行程・コース
天候
1日目:晴時々曇一時霧を伴う雪、2日目:晴
登山口へのアクセス
バス
その他:
【往路】JR小海線信濃川上駅から川上村営バスで川端下バス停下車。
【復路】増富温泉バス停から山梨交通バスで終点・韮崎駅下車。
この登山記録の行程
【1日目】
川上村営バス川端下バス停(08:00)・・・廻り目平(08:30)・・・八丁平分岐(10:50)[休憩 5分]・・・金峰山小屋(12:30)[休憩 15分]・・・金峰山(13:00)[休憩 100分]・・・金峰山小屋(15:05)
【2日目】
金峰山小屋(05:05)・・・金峰山(05:20)[休憩 20分]・・・砂払ノ頭・・・大日岩(07:00)[休憩 85分]・・・大日小屋(08:40)・・・富士見平小屋(09:15)[休憩 20分]・・・瑞牆山(10:35)[休憩 80分]・・・富士見平小屋(12:30)[休憩 15分]・・・瑞牆山荘(13:10/13:25)・・・山梨交通バス増富温泉バス停(15:00)
高低図
標準タイム比較グラフ
登山記録
行動記録・感想・メモ
【回想/1日目】5月1日夜、松ちゃんが正式に不参加となり山行自体が危ぶまれたが、旗くんの予想以上の熱意により決行。行程は夜行1泊2日に決定した。しかし翌2日開催の高校の健脚大会で、私は足の裏に5ヶ所マメを作ってしまい歩行に支障が出る状態になってしまったが、この日の早朝にJRの往復乗車券を買ってしまったため強行を決意。足の裏にあるマメに焼いた針を刺して水を抜く作業を2日夜、3日夜の2度にわたり行い、しかも包帯を巻いての参加となった。史上最悪のコンディションの中、3日の23時前に出発した。まず旗くん宅へ行き合流してから新小平駅へ向かった。駅前の無料駐輪場に停め、駅へ行き西国分寺駅までのキップを買った。辺りは真っ暗でわずかに外灯が点いているだけである。プラットホームへ行き到着した武蔵野線に一歩足を踏み入れた瞬間仰天した。車内の乱れ様があまりにも酷かったからだ。空き缶は床に転がり、新聞紙もばら撒いてあり、シートには一部シミも見られるとても汚い車内で、一部の乗客はいかにも怪しげな雰囲気を漂わせていた。西国分寺で降り一度改札を出てから再び往復切符の「往き」の方で入り直した。中央線に乗ると旗くんは「さすが中央線!」と早速武蔵野線と比較してそう言ったようだった。立川駅に着くとそのままプラットホームで中央本線の夜行電車を待っていた。ホームにずっと立っていると特急あずさや臨時急行が通過していくが、臨時急行はものすごく空いているので普通電車も空いているのだろうと予想したが見事に裏切られ超満員。この先4時間もの間立ちっぱなしと思った途端元気を失った。途中大月駅では28分間の停車中にスタンプを押しに改札を往復した。その後初鹿野駅まではずっと立っていたが、出発後にはとうとうザックを枕にして床で横になった。あまり眠くはなかったが入山後のことを考えると体力温存のため少しでも睡眠をとっておきたいところだ。周りを見渡しても立っているのは3,4人程度。あとは皆、床で雑魚寝状態である。甲府駅では58分間停車していたが大月駅の時よりつらかった。せっかく横になり眠り始めたところで停車中ずっとドアが開放状態のため冷たい外気が入り込み、あまりの寒さに目が覚めてしまったのだ。次に目が覚めたのは韮崎駅に到着する2分前で、これまで静まりかえっていた車内が急にざわつき始めたからだ。韮崎駅では下車する登山者が多かったため、ようやくシートに座ることができた。旗くんは甲府駅で目の前の座席が空いて座ることができたのですでに熟睡していた。車内を見渡すともう床で寝ている人はいなかった。車窓のほうに目を移すと、東の空は早暁の色に染まりとても美しかった。小淵沢駅では韮崎駅と同様下車する登山者が多かった。