行程・コース
天候
晴れ
登山口へのアクセス
マイカー
その他:
JR牟岐線辺川駅北方の国道55号の急カーブ部から鬼ケ岩屋温泉の看板を見て、北東に分かれる道路に入る。橘川を橋で渡った箇所にも同温泉の道標があったと思うが、左折し、橘川を遡る。
左手に鬼ケ岩屋温泉(休業中で看板も出ていない)の駐車場を過ぎてほどなく現れるY字路の又の部分に投稿者は駐車したが、本来、ここに駐車するのは好ましくなく、もう少し直進した所の左手の路肩に駐車スペースがある。
この登山記録の行程
駐車場所12:05・・・「鬼ケ岩屋歩道入口」道標12:10・・・山王神社分岐12:07・・・山王神社周辺を観察12:19~12:21・・・炭焼き窯の先で丸太橋を渡る12:32・・・鬼のまな板天辺で休止12:37~12:53・・・巫女岩内部を観察13:00~13:04・・・山中の岩の割れ目に入って観察13:31~13:42・・・壁岩分岐から先の洞窟を探す・・・再度壁岩分岐14:02・・・鬼ケ岩屋とニクの滝で休止14:08~14:41・・・三角点14:52・・・再度ニクの滝と鬼ケ岩屋で休止15:05~16:07・・・チョウシノタオ16:17・・・林道に出た所で休止16:43~17:00・・・とどろの滝で写真撮影17:07~17:12・・・岩屋橋17:27・・・駐車場所17:32
高低図
登山記録
行動記録・感想・メモ
[巨岩ワンダーランド]
鬼ケ岩屋(450m)はこのサイトの「日本の山」にも登録され、新・分県登山ガイドにも掲載されているが、山頂にある岩の名称が山名としても使用されている。明治41年発行の「阿波名所案内」に「巨岩あり、上に登ればその広さ拾畳余。中央より二つに裂け、径三尺余、その深き事測り知るべからず」と記述されている。天を仰ぐような巨岩が真っ二つに割れ、下方は竪穴のように深いのである。
しかもその巨岩以外にも山上や山中に人が通れる位の割れ目がある巨岩が複数あるほか、巨石文化を臭わせる巨石ドルメンや折り重なった岩の地下にできた洞穴、人食いヒヒ伝説の史跡等、興味深い景観や史跡が多数ある。
尚、新・分県登山ガイド「徳島県の山」('05年10月初版第一刷)掲載の地図には複数の誤りがある。鬼ケ岩屋温泉と、とどろの滝の位置は誌面掲載の谷沿いより一つ西の谷である。チョウシノタオのコースも誤っているような気がするが、もしかすると当方が復路に利用したコース以外にチョウシノタオへ通じる道があるのかも知れない。当方の記録で紹介する復路は、徳島県下で出版された複数の登山ガイドブックや複数の峠ガイドブックで紹介されているコースである。
[コース]
この山のコースとしては、鬼ケ岩屋温泉や美波町大越からチョウシノタオという峠に登り、そこから尾根を伝うものが徳島県下の岳人や峠歩きマニアの間で知られているが、それらのコースは巨石群や史跡を殆ど通らないため、往路は「ふどの」集落から橘川の支流沿いを遡るコースを取り、復路はチョウシノタオから鬼ケ岩屋温泉に下るという回遊コースにした。
地形図(山河内)では、車道はふどの集落の三軒の民家の内、真ん中の民家の対岸で終わっているが、実際は最奥の民家まで車道化されている。その地形図での車道終点地点から少し東方に「鬼ケ岩屋歩道入口」という道標が立っているので、それに従い北に折れ、橋を渡る。
道路は民家まで延びているが、その手前で右後方に折り返して上がるコンクリート歩道に折れる。
進路が北向きに変わるとやがて自然の歩道となり、ほどなく道標のある山王神社分岐に至る。この祠は前述の人食いヒヒを祀るもの。
昔、鬼ケ岩屋の洞窟にそのヒヒが棲んでおり、村人や旅人を襲っていた。これを聞いた土佐から来た兄弟の武士がヒヒ退治を買って出る。
2人は鉄砲の名手で、協力してヒヒを撃ち取ったのだが、弟の方が死んでしまう。兄も弟のことを守れなかったという自責の念にかられ、自害してしまう。
その後、兄の妻、玉姫がこの地を訪れたのだが、二人の死を知ると悲しみのあまり、渕に投身してしまったのである。
後に村人が兄弟のため、二ヶ所に「高知神社」、玉姫の供養のため「玉姫神社」、ヒヒの祟りを恐れ、「山王神社」を建立したのである。
山王神社は分岐からすぐ先にあるので、伝説好きな方は寄ると良い。
山王神社分岐から10分ほどで、左手に炭焼き窯跡が現れるが、この先で沢を丸太橋で渡る。
少し進むと、鬼のまな板分岐に達する。鬼のまな板とは、ここから沢沿いに少し行った所の対岸にある巨岩で、天辺が平らになっている。鬼とはヒヒのことではないかと思うが、さらってきた村人たちをこの岩の上で捌いて食していたのだろう。
岩の上には対岸に回り込んで上がれるようになっている。
