行程・コース
天候
快晴
利用した登山口
登山口へのアクセス
バス
その他:
【往路】西武新宿線小平駅(05:42)・・・拝島駅(06:22)・・・国鉄青梅線奥多摩駅(07:30)・・・西東京バス鴨沢バス停(08:13)
【復路】国鉄青梅線奥多摩駅(19:40)・・・拝島駅(20:40)・・・西武新宿線小平駅(21:00)
※往復交通費 計2,060円
この登山記録の行程
西東京バス鴨沢バス停(08:15)・・・小袖乗越・・・堂所(10:15)・・・ブナ坂・・・雲取奥多摩小屋・・・小雲取山・・・雲取山(13:10/14:15)[昼休]・・・三条ダルミ・・・三条ノ湯(16:05)・・・後山林道終点(16:30)・・・(途中、ハイカーに車に乗せてもらい奥多摩駅で下車)
高低図
標準タイム比較グラフ
登山記録
行動記録・感想・メモ
【回想】昭和59年(1984)10月、くわとうと石井が奥多摩の山でシュンランを採集してきたという話題がきっかけで山登りの話が具体化された。市立図書館でガイドブックを借りて奥多摩の山々を調べた。中学生の我々だけで登れそうなのはせいぜい御前山くらいかと思っていたが、仲間が増えるにつれ「どうせ登るなら東京都最高峰の雲取山へ登ろう!」という話になった。目的地が雲取山に決まったことで離脱する者も現れた。ボーイスカウト経験のあるタコ選手は以前鷹ノ巣山~七ツ石山間で道に迷いプチ遭難をした経験から「中学生だけで雲取山は危険すぎる!」とこの計画から脱退。青二も両親の許可を得られず辞退。参加表明した5名のうち登山経験があるのはボーイスカウトに入っていた三橋だけになった。10月19日放課後、2年H組教室で雲取登山の事前打合せを実施。じつは私も親から子どもたちだけで雲取山へ登るのは反対されていた。山に無知な親が「七ツ石までならいいけど雲取はダメ!」と全く根拠のない理屈で反対していた。仕方なく名目上は七ツ石山へ行くことにしておき、実際は雲取山へ行くという悪巧み計画をしていたのだ。出発前夜21時ごろの空は一面雲に覆われており心配しながら就寝。初の本格登山で興奮のせいか予定より早い3時25分に目が覚めた。やはり気になるのは天気ですぐに雨戸を開けた。見るとまだ暗い夜空には雲一つなく星がきれいに瞬いていた。5時19分、Pが呼びにやって来た。私の自転車はあいにく後輪パンクなどのトラブルで今日は乗れず、小平駅まではPの自転車の後ろに二人乗りで向かった。11月にもなると早朝は結構冷え込む。自転車の後ろで荷台のフレームを掴む両手が悴んでくる。振り落とされないよう掴まり続けた手は氷のように冷たくなった。5時32分小平駅で5人が集結。拝島行きの電車が来るまでにくわとう、三橋、石井の3人はトイレへ行った。しかし3人が戻ってくる前に予定の電車が来てしまったのだ。Pが3人を呼んだが来ない。私とPは仕方なく電車に乗った。その後3人も電車に飛び乗り何とか間に合った。序盤からハラハラする出来事があり、このメンバーだとこの先も思いやられるだろうと予想した。東の空が赤みを帯びてきたころ拝島駅に到着、国電のプラットホームへ向かった。青梅線のホームに着くと今度は駅員の使うマイクのスイッチを石井がONにして、くわとうがそこでしゃべるという事件を起こしたのだ。くわとうの声が駅構内に響き渡ると、ホームにいる人たちが一斉に我々の方を注目する。私、三橋、Pの3人は”赤の他人”のふりをしていたが、2人が近寄ってきたのでどうしようもない。結局我々5人はトンデモ中学生になってしまい、周囲の人たちに白い目で見られる羽目になってしまった。青梅線に乗るのは初めてなので楽しみにしていた。青梅を過ぎると車窓には奥多摩の山々が迫り、多摩川の深い谷間をぬって進む55分間を楽しんだ。車内では石井がドアが開いたタイミングでガム(か飴玉)の包装紙をホームに捨てていたのを発見し皆でその行為を責めながら減点コールでからかったりした。1回捨ててマイナス10点になったが、石井は後に再びゴミを捨て減点145点の新記録を作ってしまうことになる。混雑していた車内ではこんな調子で5人がずっとしゃべり続けていたこともあり、周りの乗客も中学生の駄話しを聞いてクスクス笑っていた。
