行程・コース
この登山記録の行程
【1日目】
上高地バスターミナル(09:00)・・・河童橋(09:05)[休憩 5分]・・・明神(10:00)[休憩 10分]・・・徳沢(11:05)[休憩 15分]・・・横尾(12:15)[休憩 30分]・・・本谷橋(13:40)[休憩 20分]・・・涸沢(15:20)
【2日目】
涸沢(08:10)・・・南稜取付(08:45)[休憩 15分]・・・南稜テラス(12:10)[休憩 30分]・・・北穂高岳(12:45)
【3日目】
北穂高岳(06:15)・・・南稜テラス(06:30)[休憩 20分]・・・南稜取付(07:00)[休憩 10分]・・・涸沢(09:30)[休憩 30分]・・・本谷橋(10:10)[休憩 20分]・・・横尾(11:30)[休憩 15分]・・・徳沢(12:45)[休憩 15分]・・・明神(14:00)[休憩 20分]・・・河童橋(15:30)・・・上高地バスターミナル(15:35)
高低図
標準タイム比較グラフ
登山記録
行動記録・感想・メモ
この山行は標高3000mの場所で一夜を過ごしたいとの安直な発想が発端。なお、コースタイムグラフはあてにしないで下さいね。写真を撮ったりで進まない箇所多数です。
様々な候補の中で左右に槍と奥穂をはじめ、北アルプスの山々を見渡せる北穂高岳が良いんじゃね!?と会友と計画を詰める。
我らが若く、足も早ければ一泊二日の行程だが無理せずに二泊とした。計画立案中、天気がパッとしない事が判明し、割と早めにテント泊の予定を小屋泊に変更。おかげで財布の負担は重くなったがザックは随分と軽くなった。
さて入山当日は予報通りの雨。カッパ(レインウェアって何だ?)を着なかったのは河童橋まで。後は雨がシトシト、ザーザー、シトシト、ザーザーを繰り返し、夜まで続いた。道の途中、本谷橋前後の2ヶ所に沢筋の増水によると思われる崩落が有ったが関係各所(涸沢ヒュッテさんと思う)の尽力により通行の支障はありませんでした。
雨のため、涸沢小屋ではお客さんのキャンセルがあり宿泊は我らのみ。涸沢ヒュッテ近くのテン場を見てもテント一張りのみ。山に狂った野郎に違い無い(一昔前の感覚で誉めてます)
翌朝2日目。雨こそ降りていないが重い空。事前情報で雪渓歩きほぼ無いと聞いていたが登り始めて200m程度ですぐに途切れ夏道に入る。もう少し雪渓を行ける事を期待していたが、かなわずテンションが下がる。仕方が無いよね、4月や5月じゃ無いのだから。
しばらく歩いていると女子1人がスキップするがの如く斜面を降りて来る。聞けば北穂高小屋のスタッフさんで休暇のため下界の空気に染まりに行くと言う。そりゃぁ、足取りも弾ける。
そこから先も空は瞬間的に雨が来たり、カッと晴れたりで忙しない。それでもイワツメクサがちらほら見える高さに来た頃には空のヒステリーも影を潜めて来た。写真を撮ったり、紫煙を燻らせたりで今度は我らが歩き以外の方で忙しなく、先へはなかなか進まない。
ようやく松濤岩のコルに辿り着き、下に目を向けるとインゼル辺りに人影二つ。どんなルート取りをしたか判らないが雪渓を詰めて来た強者と思った。ただ遠目には岩に腰をおろして景色を楽しんでいる雰囲気。さして気にも留めずに通過してしまう。
山頂へ到着すると周囲は雲に囲まれ遠望は効かず、そそくさと北穂高小屋へ降りる。小屋前では当日のスタッフさん総勢三人でハイシーズンに向けて備品類を整備中。ベンチのペンキ塗りなどの作業は雨が時折降るものだから中々はかどらず、もどかしそうだった。
早めに宿泊受付を済ませた後は周辺の散歩などで過ごす。そんな時、小屋のスタッフさんから「今夜の夕食時間が遅くなるかも知れません」と伝えられる。大まかな内容では北穂沢で救難要請があり、遭対協メンバーでもある小屋のスタッフ二人が向うという。「あぁ、あの二人だ」と我らは声にしたが後の祭り。夕食が遅くなるぐらい構わない。皆の無事をただ願うのみだった。
そんなことで落ち着かない時を暫し過ごしたが、やがて救出に向かったスタッフさんも小屋へ帰着。救難要請をした二人組みも無事という話を聞き、ようやく酒を飲める気分になった。当夜のお客さんは我等の他にカップル二人のみ。そのカップルも翌朝、早立ちするため夕食後早々に休んでしまう。
後は食堂スペースには我らのみ。山の友「紙パックの大雪渓」を舐めつつ山談議に耽る。そのときスタッフさん一人が話に加わってくれた。小屋が空いていることは経営的には拙いだろうが、我らからすれば様々な話を伺うことが出来てとても有難い。