さすがに早朝の小淵沢駅は高地ともあってまだ寒く吐く息も白かった。駅員の誘導で待合室へ向かったが、待合室の中は人でごった返していた。何となく居心地が悪かったので、寒いのを我慢して待ち時間に駅の外へ出てみた。寒さで張り詰めた空気の中、南の空を眺めるとそこには重くどっしりとした山容の甲斐駒ヶ岳が、まだ雪をかぶった白い姿で聳えていた。雲一つない青空とのコントラストは圧巻であり、神々しくもある。小海線に乗車すると今度こそ出発前から座ることができた。進行方向左側に陣取ると出発前は甲斐駒ケ岳が、出発してほどなく小海線が大きく右に旋回すると今度は八ヶ岳連峰の編笠山と権現岳、清里駅を過ぎると昨夏登頂した赤岳、横岳、硫黄岳の3峰が眼前に広がってきた。旗くんは小海線の車内でもずっと眠っていたが、私は車窓に広がる大パノラマに魅了され、窓の下半分を半開きにしてカメラを構えひそかにシャッターチャンスを狙っていた。すると通路を挟んで向かい側に座っている方から「寒いので窓を閉めてくれませんか。」と注意を受けた。私は「どうもすみません。」と謝りしばらくガラス窓越しに赤岳を眺めていたが、ちょうど甲斐大泉駅に到着した時、その方に「写真を撮る時だけ窓を開けてもいいでしょうか。」と尋ねると「いいですよ。」と快諾いただいた。その方は清里駅で下車したが、去り際に「レンズを窓につけて写すといいよ。」と教えてくださった。私はお礼を言って再びガラス窓越しにレンズを覗いた。またいい勉強になった。信濃川上駅からは川上村営バスに乗り川端下へ向かう。バスに乗り込むとザック持込み分として100円の荷物料金をプラスで支払った。終点川端下バス停で下車。降り立つと空気はひんやりとしており、空はどこまでも青く澄み切っている。ここから出発する登山者は少なく静かな山の始まりになった。歩き始めると朝の陽光に照らされたせいもありすぐに暖かくなってきた。高原野菜畑を横目にまっすぐに南へ進むと、早くも迫力のある岩稜が見えてきた。続いて白樺の林にさしかかった。まるでウドの大群のようにも見えた。開けた所に廻目平の標識が立っていたが、休まずさらに進むと金峰山荘があり、近くの河原で朝食を摂ることにした。早速準備にとりかかり、旗くんはハンバーグとドライカレーを、私はカップラーメンを食べた。河原には早朝にもかかわらず色とりどりのテントが点在しており、ゴールデンウィークを堪能しているように見えた。また、ここからはロッククライミングの殿堂である小川山屋根岩を正面に望むことができ、傍らを流れる沢の水も澄んでとても気持ちの良い朝食の時間を過ごすことができた。金峰山荘を経ち、ひたすら西股沢沿いの林道を歩くことになるが、右手の断崖絶壁に目を移すとクライマーたちが懸命に岩の殿堂と格闘し続ける姿を随所で見ることができ、退屈なはずの林道歩きの気を紛らわせてくれた。旗くんはクライマーたちの雄姿をじっと憧れの表情で眺めていた。途中林道越しに行く手の金峰山を遠望できる場所があり、山頂の五丈岩も小さいが確認することができた。長い林道歩きの最中、私はキジを撃ちに行くなどしたが、さらに進むと道が二股になっている中ノ沢出合に出た。いよいよ本格的な山道に入ることになり、金峰山までの長い急登が始まった。これまでの平坦な道と打って変わりいきなりの急登は堪え、僅か10分でへたばってしまった。それでも小休止を取りつつ登り続けると右手に瑞牆山が姿を現した。瑞牆山の向こうにはまだ雪に覆われた八ヶ岳連峰もはっきりと見えてきた。更に高度を上げると登山道にも積雪がみられるようになり、北側斜面のため凍結している箇所が多く、道全体に張っているアイスバーン上の固い雪は足場を確保するのに悪戦苦闘の連続。旗くんは何度も転倒した。隣の小川山とほぼ目線が同じくらいの高度になると、下ってきた登山者からの「小屋まであともう少し。」