な有料駐車場に停めることができた。多分、その手前にある無料駐車場でも大丈夫だったのかも知れないが、利便性を優先して有料駐車場を選ぶことにした。2泊3日で3,600円也。ただし、この駐車場は16時になると閉鎖されてしまうため、下山時間に注意しないと帰宅できない事態が発生するため要注意だ。
暮れていく新穂高温泉をプラプラと散歩しながら時間をつぶす。
夕方になるにつれ、霧がせり出してきた周囲の山を覆い隠していった。
槍ヶ岳がある方角を見つめ、「ついに長年温めてきた計画が始まるんだ!」と感慨深くなった。
バス停横のテーブルを陣取り、買って来た弁当とビールでプチ宴会を始める。そうこうしているうちに、今回、唯一関東からの参加者が遅れてやって来た。全員が揃い総勢4名のメンバーとなった。再会と決起を期して全員で乾杯をした。いつの間にか陽も落ち暗闇になっていたが、楽しげな笑い声が響き渡っていた。
計画初日は、距離が長いうえに高度差があるため体力を蓄えておくべく早めに宴会を切り上げて、仮眠をとることにした。1台の車に3人は厳しく、体温で社内の室温が上がり汗ダラダラで辛かったが、それでもなんとか仮眠をとって予定通り3時にオンタイムで出発をした。
新穂高センターの右側を抜けて林道「右俣谷林道」をひたすら登っていく。
歩き出すとすぐに玉のような汗が噴き出してきた。地図は読み込んでいたので、距離は理解していたが、真っ暗闇に果てしなく続く林道は精神的にきつい出だしだった。
林道の無限地獄に嫌気がさして、ショートカットを使って一気に「穂高平小屋」を目指すことにした。深夜に歩くには険しい山道だが、長々と林道歩きするよりはラクチンで、気が付くと穂高平小屋の目の前に出ていた。
小屋前のテーブルで、軽く水を飲んで一息を入れる。
再び林道を歩いていくと、徐々に周囲が明るくなってきた。
林道の終点で大きな涸れ沢にぶつかった。ゴロゴロと転がる石を乗り越えて沢を横切ると、ようやく本格的な登山モードへと入っていく。
心配していた腰の痛みはコルセットのお陰でなんとか歩くことができたが、とにかくザックが重い。歩き出す前に秤で重さを量ったところ17.8kgあった。もはやテン泊並の重さ。我ながらいったい何を詰め込んできたのだろうと、素人並みのパッキングに恥ずかしくなった。
槍平小屋に到着。
新穂高温泉から槍ヶ岳山荘までは約2,000mの標高差があるが、槍平小屋はその半分くらいに位置している。標高的には半分と言っても、ここまでは比較的、長い距離をかけてゆっくり登ってきたが、ここから後半戦となり壁のような斜面を一気に登っていくため、いよいよ重力との戦いとなる。
歩き出してすぐに、右手頭上にギザギザした形状の険しい稜線が見えた。その中に盛り上がった巨大な石柱が確認できた。吹き上がったマグマがそのまま固まったような荒々しい出で立ちをしている。
「ひょっとしてジャンダルムか?」
似ている岩は沢山あるが、風格まで纏っている岩はそうはない。位置的にも、現在のコースからジャンダルムが見えてもおかしくはなかった。
高度を上げると徐々に視界が開けて、前方に緑に染まった斜面が見えてきた。アルプス特有のカールの風景がそこに広がっていた。
振り返ると巨大な山が雲の上から顔を出していた。存在感のあるその山は、まぐれもなく「笠ヶ岳」。
笠ヶ岳に元気をもらいテンション爆上がりでザックの重さも忘れ登っていく。
「千丈沢乗越分岐」で小休止を入れた後、分岐を左に折れて「千丈沢乗越」へ向かって登って行く。そのまま真っすぐに進み「飛騨乗越」経由で登るルートもあるが、出発前に隊長(今回お留守番)が「稜線上の絶景を楽しみたかったら絶対に千丈沢乗越だ!」と言った言葉を信じて進む。
遮るものが無くなり強烈な陽射しがむき出しの腕をジリジリと焼いていく。
ついに斜面のトップにたどり着き、「1,2,3」と数えて稜線の上に出ると、心情表現として「ドーン」という効果音とともに壮大なアルプスの眺望が目に飛び込んできた。
立っている稜線はいわゆる「西鎌尾根」。自分の先に大好きな「双六岳」や「三俣蓮華岳」があると思うだけで、また行きたくなりワクワクしてくる。
呼吸を整えて、今度は槍ヶ岳に向かい反り返るような急登を登っていく。あまりの急登に、槍の穂先が見えているにも関わらず、全く近づいている気がしなかった。
肩に食い込むザックに耐えかねて「まだか!」と思った瞬間、ようやく槍ヶ岳山荘にたどり着いた。目の前には槍が聳えている。一日目のゴール達成に感無量だった。
