行程・コース
天候
晴れのち雨
登山口へのアクセス
バス
その他:
バス尾瀬号=鳩待峠
この登山記録の行程
鳩待峠…山の鼻…牛首分岐…龍宮十字路…東電小屋(泊)5:15…6:50山の鼻8:15…お花畑10:10…11:00至仏山11:15…12:00小至仏山…12:25小山沢田代…(転倒)…1887m地点…13:45鳩待峠
高低図
登山記録
行動記録・感想・メモ
雨の木道は要注意! 尾瀬至仏山 転倒ヒヤリ・ハット報告書(負傷したYさんから)
4度目の尾瀬、今回は生涯現役健康ハイキング第100回記念で、総勢9名が参加。初日は鳩待峠から尾瀬ヶ原を各人がそれぞれ草花や自然を楽しみながら夕刻には全員宿泊地の東電小屋に到着。
翌朝5時、登山班5名は至仏山を目ざして出発。周遊班は見晴から沼尻を周遊し、三平峠を越えて戸倉で登山班を待つという。天候は時折、雨がパラつく微妙な空だが、ニッコウキスゲ・ワタスゲ・アヤメなどが目を覚まさせてくれた。
午前7時、山の鼻で朝食おにぎりを食べる。雷鳴とともに雨が激しくなり、登頂断念の空気が漂い始める。合羽を着用し、鳩待峠へと・・・その時、空が急に明るくなり青空も見え始めた。
女性2人を含めた5人全員何も言わず、当然のように足は至仏山登山口へ向かう。
登山道は、自然環境保護のため登り専用で崩壊を防ぐ徹底した管理がされ、両脇にはロープが張られ木道や梯子の連続だ。尾瀬ヶ原から眺める至仏山とは違い、想像以上に急坂であり頂上がなかなか見えず大きい山だ。背後の燧ケ岳以上にきついかもと思った。
頂上まであと400mくらいお花畑に差し掛かったところで、強風とともに雨が降り出し合羽着用。先を行くF´さん、Tさん女性2人は健脚で、もう姿は見えない。後ろのAリーダー、Fさん2人もすぐに来る気配がない。とにかく上をめざそうと一歩一歩前進するが、すぐに呼吸調整のため立ち止まらねばならない。雨はすぐには止みそうもない降りになってきた。いつしか木道はなくなり、代わりにハイマツ群が現れていた。と突然、登山客で渋滞しているではないか。ハイマツで登山道がはっきりしない。F´さん、Tさんの姿もあり安堵した。列をなして右へ旋回するように登り切ったところが至仏山山頂であった。2,228mの標識が雨でかすんでいた。
程なくAリーダーとFさんも到着、5人全員が無事至仏山登頂を果たした。しかし、この雨では頂上での長居は無用、早々に下山する。登りに雨で靴を何度か滑らせていたので、下りは要注意と自覚しながら鳩待峠をめざした。小至仏山山頂に着いたのは正午頃だったが、雨のせいもあってかなり体力的に消耗していた。実際、自分は小至仏山からワル沢の頭までの間で3回足を滑らし尻もちをついている。その度に両手をついたが何事もなく、F´さん、Tさんに笑顔で手を挙げる余裕はあった。
そして、登山道の左側に並行してあった雪渓も消え、木道が連続するようになったところで4回目の転倒が起きた。横板がなかったこともあり、勢いよく滑った。本能的に受け身をとるように右手で木道を叩いた。しかし、叩いたところが木道の角の部分だった。すぐ右手の感触に違和感を覚え、見るとびしょ濡れの軍手の中指が小指側に大きく曲がっているではないか! 動かそうとしても動かないし、触れると激痛が走る。
「やってしまった!(骨折)と直感した。
F´さん、Tさんの手を借りて、取りあえず曲がった指をタオルで固定してもらおうとした時、たまたまそこを下山していた男性が近づいて来て、「テーピングも包帯もありますので、使ってください」と差し出してくれた。しまいには男性自らが手さばき良く、親指以外の4本を束ねるようにしてテーピングと包帯を巻きつけてくれたのだ。おまけに痛み止めのクスリまで提供してくれたことから、ひょっとしてその道の職業かとも思い、お名前など尋ねてもなかなか明かしてもらえず、それでは自分の気がすまないからと、しつこく迫ってやっと「千葉のN・H」さん、と名乗っていただいた。
この間、時間にして20分程度だったと思われる。Aリーダー、Fさんも到着し、右手に包帯がグルグル巻きになっている自分を見て、唖然とされるのは当然のことである。三角巾やストックを渡され、ここからは5人が雨で川のようになっている登山道を黙々と下った。
鳩待峠まで長く、遠く感じた。歩きながら転倒したシーンが何度も頭をよぎり、「何ということもない木道」で転倒したことを悔いた。しかし、この「何ということもない木道」は、後でとんでもない自分の思い違いであったことを知った。
Tさんから知人の仲間が木道で転倒し、足を骨折したという話を教えてくれた。また、ネット上でも木道での転倒事故について、体験談が多く掲載されていることを知った。雨の木道は要注意!なのだ。
鳩待峠に到着したのは予定時間を過ぎた14時30分頃であっただろうか?大雨のためか、消防車と救急車数台がサイレンを鳴らしながら集結していた。
‘周遊班’とは予定通り戸倉で合流し、19時40分バスタ新宿に到着した。
幸いにして、その日のうちに自宅近くの整形外科に受診でき、結果は骨折していなかったのは幸運であった。ギブスをあてられ家に着いたのは23時になろうとしていた。無事、受診して家に到着できたのも‘周遊班’のBさんと車で迎えに出てくれたBさんの奥様のお陰である。
今回、自分の認識不足から皆に迷惑をかけた。痛恨の極みであり、深く反省をした。
最後に千葉のN.Hさんには、本来居所を訪ねてお礼を申し上げねばならないところであるが、本紙面にて感謝の意に変えたい。
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