の激励の言葉に勇気づけられた。氷との奮闘の末、12時30分宿泊予定の金峰山小屋に到着した。宿泊手続きを済ませ、軽装で山頂へ向かった。岩のごつごつした登りで歩きにくかったが、五丈岩がだんだん大きくなるにつれて気分は高揚し最後は駆け足で登った。念願の金峰山山頂は風が強く凍えるように寒かったが、空は依然として青く澄み渡り、登頂した充足感に満ち溢れ心地よい寒さだった。それでも強風が吹き荒れていたこともあり、岩陰で昼食の準備に取り掛かった。食事を済ませるといよいよ五丈岩を目指した。我々よりも先行していた人たちは岩の登りの途中で悲鳴をあげ、途中で断念する人もいて登れたのはほんの僅か。見上げながら「そんなに怖いのか?」と思っていたが、いざ登り始めると折からの突風と足場の狭さでかなりのスリル感だった。旗くんが先に岩頭に立ち、見上げている登山者から拍手をもらった。続いて私も岩頭に到達するとやはり下から歓声が上がった。旗くんは五丈岩の上で暫く昼寝をしていたが、私は一度下りて三角点を確認しに行った。これだけの眺望にもかかわらず金峰山は三等三角点だった。下りてきた旗くんと記念撮影のあと、私は再度五丈岩に登った。2度目だと要領をつかんだせいか楽に登ることができた。山頂での憩いを1時間40分満喫し小屋へ戻った。金峰山小屋は雑魚寝のため1人当りの場所はとても狭く、天井も低いため屈みながらの移動を余儀なくされ不自由だったが、2階の部屋に寝床を確保すると、昨晩の寝不足もたたりまだ外は明るいのに寝入ってしまった。薄暗くなった頃に目が覚め、旗くんを起こし夕食の準備をしに外へ出た。日が落ちるとより一層寒さは増しており、雲の流れも速く辺りは霧が立ち込めていた。小屋前で震えながら夕食を摂っている最中、旗くんは頻りに「春山なんだなあ。」と呟いていた。食後は小屋前の大きな岩に登り、標高2500mの寒いけどどこか心地よい霧状の風にしばし当たっていた。周囲が一面霧に覆われた時「マイルドセブンの白い世界」と叫び、二人で大受けし笑い合った。小屋へ戻ると明朝に備え荷物整理をし、消灯前に就寝した。
【回想/2日目】あまりの寒さに目が覚めた。辺りは暗い。頭の上にある窓はちゃんと閉まっているのだが、すきま風が容赦なく入ってくる。懐中電灯を取り出し、腕時計を照らすとまだ午前2時。起床予定まで2時間もあるので寒さに耐えつつも再び眠りについた。次に目が覚めた時にはすでに明るくなっていた。慌てて時計を見たら4時40分、二度寝のため寝過ごしてしまった。旗くんを起こし、ほどなく金峰山小屋を後にした。出発の際、受付で記念品として折り畳み式の小さいハサミをいただいた。宿泊者に無料で配付しているとのこと。いただいたハサミをキーホルダーに取付け、これから数年間、登山だけでなく日常生活全般で肌身離さず持ち歩くことになる。早朝の金峰山は冷え込んでいた。昨日に続き2度目の登頂を果たしたが、強風にさらされカメラを持つ手は悴み、やっとの思いで握っている感じだ。それでも山頂からの眺望は素晴らしく、西に八ヶ岳連峰、左に目を転じると南アルプス、南東の方角には甲府盆地ごしに裾野を広げ均整のとれた秀峰富士の姿があった。悴んだ手で必死にシャッターを押し続けた。山頂を出発すると、ところどころ雪が残る滑りやすい稜線を下った。1時間半ほどで大日岩のたもとに着き、待望の朝食を摂ることにした。準備の途中大日岩を往復した。今回は私が先頭に天辺にたどり着き、旗くんが続いた。この登攀は五丈岩どころではなく登りよりも下りに神経を使った。一歩踏み外せば数百メートル滑落というスリルのある断崖絶壁だったが無事に戻ることができた。食事を済ませ大日岩を出発。今回の歩行は終始旗くんが先頭に立ち牽引してもらっていたが、次の大日小屋までの道ではその差がつきすぎて姿が見えなくなってしまった。