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茶臼山城防空監視哨跡と坂東山

茶臼山、坂東山(四万十町)( 中国・四国)

パーティ: 1人 (マローズ さん )

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行程・コース

天候

曇りのち晴れ

登山口へのアクセス

マイカー
その他: 高知自動車道四万十町中央ICを降り、国道56号を北上。平串バス停を過ぎて左手に6軒目の橋本自動車を見送ると、左側の路肩が広くなっているので、そこに駐車。

この登山記録の行程

駐車場所12:02・・・稜線12:24・・・茶臼山周辺で壕や堀切等を見学13:05~14:04・・・二ヶ所ほどの尾根の分岐でルートを誤り、引き返す・・・往路の稜線起点14:28・・・坂東山で休止14:46~15:07・・・坂東山北東の最低鞍部北のピーク15:17・・・往路の登山口付近15:35・・・駐車場所15:44

コース

総距離
約3.7km
累積標高差
上り約266m
下り約265m

高低図

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登山記録

行動記録・感想・メモ

[監視哨の聴音壕と城跡の堀切]
「防空監視哨」とは、今年1月に投稿した愛南町の深草山防空監視哨跡でも触れたが、戦時中、敵機来襲を監視するため、予想飛行ルート上の山や高層の建物の屋上に設けられた施設。24時間体制で監視し、敵機を察知すれば専用電話で県警の防空監視隊本部に連絡していた。

高知県には多くの監視哨があったが、茶臼山(401.6m)には地下に掘った竪穴に設置されたコンクリート造りの聴音壕が残っている。直径約3.5mの円筒形の構造物で、この中に入り、敵機の音を聴いていた。地下は雑音が殆どしないため、音を聞き易いのである。

茶臼山防空監視哨は中世の茶臼山城跡に造られている。聴音壕は詰の段(山頂)、哨舎は二の段に建造された。山頂から下方に三段ほど、山頂周囲を巡った腰郭がある他、舌状郭や堀切も確認できる。

この茶臼山は北の河原越トンネルから登れば、散策程度の超短時間で登頂できるが、それでは面白くないので、尾根続きの坂東山(377.6m)を往復縦走することにした。
坂東山は何の変哲もない植林山だが、茶臼山からの尾根は、過去の台風や豪雨等により、至る所で高木が倒れ、尾根が荒れている。
また、その両山を繋ぐ尾根は支尾根との分岐が多いため、復路は常に方角を確認しながら進む必要がある。

二つの山を往復縦走する時は、その間の稜線の最低鞍部に登ってから、それぞれの山を往復するのが常道。地形図を見ると、最低鞍部の東方の谷間に水田マークがある。そのマークの端と鞍部との高度差は60mほど。これなら、例え踏み跡がなくても何とか稜線に登ることができるだろう。が、実際登ってみると、その鞍部から下は藪の模様で、往路・復路共、稜線に於ける起点は別の箇所になった。

[コース]
駐車場所と橋本自動車との間には、軽四が何とか通れるほどの道路があり、前述の水田のある谷方向へと続いているので、これを辿る。しかしこの道路は360CC時代の軽四に合わせて造成されたのではないかと思うほど、幅員が狭い。

道路はJR土讃線の高架を抜けると未舗装の農作業道に変わり、そこは十字路になっている。最初、北に折れてみたが、すぐ畑に突き当たって行き止まりになったので、十字路に引き返して西進した。この西進する農作業道の先には一軒の民家があるはずで、電柱や電線もあるが、道の藪化が進行しており、車は通行できない。道の両側に広がる水田跡も湿地跡のような景観になっており、休耕田となって久しいようである。と、いうことは、その民家も空き家になっていることだろう。

その民家の私道分岐まで来ると、案の定、廃墟化した民家の一部が見えた。
そこからほどなくで三叉路となった。北の山際に崩れかけの小屋があったので、そちらに右折した。
道は小屋の前で直角に曲がって向きを直すが、この先、道が藪化する恐れがあったので、北に沿う尾根に上がった。明確な尾根なので踏み跡があると思ったが、その痕跡はない。しかし藪はないので、雑木や植林の中、軽快に登って行ける。

一瞬、稜線ではないかと思うほどの尾根が前方に見えたが、それは尾根の向きが急角度に変わる、標高300m超の地点だった。ここからは歩き易くなり、更に数分で稜線に出ると、うっすら踏み跡もある。灌木の藪を刈った跡もあるが、これは国土調査員によるものだろうか。

尾根上は雑木が多いが、たまに大木化した樫のような木もある。
標高370mの等高線から下りにかかる地点辺りから前方、木の間越しに目指す茶臼山の山容を拝むことができる。
そこから少し下ると紅葉の落ち葉が積もる箇所があった。

その下って行った先のコルには、茶臼山城の堀切が辛うじて痕跡を留めていた。
上りに転じて、尚も登ると削平地に出た。山頂周囲を巡る腰郭のようである。見上げると三段以上になっている。段々になっているのは防衛を考慮してのことだろう。

山頂直下は郭となっており、端の石積みの側には瓦が一枚放置されている。郭の地面にも瓦やガラスの破片、何かのコンクリート基礎の一部が確認できる。郭の広さや瓦等の散乱状況からすると、ここに哨舎があったものと思われる。
真っ平に削平された山頂詰の段には三角点と聴音壕がある。この壕の形状と大きさは、香美市の甫喜ヶ峰山頂の聴音壕とほぼ同じである。

山頂の北西の尾根も探ってみたが、山頂直下には二条の堀切があった。真ん中は畦状になっているが、このような形状の堀切も中世の城跡では時折見受けられる。高知市春野町の吉良城跡(陸軍の山砲壕あり)のものは、規模がここより一回り以上大きい。

往路の稜線起点まで引き返すと、坂東山へと向かう。
前述の最低鞍部は峠になっているのではないかと思っていたが、道の痕跡はない。元々道はなかったのだろう。

上るに連れ、高木の倒木が目立つ。根元から倒れているものも多い。’98年の「高知豪雨」によるものか、それとも’04年夏の台風か、若しくは去年8月の台風によるものだろうか。そのため尾根は荒れているが、やがて尾根の幅も広くなってくる。

坂東山山頂はごく一般的な低山及び中低山の無名峰と同様、植林帯の中の広場で、展望は皆無。
帰路は、最低鞍部北のピークで、自分の付けたコースサイン・テープの意味を勘違いして、往路の一つ南の尾根を下ってしまった。恐らくそのテープはピークの迂回を示すためのものだったと思うが、往路の稜線起点だと勘違いしてしまったのである。しかし急勾配なので、引き返す気力はない。

ある程度下ると水が流れる音がする。多分その沢は水田跡へと続いていることだろう。
右手に池跡のような箇所を過ぎると、尾根は藪で通行不能になったので、木に掴まって一跨ぎで北の細い沢を渡った。すると小径跡が見えたので、これを辿ることにしたが、人が歩かなくなって久しいので、一部不明瞭な箇所がある。

この道もやがて藪漕ぎ不可の深い藪になったので、北側の斜面に逃れた。この尾根は恐らく、往路登った尾根のはず。
ゴミが散乱した所まで来て南側を見ると、往路の小屋があった。

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