【書評】社会学者がつづる「おひとりさま」の二拠点生活の内実『八ヶ岳南麓から』
評者=樋口明雄
東京大学名誉教授の上野千鶴子さんは、女性学のパイオニアのひとりであり、フェミニズムの陣頭に立って活躍される先鋭の社会学者であり、舌鋒鋭い論客でもある。本書はそんな上野さんがプライベートな田舎暮らしをつづられた初めてのエッセイ集。
約20年前、八ヶ岳南麓、山梨県北杜市(当時は北巨摩郡と呼ばれていた)にある標高1000mの高原に別荘を建てて以来、上野さんはずっと東京と山梨の二拠点生活(デュアル・ライフ)だそうだ。ここは私自身が25年、暮らしている土地でもある。
デュアル・ライフとはいえ、20年も行き来を繰り返していれば立派な田舎暮らしのベテラン。花々を愛で、虫や野生動物を観察され、地元の新鮮な食材で料理をされ、ガーデニングに挑戦し、またゴミ問題の現実にも直面される。一方で地域コミュニティ活動にも力を入れ、さまざまな交流を持たれ、八ヶ岳での四季を楽しまれている。
大学時代はワンダーフォーゲル部に所属されていたという上野さん。八ヶ岳に来られて以来、周囲の山はほとんど踏破されたというし、膝を悪くされてからはもっぱらスキーを楽しまれる。またBMWを〝ノーブレーキでカーブにつっこむのがひそかな楽しみ″(※原文ママ 笑)なほどに車&ドライブ好きでもある。本書のページをめくるたび、アクティブな田舎暮らしというか、上野さんの快活な人生の断片が目に浮かんで微笑ましい。
ところが終盤にさしかかると、社会学者らしい視点で終活や高齢者問題などに鋭く切り込まれている。たしかにコロナ禍をきっかけに八ヶ岳界隈に移住者は増えたが、多くが60代以降の高齢者。さて伴侶に先立たれ、あるいは認知症や重篤な病気になったらどうするのか。実際のところ、ほとんどの人々が〝そう遠くない未来の現実″から目を背けているような気がする。
かくいう私自身も、運転免許を返納する年齢になったら、この土地でどうやって生きていこう? あるいはまたよそに移る? なんてことを、25年も連れ添った妻と話し合うことがあるが、やはり結論は出ない。
〈大好きな北杜で最期まで〉――本書23章のこのタイトルは、かつて北杜市で行なわれた上野さんのトークイベントでのスローガンでもあったのだけど、察するところ上野さんは、山の家を終の棲家とし、この地に骨を埋める覚悟でおられるに違いない。
人生の先輩として、かつまた同じ北杜市に暮らす者として、この先の後期高齢者時代をどうたくましく生きていかれるか。上野さんの暮らしぶりを、僭越ながらしばし拝見させていただこうと思っている。
八ヶ岳南麓から
著 | 上野 千鶴子 |
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発行 | 山と溪谷社 |
価格 | 1760円(税込) |
上野 千鶴子
1948年生まれ。社会学者、東京大学名誉教授。女性学およびジェンダー研究の第一人者。主な著書に『近代家族の成立と終焉』(岩波書店)、『おひとりさまの老後』(文藝春秋)、『最期まで在宅おひとりさまで機嫌よく』(中央公論新社)ほか多数。プライベートな暮らしをつづったエッセイ集は本書が初めて。
評者
樋口明雄
1960年生まれ。小説家。著書に「南アルプス山岳救助隊K-9」シリーズや、『北岳山小屋物語』(山と溪谷社)、自身の移住体験を書いた『田舎暮らし毒本』(光文社)などがある。
(山と溪谷2024年2月号より転載)
プロフィール
山と溪谷編集部
『山と溪谷』2024年5月号の特集は「上高地」。多くの人々を迎える上高地は、登山者にとっては入下山の通り道。知っているようで知らない上高地を、「泊まる・食べる」「自然を知る・歩く」「歴史・文化を知る」3つのテーマから深掘りします。綴じ込み付録は「上高地散策マップ」。
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