そのせいで先に大日小屋に到着した旗くんが待っていたのを気づかず通過してしまい、旗くんが走って追ってきたというハプニングもあった。富士見平小屋までの道では、途中正規ルートを外れ踏跡に入り込んでしまい、道なき道を下りやっとの思いで小屋の前に出た。ここでザックを預けてディーパックのみの空身で瑞牆山を往復することにした。天鳥川源頭の河原までは緩い下り道で楽だったが、一歩瑞牆山に取り付くと急登の連続。登りながら旗くんは「こんな道あるか!まるで土砂崩れの跡だよ。」と叫んでいたがまさにその通り。急登の登山道には大きな岩がゴロゴロしていて何度も乗り越えていく始末。あまりのキツさにたびたび小休止を入れながら高度を上げていく。山上部には再び雪が現れ、傍らの木々には氷柱を見ることができた。先ほどまで見上げていた大ヤスリ岩を横に見ながら登り詰めると明るく開けた瑞牆山山頂に出た。日射しはあるものの、山頂を吹き付ける風はやはり冷たかった。早速昼食の準備にとりかかり、空腹のせいか、(非常食以外の)持参した食料はすべてこの山頂で食べ尽くしてしまった。眺めのよい山頂では写真を撮り続けたが、岩の先端に近づくとそこは大日岩と同じく断崖絶壁。足元には常に注意を払わなければならない。山頂を後にして気づいたが、肝心の三角点を確認するのを忘れてしまったため、帰宅後に確認しようと思う(瑞牆山は三等三角点)。往路の急登に反し、復路の下りはそれを逆手にこの急坂を思いっきり駆け下った。あまりのハイスピードに、すれ違いざまに初老の登山者に「これが若さだ!」と声をかけられた。結局、富士見平小屋まで駆け続け、僅か36分で戻ってきた。預けていたザックを背負い、瑞牆山荘へ向けて出発した。カラマツ林の緩やかな下りを進んだが、是非とも瑞牆山の雄姿をカメラに収めたいとの想いで歩きながら右手の景色に意識を集中した。樹林帯が続き木の間越しの状態が続いたがついに開けた場所に出て瑞牆山を収めることができた。そこから瑞牆山荘はすぐのところで、スタンプを押し、音色のいい鈴付きのキーホルダーを買った。瑞牆山荘からは砂利道をひたすら下ることになる。金山平では本日最後の金峰山、瑞牆山を撮り終えたところでちょうどフィルムも終わった。金山平からの金峰山の眺めは図書館で借りたガイドブックの中表紙の写真にあったとおり、登頂欲をそそる眩しい光景だった。ここでも旗くんと、写真を撮り続けていた私の差は大きく開き、やがて姿が見えなくなってしまった。砂利道から舗装道路に変わると脚への負担が大きくなり、3日前の健脚大会と同じ場所が痛み始めた。疲れがピークに達する中、長い道のりを黙々と下り続けると、増富ラジウムの温泉街が見えてきた。安堵感とともにものすごい疲労感に襲われた。やっとバスに乗れると思ったが、韮崎駅行きのバスの出発は約1時間後。ようやく来て乗り込んだバスには大学の山岳部らしき集団が殆どの座席を占領していて興覚めしたが何とか座ることができ、車内では心地よい揺れの中終始夢の中だった。JR韮崎駅でも1時間ほどの立往生を強いられ、旗くんは「悪循環だ。」と嘆いていた。時間つぶしに韮崎駅の窓口で色々と尋ねていると、時刻表の隅々まで探してくれるとても親切な駅員さんとの会話を楽しんだ。待ちわびた中央本線普通電車は座席が埋まっており、結局高尾駅までずっと立ったままでとても疲れたが、そのおかげもあり眠ることなく旗くんとの雑談に花が咲き充実の時を過ごすことができた。高尾駅で乗り換え西国分寺から武蔵野線で新小平駅まで。駅前の駐輪場では「往きもこんな感じで暗かったなあ。」と脚の痛みを感じながら延べ3日間の行程を振り返る二人だった。

































































