行程・コース
この登山記録の行程
【1日目】
焼山登山口(08:15)・・・焼山(10:45)[休憩 15分]・・・平丸分岐(11:40)・・・大平分岐(12:05)[休憩 25分]・・・黍殻山避難小屋(12:35)[休憩 8分]・・・八丁坂ノ頭(13:15)・・・姫次(13:40)[休憩 10分]・・・地蔵平(14:30)[休憩 5分]・・・蛭ヶ岳(16:30)
【2日目】
蛭ヶ岳(07:05)・・・棚沢ノ頭(08:10)・・・丹沢山(09:23)[休憩 18分]・・・塔ノ岳(11:16)[休憩 25分]・・・金冷シ(11:54)・・・花立山荘(12:10)[休憩 5分]・・・茅場平(12:40)・・・小草平(13:03)・・・駒止茶屋(13:24)・・・雑事場ノ平(14:05)・・・観音茶屋(14:20)・・・大倉(14:54)
高低図
標準タイム比較グラフ
登山記録
行動記録・感想・メモ
時期的に冬に入ってからと考えていた丹沢主脈縦走。冬に入り、葉が落ちて明るくなった森を歩いて蛭ヶ岳に登ることにした。
空気が澄んで夜景がきれいだろうし、早朝の出発時には上手くすれば霧氷の中を気持ちよく歩いて行ける事を期待して、橋本駅発三ヶ木行きバスに乗車。途中の三ヶ木で乗り換え、小1時間ほどバスに揺られて焼山登山口に降り立った。
平日であったが自分も合せて3名が下車。諏訪神社に参拝して登山口に向かうと、既に人影はなかった。
焼山登山口のゲートへと向かう林道は真っ白に霜が降りていて、今晩過ごす丹沢主脈の寒さを窺わせた。登山口の標識の所から傾斜の付いた山道に入る。これから7時間ちょっとの山歩きだ。
山道は思った以上に荒れていない。2時間ほど歩くと焼山山頂の鉄塔が見えてきた。鉄塔は周りにロープが渡されており、立入禁止のようだ。山頂に3つある祠全てを回ったが、鉄塔側の祠は石造りの屋根が落ちていた。一人での復旧は無理だった。
黍殻山への道は明るく開けた場所が多く、良く踏まれて歩きやすい道だ。
黍殻山を巻くと大平分岐の手前にあるベンチの脇から水場へ降りたが見当たらない。付近を見渡すと、斜め上方の少し登り直した場所にあるパイプからチョロロロと水が出ていたので汲む。癖のない軟水で旨かった。
水場では、水の出が悪かったのでボトルを満たすのに時間がかかったり、軽食をとったりして30分近く過ごしてしまった。
水場から少し歩くと黍殻避難小屋への分岐に出る。林を抜けて下った先に広場のような草むらが有り、その奧に黍殻避難小屋はあった。味のある看板の掛かった出入り口の引き戸を開けて中に入った。小屋の中は新築住宅の洋間みたいな感じ。避難小屋ノートを見ると2週間に1組くらいが泊まっている様だ。いつかここに宿泊して回るルートを計画したいと思った。
黍殻山から姫次への山道は時折開けて丹沢山から大山に掛けての稜線を見渡せる。
段々と右手にカラマツの森が現れ、姫次が近づいてきた事を知らせてくれた。1433mの東海自然歩道最高標高地点に差し掛かったところで、今日最初で最後の登山者が前からやってきたので挨拶を交わした。姫次南端の広場は日当たりが良いため霜柱が全て溶けてしまい泥だらけだった。そこから蛭ヶ岳と蛭ヶ岳山荘が初めてハッキリ見えた。
姫次から先はいったん上げた高度を大きく下げて森の中を進む。途中の原小屋平はちょっとした広場と下った先に水場が有り、地名からもかつては何らかの作業小屋などがあったのだろうと思った。 地蔵平を過ぎてからは大きな下りはなく、いったん下げた高度を蛭ヶ岳まで300m揚げるのだ。
蛭ヶ岳までの急登は概ね階段が整備されていて歩きやすいがキツい。寄り道したり写真を撮ったりして予定より時間を食ったので、ようやく携帯に電波が入り始めた16時前、本日の宿泊先である 蛭ヶ岳山荘に一報入れた。
16時を過ぎて太陽は大きく右側に傾いてきた頃、ようやく富士山が臼ヶ岳の山頂越しに見えてきた。富士山の裾野から南アルプス方面は雲海に包まれてよく分からない。
風景があかね色に染まった日没直前、かなり遅れて蛭ヶ岳山荘に到着した。
山荘で受付を済ませた後、ダウンを着込んで表に出ると、太陽は既に沈んで雲海から突き出た富士山のシルエットが美しい。
振り返ると月齢13.8のほぼ満月山頂を照らし始めていた。山頂東側へ歩いて行くと、月明かりに照らされた丹沢山へ向かう稜線のコントラストの向こうに相模原方面の夜景が見えた。東京方面は月が明るいのと、靄がかかってボケ気味だったが、寒気が強い乾いた新月の夜ならば、さらに素晴らしいだろう。