奇しくも今日は日本最難関と呼ばれる山岳レース「TJAR」の2日目。槍ヶ岳山荘は、そのコース上にあることから、選手たちを迎えるべくTJARのスタッフが待機していた。以前、選手として参加していた先輩を応援するために、TJARの開会式に二度ほど駆け付けたことがあるが、今や選手もすっかり世代交代をしてしまい、その先輩も今回はスタッフとして今頃、担当の南アルプスへ向かっているはずだった。どんどん到着する選手を生で見て、当時を思い出して懐かしくなった。
計画よりもかなり早く到着できたので、小屋のチェックイン前に槍の頂へ登ってしまうことにした。
見上げると、槍の頂に向かって多くの登山者がアリンコのように列を作りながら登っていた。ヘルメットを装着して、我々もさっそくその列に加わる。
鋭く尖った特徴的な頂は、まさに槍の矛先のような岩の塊だった。その頂を目指し、交互に出現する鎖と梯子を使いながら登っていく。
昔は登りと降りで渋滞が発生していたが、現在はルートがきちんと分かれているため、大した待ち時間もなく登ることができるのでとても有難かった。岩稜地帯&鎖場大好きの自分にとっては最高の遊び場だった。
千丈沢乗越を登っていた時点では快晴だった空も、どんどんガスが沸きあがってきて、頂に着いた頃は真っ白になっていた。それでも僅かに青空が残っていたのはラッキーと、急いで記念写真を撮ることにした。仲間の一人が持ってきたとんがりコーンを指に挟み、槍ヶ岳の看板をみんなで囲んだ写真はきっと良い想い出になるだろう。
登頂の余韻をもっと楽しみたかったが、狭い場所にどんどん人が登ってくるため、写真撮影を終えた人は速やかに下山するという暗黙のルールに慌ただしく下山することにした。
槍ヶ岳山荘でチェックインを済ませ、部屋へ荷物を運ぶ。
上下二段のベットが対面にある総勢16人の部屋だった。我々の割り当ては入って左側の上段ベットだった。
部屋の中が蒸していたので荷物を置いて、外のテラス席でゆっくりとくつろぐことにした。
350mlの缶ビールを一本購入(600円也)し、持ってきたおつまみを添えて、「カンパーイ」と1日目の達成を皆で祝う。
テラス下を覗き込むと、急峻に延びる「東鎌尾根」の先に「殺生ヒュッテ」や「ヒュッテ大槍」の赤い屋根が見えた。
「うーん、ビールが旨い」。今日頑張ったご褒美だ。
ビール缶一本で止めておけばよかったが、その後、先輩が持ってきたウイスキーの誘惑に負け、つい手を出してしまったのがいけなかった。ぐっと飲み干した瞬間「カァーーーッ」と喉の奥が焼け、それが美味しくてまたグイッとやってしまう。ロレツが回らなくなるまでにはそれほど時間は要さなかった。全員の会話が成り立っていたのかは疑問だったが、とにかく皆の笑い声は絶えることなく楽しいひと時が流れていった。
夕陽が傾いてきた。よく見ると競り上がって来た雲の上に、何かの影が見えた。ブロッケン現象だ。それに気が付いた人たちが、手を振りながら自分の影に向かって大きな声で「おーい」と叫んでいる。まるで子供のようだった。
夕陽が沈むまで眺めていたかったが、再びぶ厚い雲がやってきたので、今日の夕陽は期待できないと、夕飯に備え小屋へ戻ることにした。
5時少し過ぎ。山小屋スタッフの声を合図に食堂へなだれ込む。待ちに待った夕食の時間だ。
正直、おかずは期待外れだったが、熱いお味噌汁とホカホカのご飯がとにかく美味しくて、それぞれお代わりをした。沢山、体力を使った日なのでしっかりと栄養補給だ。
食事を済ませた後は、明日からの更に厳しい工程に備えて、早々に就寝することにした。
消灯前だったが、部屋に戻りベットに転がった瞬間、見事に記憶が飛んでいた。先輩曰く、「ガーガー」といびきが煩くて眠れなかったとのこと。でも、これはきっとお互い様だろう。。。笑
かくして、冒険一日目が終わった。
1日目の記録:
https://www.yamakei-online.com/cl_record/detail.php?id=303859&preview_flg=1
2日目の記録:
https://www.yamakei-online.com/cl_record/detail.php?id=303860&preview_flg=1
3日目の記録:
https://www.yamakei-online.com/cl_record/detail.php?id=303861&preview_flg=1



