まな板から5~6分ほど進むと「みこ岩」の道標があり、ここで右に曲がる。すぐ迫割り岩が現れるが、巨岩が割れた間を登山道が通っている。しかし幅員があるため、あまり「迫(せ)っている」ようには感じられない。
その先の左手に現れる「みこ岩」は見応えがある。地学の専門家は、この岩を自然のものと見るかも知れないが、巨石文化や超古代研究家たちは人為的なドルメンと見るだろう。ドルメンは昭和期、「支石墓」と訳されていたが、現代では祭祀遺構の一種と考えられるケースが多い。「巫女岩」という位だから、祭祀遺構の可能性は高い。
このドルメンは巨大故、内部が洞穴状になっている。
やがて進路は北向きから西向きに変わり、下草が茂る開けた地に至る。これ以後、このような植生の場所で二度、Y字路に出くわすが、どれも前方右上がコース。但し、コースサイン・テープが色褪せて、尚且つ分岐より奥の木の枝に巻かれているケースもあり、一瞬、気づきにくい。
上方の樹林の中の岩盤や巨岩沿いを通るようになると、登山道から踏み跡に変わり、やがてその踏み跡も不明瞭になる。しかしコースサイン・テープが随所に設置されているから、迷うことはないだろう。
写真では分かり辛いと思うが、途中、右手に高さが何メートルもある巨岩の割れ目がある。奥まで入っていける巨大さである。
しばらく行くと「壁岩」分岐に至る。道標には洞窟あり、と記されていたから、探したのだが、断面が平らな壁岩は分かったものの、洞窟がなかなか見つからない。
諦めて引き返していると、細い簡易パイプ階段下に隙間があることに気付く。見ると巨岩や巨石が折り重なった地面下にできた竪穴のようである。横穴と違って竪穴はなかなか気軽には見学できない。
ほどなくトラバース気味に進んでいたコースが、尾根を直登するようになり、やがて山頂の鬼ケ岩屋(巨岩)横に出る。岩屋天辺に登れば、5km以上南の太平洋から潮風が吹いてきているように感じられて、とても涼しい。鍛冶屋谷山の向こうの太平洋の水平線まで見通せるパノラマが広がっている。右手奥に遠望できるのは、網代崎と乳ノ崎だろう。すぐ西方には五剣山がそそり立っている。
岩の西寄りに裂け目があり、そこでこの岩が二つに割れている。
この鬼ケ岩屋(巨岩の)は山上の西端にあり、東端下には「ニクの滝」という崖があり、天辺には鬼ケ岩屋より一回り小さな展望岩がある。こちらは東方の太平洋が見通せる。
ここから指呼の距離にある467.5m峰の山頂を踏んでおくことにする。
ニクの滝から一旦尾根を下った所の道沿いにも、至る所に巨石や巨岩があり、それを縫って歩く。藪も殆どない雑木である。
その三角点峰は、三角点周囲の狭い範囲だけは藪はない。展望もない。
鬼ケ岩屋に戻ると、岩の下から裂け目を間近に見ることにする。岩の下を西から南、そして東へと回り込んでいく途次、さきほどの割れ目よりは小さな割れ目が上方にあり、割れ目にスズメバチが巣を作って飛び回っていた。だからこの辺ではあまり騒がない方が良い。
岩の東側に来ると、さきほどの割れ目と本来の割れ目との中間位の大きさの割れ目があった。この割れ目は藪化しているが、割れ目の中を通ってみたいので、若干藪漕ぎをしながら、その割れ目を通過して上ると、丁度本来の岩屋最大の割れ目の前に出た。
これも写真では分かり辛いと思うが、「阿波名所案内」の記述通り、裂け目の深さは計り知れない。誤って落下すると大怪我を追い、外には這い上がれないだろう。
一応、手持ちのナイフで灌木の枝を刈り払っておいたので、見学し易いだろう。
帰路の西側の尾根も、最初は岩や大石を縫う形で、所によってはロープに掴まりながら下りて行く。
進路が南向きに変わると、すぐ下に切通しのチョウシノタオが見えている。この北下には仏堂があるようだが、往路で色々寄り道したせいでもうそんな体力は残っていない。
峠道はジグザグを繰り返しながら、斜面を下って行き、谷の西の尾根を回り込んで越えると、ほどなく林道に下り立つ。
南に進むとすぐ「とどろの滝」の道標が現れる。休止しておにぎりを食べて体力も少し回復したので、滝に寄ることにする。
沢を何回か整備された飛び石で越えて行き、小径の終点に滝がある。滑滝で岩盤を滑るように流れている。落差は20mほどだったように記憶しているが、文献が散逸しているので定かではない。
鬼ケ岩屋温泉まで車道をそのまま下ったが、もしかすると、ヘアピンカーブ部から歩道が橘川へ下りているかも知れない。
フォトギャラリー:18枚
装備・携行品
シャツ | アンダーウェア | ロングパンツ | 靴下 | レインウェア | 登山靴 |
バックパック | 水筒・テルモス | ヘッドランプ | 帽子 | グローブ | 地図 |
コンパス | ノート・筆記用具 | 腕時計 | カメラ | ナイフ | 虫除け |
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