行程・コース
この登山記録の行程
二荒山神社前(06:40)・・・三合目(07:16)・・・四合目(07:38)[休憩 1分]・・・八合目(08:11)[休憩 2分]・・・男体山(10:08)[休憩 60分]・・・志津峠(13:05)・・・湯殿橋(13:34)・・・梵字飯場跡(14:07)・・・裏男体山林道起点(14:30)・・・三本松(14:42)
高低図
標準タイム比較グラフ
登山記録
行動記録・感想・メモ
山渓のサイトに「縦走」コースが紹介されています。
男体山山頂から志津峠を経て、戦場ヶ原(三本木)へ向かうルートです。
ここを歩いてみよう、と思いました。
が、
最近の投稿を見るとピストン(往復)ばかり。
どーしてでしょう。
そんな疑問やら不安を抱きながら栃木県へと向かいました。
山行を終え、帰宅してから分かりました。
ははあ、そういうことだったのか。
〇「縦走」コースについて
前泊したゲストハウスの方に相談すると・・
そこを歩く人はほとんどいません。
暗くなるのも早くなってますし、お勧めはしません。
とアドバイスされたので、あっさり計画変更。
ピストンすることにして寝ました。
翌朝、食事を摂っていると宿の方から
「昨夜、頂上付近は初冠雪だったそうです。寒さ対策してくださいね」との言葉。
外に出ると気温は-2℃。
雪で白くなっている登山道が浮かんできて、やっぱりピストンです。
〇後で知った「注意書き」の一文
クルマを中宮祠(ちゅうぐうし)のPへ停め、登拝受付へ。
用紙に記入し、入山料千円を添えて申し込みます。
その際、参考程度にお尋ねしました。
私:志津峠を経て三本木へ下りることは可能ですか?
社務所の方:行けますよ。奥宮を右に進んでください。
そう返されたものですから
封印したはずの「縦走」案が復活するという何という己の優柔不断さ。
後は、体調・天候次第で判断ということにして登拝口をくぐりました。
実は、
帰宅してから分かったことですが、
記入用紙の脇に「登る前に必ず読んでください」という紙が置いてあって、
そこに⑤「下山時も同じルートを通ってください。」と書いてあったのでした。
その注意書きを単なるルート案内だと勝手に思い込み、手に取ることもなく、
すなわち読まずに受付へと足早に進んだのでした。
これを読んだら良識ある登山者の10人中10人は、ピストンで下りるでしょう。
しかも、
社務所の前の看板に登山者への注意喚起としてこう書かれていました。
「志津方面への下山や縦走は危険度が増し、上級者以外おすすめしません」と。
男体山登山の投稿記録がピストンばかり、というのはそういうことなのでした。
撮ってきた写真を見ていて初めて分かりました。
〇コースについて(概要)
クルマを中宮祠に停めました。無料です。
登拝口より標高を上げていき、1時間で4合目の鳥居に到着。
そこから2時間ほどかかって8合目あたり。
遮るものがなくなって、展望はすばらしいの一言。
すれ違う下山者が「降りるのもったいないね、ずーっと居たいね」に共感です。
山頂で小一時間ほど過ごし、志津方面へ下山開始。
正面には、大真名子山、女峰山がどーんと見えています。
志津峠からは舗装された林道歩き。
三本木バス停でバスを待ちます。
〇下山コースの様子
1.山頂(奥宮)~志津峠
山頂から700mほど下りていきます。
往路と違って岩場はありません。
これまでの経験からすれば、樹林帯をひたすら下りていく「あるある」の山道でした。
トラバースっぽいところが1つありましたが、
梯子も鎖もなく、ハラハラどきどきすることもありませんが、
なかなか志津峠に着きませんでした。
話に聞いていたように、誰も歩いていません。
静かです。
・・・と思っていたら突然、前方から登って来るグループが現われて
双方でびっくりしました。
小学生らしき子ども2人を含むママさん達は志津峠から男体山を目指すレアなコースどり。
すごいね! 気を付けて、と声をかけました。
志津小屋(避難小屋)までは、1時間40分かかりました。
2.志津林道歩き~戦場ヶ原(三本木)
志津小屋から少し歩いて行くと林道に出ました。
15:06発のバスがあるので、少々急ぎ足。
1時間40分を要して三本木バス停に到着しました。
野鳥観察をしている人から「クマは大丈夫だった?」と心配されました。
〇その他
1.中宮祠(ちゅうぐうし)とは?
日光二荒山神社には3つの境内があって、
中宮祠は本社と山頂の奥宮との中間にある祠(ほこら)ということだそうな。
2.男体山とは?
ご神体が男体山。
御祭神は男体山と女峰山、太郎山の3神。
山頂で1万点を超える遺物が出土している。
噴火は7000年前。活火山。
2003年 標高2484mが2486mに直される。
※県西部の端にあることから標高2484mより「にしっぱち」と呼ばれていた。
登山禁止期間は、11月12日~4月24日。
志津口からもダメ。
3.二荒山神社
782年 勝道上人が残雪期(4月上旬)に登り、3度目にして登頂。(wikipediaより)
1701年 本殿、拝殿建立
1975年 初登頂1200年を記念して山頂に石鳥居建立
1999年 世界遺産登録
2012年 倒壊した鳥居を檜製として再建
1877年に奉納された鉄剣は折れていたため、ステンレス製のものが奉納。
ちなみに山頂の刀の長さは3.6m。
※鎌倉時代より、多くの武将により日本刀が奉納されてきた。
「扇の的弓道発祥の地」の石碑
毎年8月4日、那須与一の故事にちなんで扇の的を射る大会がある。
およそ50年前から開催。
30m先の湖上に浮かぶ的を射る参加者は1500人前後いらっしゃるらしい。
4.下山中のリボン
下降中、コースにはトラロープ、ピンクリボンがあり道迷いはほぼなし。
「8309登山隊」と書かれたオレンジの布切れは何?となった。
ある国の登山者によるマーキングらしい。現地でもその行為は批判されているそう。
5.シカの侵入対策
志津林道を進んでいるとき、突然ガオーと大きな鳴き声がして魂消た。
赤外線センサーに反応する音声発生装置があって、
防止柵の開放部からの侵入を抑える効果があるとのこと。
グレーチング(鉄格子)の設置。
シカの蹄の大きさに合わせた幅になっており、歩きにくくして侵入を抑えている。
6.前泊
奥日光ゲストハウスJUNに宿泊。5500円。
県営湖畔大駐車場の向かい。
シャワー、レンジ、給湯施設有り。
宿泊者のほとんどは外国の方々でした。
7.深田久弥著「日本百名山」より
・男体山の標高が2484mと記されている。
昭和39年に刊行されているためである。2486mとなったのは、2003年から。
・氏は、空海の書いた「性霊集」が実証性のある資料としてその概要を紹介している。
初登頂が勝道上人(48歳)によって782年になされたこと
途中二夜のビバークをしたこと
これまでに2度登頂(767年と781年)を試みており、今の暦で4月から5月の候であること等
・男体山という名の由来
二峰並立の山があるとき男神、女神とするわが国の習わしがあることから、であろう。
・氏が登ったのは1942年。8月の奥宮登拝祭の期間
1903年生まれだから当時39歳か
令和7年の男体山登拝大祭は7/31~8/7に行われており中でも8/1~8/3は
午前0時開門となり夜間登山。約500人が山頂に立ったらしい。(驚)


