そのスタッフさんは我らの話に耳を傾けつつ、自らは長距離縦走が好きなことや昨年はネパール方面をトレッキングしてきたことなどを話してくれた。
そのうち、私が使っている古いグランテトラ水筒に興味があると言われた。今時こんな携帯性の悪いものは好まれないが、私自身はそれを手放せずゴムパッキンを水道用の物と交換しながら現役で使っている。余談だが冬にこいつを湯たんぽにすると寝袋の中は天国である。もちろん細引きで口金を締める事は忘れない。仮に彼が持っていれば様々な体験をさせてもらえると思うので、いつかまた北穂に登るときストックから1本譲っても良いと感じた、マジで。
3日目、夜明け前に山頂へ。日が登り、山々が紅く染まる様はいつ見ても圧巻だ。ましてや槍や奥穂は言うに及ばず黒部や富士、南アルプスまで拝めれば昨日までの悪天の事など忘れてしまう。笠の肩付近には虹の一片まで現れた。後は小屋で朝食をいただき、名残惜しさを感じつつ下るのみ。
それでも帰途の山頂。前日、厚い霧に隠れていた滝谷ドームを見て冷めかけた血潮がたぎった。二十代の頃、ドーム北壁冬季登攀の写真を見て不思議な身震いがしたことを思い出す。しかし、山屋を気取りつつ下界の遊びにうつつを抜かしていた俺にそんな機会は微塵も訪れなかった。今となっては後悔の念に駆られるのみ。前穂の尾根を眺め屏風を仰ぎ、会友は歓声を上げ、俺は溜息をつきつつ娑婆へ向かうのであった。
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1日目、河童橋。我がパーティ以外の人影無し。この直後から空から雨が落ちてきた。
河童橋からずーっと小雨の中。徳沢を過ぎ、そろそろ新村橋。
ザックカバーを着けているためピッケルは手に。昔々、ピッケルを素手で持って行動して先輩に怒鳴られたなぁ。
新村橋のたもと。多分パノラマコースの道は沢のようになっているんだろうな。
横尾大橋。横尾山荘前も人影数名のみ。
屏風岩を滝となって水が流れる。
本谷橋手前の登山道崩落地点。後日、修復された様子。
本谷橋にて。川は激流。
当日の宿は涸沢小屋。雨でテラスもスッカスカ。
眼下のテン場もテント一張のみ。涸沢ヒュッテさんも暇だろうな。
対する涸沢小屋も客は我等のみ。何か申し訳ない気分。
2日目、涸沢小屋から北穂沢へ。
すぐに雪渓は切れて夏道へ。
上がって松濤岩のコルよりインゼルをのぞむ。この時、岩に座り日向ぼっこしている(と思った)二人組を見る。
北穂の山頂直下。
この時、周囲は雲に遮られ遠望効かず。
さっさと北穂高小屋に入り、宿泊受付けを済ます。
一瞬覗いた天上の青。
小屋脇から第一尾根をのぞむ。
山にコイツがいないとさみしい。
翌朝3日目、4時11分頃。北穂山頂からの簿明
4時31分頃、日の出
奥穂高、朱に染まる。
大天井方面からは槍が朱いに違いない。
槍でも歓声が上がっているだろうな。
左から富士、甲斐駒、北岳、間ノ岳かな?
笠ヶ岳方面に虹。
槍の左に水晶、鷲羽と三俣蓮華かな?
朝食をいただき下界へ。再び笠ヶ岳。
滝谷。
ドーム。自分は登れもしないのに穂高では奥穂でもジャンでも無く一番の憧れの対象。
前穂北尾根の黒いラインも白、青、緑に彩られ美しい。
涸沢小屋近くまで降りて来ました。
初日お世話になりました。
屏風、登りたいぜ。
横尾まで来るとほぼ下界の気分。まだ先は長いのに。
装備・携行品
シャツ | アンダーウェア | ダウン・化繊綿ウェア | ロングパンツ | 靴下 | レインウェア |
登山靴 | バックパック | スタッフバック | スパッツ・ゲイター | 水筒・テルモス | ヘッドランプ |
傘 | タオル | 帽子 | グローブ | サングラス | 着替え |
地図 | コンパス | ノート・筆記用具 | 腕時計 | カメラ | 登山計画書(控え) |
ナイフ | 修理用具 | ツエルト | 健康保険証 | ホイッスル | 医療品 |
虫除け | ロールペーパー | 非常食 | 行動食 | テーピングテープ | ストーブ |
燃料 | カップ | クッカー | カトラリー | ||
【その他】 ピッケル、アイゼン、補助ロープ(30m)、ハーネス、スリング、カラビナ、ヘルメット |
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