奥多摩駅からの西東京バスは青梅線以上に混雑していた。鴨沢までの40分間、吊革につかまりつつも山あいと湖畔の蛇行する青梅街道の走行中は揺さぶられ続け、時折足の置場にも困るほどの混みようにうんざりしていたがようやく鴨沢登山口に到着。バスを降りるとさすがに空気はひんやりしていたが、秋の陽光が我々を暖かく照らしてくれていた。
鴨沢から七ツ石山・雲取山方面に向かう登山者は結構多く、バス停脇にある公衆便所にも列をなしていた。我々も登山前に用を足そうと並び、早めに終えた三橋とPは先に荷物を置いた場所に戻り残ったのは3人。混んでいたため石井は空いている大便の方に入った。私とくわとうは用を足し石井を呼ぼうと先ほど石井が入った個室の扉を叩き「石井、早く出てこい!」とやったが、中から声はせず咳払いが聞こえた。後ろを振り返ると石井はすでに荷物を置いた場所に戻っているではないか!私とくわとうは慌てて走って逃げる始末。またもやトンデモ中学生によるいたずらになってしまった。
空は澄んでいて絶好の登山日和、清々しい朝である。8時15分、危険といわれている雲取山へ向けて進みはじめた。序盤はコンクリートの急坂を一気に登る。一度大きく左に折れて直進するとすぐに土の道に変わる。傍らの畑の向こうには奥多摩湖の水面と対岸の山が見えてくる。しばらく針葉樹の樹林帯を緩やかに進むとハイカーの駐車場になっている小袖乗越に出る。車を停めここを起点に歩き始める人たちも結構多かった。一度アスファルト道に出て少し行くと左手に七ツ石山・雲取山方面を指し示す道標がある。ここからがいよいよ本番。急登の連続となる登りは小刻みに休憩を入れて息切れしないように心掛けた。しかし、ボーイスカウト経験者の三橋が言うには、ゆったりとしたペースで休憩を入れない方がより良い歩き方らしい。とは言っても時折一服したいのが人情というものだ。秋の山は寒いと言われていたが寒いどころか歩いているうちにすぐ暑くなってきた。東側の尾根(赤指尾根)ごしに登山道にも朝日が射してきた。周囲の山々は紅葉の時期に終わりを告げ落葉し始めていた。それは高度を増すごとに顕著になるようだったが、赤指山の方はまだまだ紅葉真っ盛りのように見えた。前方が開けた場所に出た。石尾根の方が見えてきた。高丸山あたりだろうか。途中の水場では喉を潤したりした。堂所付近では見知らぬ高齢ハイカーが「この分なら12時半には雲取に着けるな!」とおっしゃっていた。この先のいくつかの急登を越えると分岐点に出た。右手は七ッ石小屋経由で山頂方面、左手は直接ブナ坂に出る巻き道。5人で話し合った結果、七ツ石山の登頂は断念し巻き道を進むことにした。雲取だけを目標とすることが具現化された瞬間だった。早速巻き道を進みブナ坂方面へ向かう。巻き道からは飛竜山を見ることができた。巻き道では見知らぬおにいさんと出会いしばらくついていくことになる。ブナ坂に着いて小休止しようと思ったが、先ほどのおにいさんが「少し行ったら眺めの良い場所があるからそこまで行って休んだ方がいい。」と教えてくれたため休まずに進んだ。ここからは石尾根縦走路になり、気持ちの良い防火帯の尾根道が続く。奥多摩の山々をはじめ富士山、大菩薩連嶺、遠くは南アルプスまでも望める道は最高の気分である。おにいさんが教えてくれた眺めの良い場所とは「雲取山ヘリポート」のことで、ようやく目的地の雲取山が見える場所で休憩することにした。ここは荷下ろしの際や山岳遭難など非常事態の時にヘリコプターが離着陸できる広大な場所になっている。都会のごみごみした下界から大自然と一言でいえる場所に我々はすでに足を踏み入れている。