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行程・コース

天候

晴、弱い風

登山口へのアクセス

バス
その他: 宿泊先、八丈富士東麓にあるリードパークリゾートホテルから町営バス「倉の坂」バス停(発駅神湊の次)まで歩いて25分、「保健所」(「NTT前」の一つ前)で下車、乗車時間10分、すぐ前に登山道入り口(道に沿って電柱が山に向かって並んでいる)。➡web「八丈町営バス」で運行時刻、バス停を確かめる。午前中4便ある。

この登山記録の行程

登山口(8時45分)---給水休憩5分----大滝、鉄壁山方面との分岐点(*1)(9時20分)----大阪トンネル・伊郷名方面との分岐点(*2)(9時37分、5分間周囲探索)----NTT?無線中継所(9時48分)(*3)---山頂の「防災無線中継所」の塔が見え、周囲を270度見渡せる標高650~60mの小さな草っ原(10時20分)----「防災無線中継所」(山頂)(*4)10時40分---給水・給食/休憩5分-----樫立・中之郷方面との分岐点(*5)(11時12分)----「ポットホール末吉」方面との分岐点(*6)(11時38分)----左側に鎖が張られた立ち入り禁止の道(12時3分)----「東京都三原線 起点から2km」の標識。左上への分岐点、石の標識「旧軍隊の防衛道路云々」(*7)(13時5分)----ゴール・「東京都三原線起点」(13時32分)

(*1)1辺が50㎝ほどの立方体を対角線沿いに半分に切った時にできるような黒い石の三角柱で、道路に向いた方の2面の各々に矢印とともに行き先が刻まれている。非常に立派な標識。*5、*6、*7も同様。
(*2)ここには*1のような石の標識はなく、大阪トンネル方面は通行止めになっていた。少し先に行ってみると道路の脇に次の文が刻まれた石碑があった「この道路は坂上/坂下を結ぶ重要バイパスだったが、昭和50年10月の台風13号で被害を受け通行不能になった。51年から52年競馬組合拠出金で復興されたことを記念する碑」。
地理院地図では分岐点から100mほどのところに標高363.5mの三角点があり、道路とは標高が10mほどしか違わない。確かめてみようと、もう少し先に行くと右に小ピークがあり、道らしいものもあったが藪で行けそうにないので、ここから元の分岐点に戻った。これが「5分間周囲探索」の内容。
なお、ヤマケイ、登山記録、「ちっさん」、「三原山(八丈島」2017年12月24日)https://www.yamakei-online.com/cl_record/detail.php?id=117620によると
ちっさんたちのスタート地点がこの場所で、添付写真では、ここに「三原山登山口の碑」がある。私はこの「碑」を見なかった。写真の「碑」は古いもののように見える。一方、*1の石の標識は表面が光っていて新しいもののように見えた。私が見落としたのでなければ、登山口が実質的にこの場所でなくなって、ちっさんたちが見た「碑」は撤去されたのかもしれない。

(*3)ここまでは幅5mほどの舗装道路。中継所の裏から木立の中、狭い階段の急坂を上り稜線に出る。

(*4)私は早合点で、無線中継所が山頂にあると思っていた。

(*5)この分岐点から少し山頂/無線中継所に戻ったところには交通止めの柵が設置されていた。そこから上は中継所の保守など作業用の道路らしい。
この分岐点にはまた「東京都三原線 起点より〇km、大池・小池へ△km」という、バス停のような形の標識がある。
大池・小池は樫立・中之郷方面に向かうみちの途中にある場所。
(*6)地理院地図では、ここは東白雲山(標高608m)山頂を経て末吉方面に下る道との分岐。だが、(三原線)道路の標高が600mで、道路際には樹木が生えているため、東白雲山は見えない。またそちらに向かう道は細く藪になっていて、最近人が歩いた形跡がない。また、ポットホールという地名は地理院地図にはない。
(*7)この標識には「旧陸軍の防衛道路で、荒れているので、新しい三原線を上りましょう」と書かれていた。これは、地理院地図で標高200mほどのところから御幸滝に向かっていく単線の実線で描かれている道と思われる。

コース

総距離
約17.7km
累積標高差
上り約1,193m
下り約1,237m

高低図

GPX ダウンロード KML ダウンロード

登山記録

行動記録・感想・メモ

東京に住む娘とともに、東海汽船で八丈島に着いたのは6月3日。予定では、天気が良ければ、ホテルで不要な荷物を預けて、一緒に八丈富士に登るつもりだったが、あいにく八丈富士は麓近くまで雲に隠れていて、頂上で景色を楽しむことは全く期待できなかったので、登山は中止。歴史民俗資料館、宇喜多 秀家の墓、玉石垣の里などを回った。