17時30分の夕食の時間になったので中に入ると、カレーかと思いきや、おでんだった。
今回は前日に用意した昼食用の「謎肉丼」を入れ忘れたので、「カレーメシ」にしようと思っていたものの、夕食はカレーだろうと勝手に考えてガマンしていたので、少し残念だった。
しかし、昼間の「節制?」のせいで空腹はピークに達していたので、大ちゃんのご飯みたいな大盛りで2杯、ガッツリ食った。宿の中は暖房が効かないからと、自炊室に異動し、宿泊者で食事をした。食後、一杯やろうと保ってきたはずのウィスキーを探すが見当たらない。謎肉丼と共に忘れてきてしまったようだ。おかげでお湯割りに使おうと保ってきたサーモボトルの熱湯もただの重しとなり、トレーニング効果は絶大だった。
結局、山荘でビールを2本買って、親父さん達と歓談。20時の消灯時間に就寝した。
就寝後、風が強くなり気温も下がる。ダウンを着て手袋を着けて寝た。
翌朝目覚めると思ったより暖かい。窓の外はガスで真っ白だった。霧氷はおろか、霧が樹木の枝に当たって水滴となり、雨は降っていなかったものの紙面はびしょ濡れだった。
朝食を食べた後、予定より30分遅れた7時丁度に出発した。
鬼ヶ岩も濡れて滑りやすかったが、部分的にチェーンを固定している場所が外れて基部のコンクリートがブラブラしている箇所があったので、チェーンを使わずに登った。
不動ノ峰の手前で初めて登山者に出会った。不動ノ峰の休憩所は南北に壁がないため、完全に吹きさらし。屋根がある意味がない。
丹沢山に到着したが、この天気では誰もいない。トイレによってすぐに出発。
丹沢山を過ぎるとちらほらとこちらにやってくる登山者が現れ始めた。
塔ノ岳手前で、以前から気になっていた尊仏岩後を見に行こうと見当を付けていた辺りから横道にそれた。10分ほど下りもう少し先と思われたが、傾斜がキツくなり視界も悪かったので崩落箇所に出会うのも危険かと考えたので、視界の良い日にリトライすることにして引き返した。
尊仏山荘に休憩のため立ち寄り、コーヒーを頂く。トレランの人たちのグループが数人いた。
コーヒーを飲み終わり、尊仏山荘を出ると雨が少し降り始めていた。
後は大倉尾根をひたすら下るが、雨で濡れた岩場が滑りやすいので気を遣う。
14時を過ぎているのに登ってくる人が多い。小屋泊の人たちなのだろう。
観音茶屋の前で、先程のトレランの人たちに追い越された。鍋割に行くと言っていたので、凄いスピードだなと思った。岩のあるところを駆け下りていったが、膝やスリップは大丈夫なのだろうかと気になった。
丹沢姉妹の手前まで来ると、わずかに残る黄色く紅葉したモミジに秋を感じながら大倉に到着。なんと、長いこと閉店していたどんぐりハウスの跡地は、コンビニ「ポプラ」に変貌していた。それほど待たずにやってきたバスに乗車し、渋沢駅に到着。
今回の山行の〆として、蛭ヶ岳を出てからずっと考えていた「阿闍梨」の一番だしらーめん。途中のわびしい食事では満たせなかったものをたっぷり満たせ、帰路に着くことができた。
フォトギャラリー:49枚
装備・携行品
シャツ | アンダーウェア | ダウン・化繊綿ウェア | ロングパンツ | 靴下 | レインウェア |
登山靴 | バックパック | スタッフバック | スパッツ・ゲイター | 水筒・テルモス | ヘッドランプ |
タオル | 帽子 | グローブ | サングラス | 着替え | 地図 |
コンパス | ノート・筆記用具 | 腕時計 | カメラ | 登山計画書(控え) | ナイフ |
修理用具 | 健康保険証 | ホイッスル | 医療品 | ロールペーパー | 非常食 |
行動食 | テーピングテープ | 軽アイゼン | トレッキングポール | GPS機器 | ストーブ |
燃料 | ライター | カップ | クッカー | カトラリー | |
【その他】
装備重量:約15kg 食料:21日昼食@カロリーメイト&えいようかん(時間短縮のため)、21日夕食@蛭ヶ岳山荘(おでん) 22日朝食@蛭ヶ岳山荘、22日昼食@カロリーメイト&サラダチキンバー(荒天のためあるきながら) 非常食:カロリーメイト×4、えいようかん×2 水:2.4L(お湯0.9L+紅茶0.5L+スポーツドリンク0.5L+黍殻山清水0.5L)(使用量@初日:1L、二日目:1L) 気温:21日@6℃、22日@2℃(朝) |
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