山の天気は相変わらず快晴、真っ青の青空は今にも吸い込まれそうなほどである。そんな青空ばかり見ていたらトラブルが発生、Pが左足を挫いてしまったのだ。大したことはなさそうなのでそのまま進むことにした。小雲取山までの道は尾根上ではなく巻き道を選んだ。この巻き道は両側が背丈よりも高いクマザサに覆われており展望は良くない。小雲取の肩で富田新道とぶつかる。ここから小雲取山までが今日いちばんの急登で一同少々バテ気味になる。小雲取山に登り着くと感嘆の声が上がった。巻き道の登りも辛かったが、南面に続く尾根上の急登も相当なもので「巻き道で良かったかもしれない。」という声が漏れていた。小雲取山から少し進むと突然視界に雲取山の山頂部が飛び込んできた。ここからはビクトリーロードの如く雲取山を正面に眺めながら一歩一歩近づいていくことになる。2000mの稜線歩きで気分は高揚するばかり。南峰を見上げる直下に達すると山頂目がけて一目散に駆け上がった。
ついに13時8分、東京都最高峰の雲取山山頂2018m(現在は2017m)に立った。これまでに味わったことのない何とも言えない幸福感である。全員が到着したところでお決まりの「バンザイ三唱」と「お手を拝借」で登頂を祝った。山頂に集う人々も我ら中学生の盛り上がりに笑って応えてくれている。日射しはあるものの昼食を摂り始めてじっとしていると少し肌寒くなってきたが、それに負けない熱気がこの山頂には包まれていた。一等三角点、大きな標識、好展望、手の届きそうな雲の流れ、全てが物珍しいものばかりで一同大興奮。近くに陣取っていた山岳会の皆さんに豚汁をごちそうになり心も身体も温かく満ち足りた気分を存分に味わうことができた。
腕時計を見るともう14時を過ぎていた。まだまだ名残惜しいところだが出発予定時刻を過ぎていたため山頂を後にした。三条ダルミまでの道は岩まじりの急な下りで、登るのはさぞ大変だろうなと思いながら下った。三条ダルミは背後に雲取山が控え、陽だまりの休憩場といったところだろうか。飛竜山方面は奥秩父主脈縦走路と呼ばれる長大な尾根道で、西端ははるか金峰山まで続いている。縦走路を見送り左手の三条ノ湯へ下る道を進む。もう飛竜山を見ることはない。一方、雲取山は下る途中からも木の間越しから依然見ることができた。しかし下るにつれ雲取山の姿も小さくなり、「またいつか登りたいものだ」と念じているとやがて尾根の陰に姿を消した。この下りでは私とPは殆どしゃべらずに歩き、一方他の3人は間断なくしゃべり続けていた。何度も「うるさいから静かにしろよ!」と伝えるが一向に静かにならないので放っておくことにした。雲取山山頂にはあれほど大勢の人たちがいたのにこの下りでは殆ど会うことはなかった。黙々と歩き続けていると最近流行の曲やTVCMの音楽が頭中を駆け巡ってきた。角川映画”Wの悲劇”薬師丸ひろ子の『Woman』とマット・ディロン出演のサントリーリザーブシルキー「時代なんかパッとかわる」のCM音楽が交互に流れていた。いずれもこの時期毎日のようにテレビで流れていたメロディーである。
単調で長い下りに退屈していたのか、くわとうが突然、嘉門達夫の『ゆけ!ゆけ!川口浩!』を口ずさみ始め一同大合唱になった。こういう時の歌は気が紛れて一服の清涼剤になり得る。それでも延々と続く下りで足がおかしくなりそうだと思いつつ歩き続けていると、突然後ろでバサバサッと何かが落ちる音がした。「Pが落ちた!」というくわとうの声で振り返るとPが急斜面に落ち、枝につかまりながらもがいでいた。しきりに「早く助けてくれ!」と自力で上がって来れなさそうなのでわたしとくわとうで引き上げた。救出後、Pの顔が何とも言えず写真を撮っておけば良かったと笑いながら話す4人とは違い、Pは終始興奮気味だった。相当緊迫していたに違いない。そこから少し下ると三条沢に出た。