翌4日の三原山登山は私一人で上った。(とくに山が好きでもない娘は温泉巡りなど。)5,6時間の行程と見込んでいた。ほとんどが舗装道路なので、登山靴は履かず、普段近所の低山に行くときに履く、少し底の厚い運動靴にした。一人なので、自分のペースでなるべく速く歩こうと考えた。涼しかったので休憩もほとんど必要と感じなかった。

登山口からNTT?の無線中継所までは幅5mほどの舗装道路で、傾斜も緩やか。この無線中継所の裏から標高650~60mの稜線に出るまでの細い道は急坂だが、しっかりした階段になっていて上るのに問題はない。

「草っ原」から頂上付近の「防災無線中継所」までは、少し下ってから登り返す。ところどころに古い木の階段の跡、砂袋、プラスティック製の階段などが混在する坂道になるが、上りにくいということはない。

(*5)の分岐点から三根方面に向かって下りた「東京都 三原線」はバスも通れそうな広い舗装道路で、1kmごとに標識が立っている。ただ、車や人の通行はめったにないようで路面には湿った苔が生えていて、とくに下りは、滑らないように注意する必要がある。
「起点」は、(底土港などのある三根地区を通る)一周道路の鴨川/大川にかかった橋のすぐ近く。「起点」を示す標識はだれにでも一目でわかる。

失敗は、頂上付近にある無線中継所と山頂を取り違え、山頂(標高701m)に行かなかったこと。
山頂と中継所のある場所が別だということに気が付いたのは、下山し、帰宅後、ヤマケイで「ちっさん」の「報告」―「行程」の(*2)に記載―などを見た時である。10mほどの差だが、山頂に上らず、山頂から見える景色も、三角点の写真も撮らなかったのは大失敗だった。
中継所での「給水・給食/休憩5分」の間にここが山頂かどうかについて何も考えなかった理由は「標高650~60m地点の草っ原」で眺めた景色がよく、そこで満足してしまったこと、そして、できるだけ早く歩くことに一生懸命だったためではないかと思う。
晴天だったこともあり、「草っ原」からは八丈富士が正面に、その左に八丈小島、右に神湊港・底土港、さらに右に三原山山頂に続く火山の噴火口の縁などがくっきりと見え、八丈島の景色を満喫させてくれた。その時撮った写真を添付した。

下山途中で何度も八丈富士が見え、雲は頂上付近に少しかかったり全く晴れたりしていたので、下山後、ふもとの「富士登山道入り口」(という循環路線のバス停)までタクシーで行って、富士にも上ろうと考え、足は一層早くなった。結果、5時間弱で下の「起点」に着いた。

「起点」まで下りた後すぐ、ケイタイに入れてあったタクシーに電話したのだが、タクシーは出ており、代わりに出た女性が私のいる場所を尋ねるので「東京都三原線 起点」と答えるが知らないらしく、また、(連絡を受けた)タクシーの運転手もわからないらしく、私との間でやりとりを繰り返し、私は結局40分待たされ、「今そちらに向かってます」と言われたのだが、(やはりすでに疲れていたのか)すっかりフジ登山に向かう気力が萎えてしまっていて、タクシーは断り、フジ登山を止めホテルに戻った。残念だった。

多くの人は山上からの展望、山中の野鳥の鳴き声、珍しい植物との出会いなどを山歩き/山登りの理由に挙げる。私は少し違う。私はある程度の荷を背負ってひたすら歩くこと、自分が立てた計画通りに登ったり下りたりしながら「歩けている」ことが楽しくて山に行くようだ。しかし多少は周りの自然にも目や耳を向ける。
今回の三原山登山では、よく知っているウグイス、メジロ、イソヒヨドリ、ホトトギスのほかに、トラツグミまたはアカコッコと思われる(右下がりの)ヒュー ヒューという鳴き声(帰ってからYoutubeなどで聞いてみたが区別がつかない。八丈島には両方いるそうだ)、虫の鳴き声かと思うような チ チ チというイイジマムシクイの鳴き声などが聞こえた。
植物ではふもとの道路際に生えていた月桃(ゲットウ)に興味をひかれた。正しくはタイリン月桃で、台湾から沖縄など琉球列島にかけて生息する月桃の一種(詳しくは「月桃インホメーション」http://www.gettou.info/gettou-bunp.html。)で、大東島、小笠原にあるが、御蔵島以北の伊豆諸島、本州、九州にはみられないという。分布、変種が生じた過程に興味がわく。

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フォトギャラリー:5枚

麓でみた月桃(ゲットウ)

三原山から南東方向を見る。先端は小岩戸の鼻。

北西方向に見える八丈小島

山頂の無線中継塔

三原山から見た八丈富士と三根地区

装備・携行品

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登った山

三原山

三原山

701m

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