この沢ではわさびの栽培をしていた。わさび田を見るのも生まれて初めてだった。三条ノ湯まではそれほど時間がかからずに到着した。ここまで下りてくるとやはりホッとするのは私だけだろうか。ここで少し休んだのだが、山小屋の受付にいるおやじが髭をたくわえた不愛想な感じで近寄りがたい雰囲気だったため、おみやげ(記念品)を買おうか迷っていたが、石井の「駅前にも売店があったからそこで買えばいいじゃないか。」の一言でここでは買わずすぐに出発した。三条ノ湯の下を流れる河原には多くのテントが張られていた。まだ辺りは明るいので歩くにはさほど影響はなさそうだが道のりは長い。
林道までは右側が崖状になっている狭い高度感のある道で、足を踏み外すと先ほどのPでは済まなくなる、緊張感漂う山道である。30分ほどで後山林道に出た。ここからは果てしない林道歩きになるが、歩きはじめるとしだいに薄暗くなってきた。なおも進んでいくといよいよ真っ暗になり懐中電灯の登場となった。11月に入ると日が短いので仕方ないが、こんな暗闇の林道を中学生だけで歩いていることはあまりないことだろう。なおも真っ暗な林道を歩き続けていると後方から1台のワゴン車が近づき我々の前で停まりドアが開いた。「乗っていきなさい。」と言われて車に乗り込んだ。車内には5人の方が乗っており合計10人になった。「奥多摩駅まで乗せていってあげますよ。」と言っていただいた。林道歩きで一同かなり疲れていたので本当に有難かった。車に乗せてもらったからといってまだ100%安心とはいえない。後山林道は全区間砂利道のため車体が終始左右に振られる。しかも右側は後山川の深い谷になっているため、あまりの揺さぶりに崖下へ転落しないか心配になるくらいだ。車のライト以外は明かりがないまさに闇の世界というのも恐怖感を高めるには十分すぎるシチュエーションだった。
長い林道を抜け国道411号線を東進する。やはり外灯のある舗装路に出ると、死地から脱出した感じで一気に安堵感が漂う。御祭からしばらくは順調に進んだが奥多摩湖付近から渋滞し始め結局1時間以上もかかってしまった。奥多摩駅に着き御礼を言って下車、親切な方々の車を姿が見えなくなるまで見送った。
駅前では早速土産物店に立ち寄ったが雲取山の記念品は見当たらず、石井の予想は見事に外れたためみんなで石井の失態を責めた。それでも各自おみやげを買っていると青梅線が入線してきた。急いでキップを買い、駅に備付けの記念スタンプも押し電車に飛び乗った。飛び乗ったものの発車まで時間がありそうなので荷物を置いたまま、三橋と石井は家に連絡するためホームの階段を下りて公衆電話へ向かった。なかなか戻ってこなかったが石井は戻ってきた。しばらくすると電車のエンジンがかかり始めた。発車時刻になったが三橋は戻ってこない。くわとうは万が一に備えて電車の窓を開け飛び乗れる準備をした。Pは階段の途中まで下りて「三橋早くしろ、出発しちゃうぞ!」と叫んだ。私も「車掌さーん、出発を遅らせて下さーい!」と大声で叫んだ。するとその瞬間エンジン音が止まり、三橋も無事に乗ることができた。今度は三橋の失態をみんなで責めた。くわとうは私の行動を「普通ではあんな恥ずかしいことできないよ、まさに危機の時しかできないな。」と言うと、Pも石井も頷いた。三橋は「いい友人を持って幸せだ。」と。
拝島駅で西武拝島線に乗換え、車内では若いあんちゃんにちょっとしたことで睨まれることになった。テンションの高い我々中学生が騒ぎ過ぎて周りに迷惑をかけてしまったのは間違いないが、あんちゃんに睨まれたのでみんなでそのあんちゃんの顔を見て笑い合ったので余計睨まれることになった。小平駅で下車し、南口の駐輪場で散会。中学2年生のものすごく密度の濃い大冒険である一日はこうして幕を閉じたのである。
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