行程・コース
天候
晴れ
登山口へのアクセス
マイカー
その他:
国道194号で仁淀川を遡り、勝賀瀬の名越屋橋(沈下橋)分岐南方の路肩が若干広くなっている所に駐車。本ルートを回遊する自信がある者は、鷹羽ケ森北谷登山口手前の北谷橋南側広場に駐車しても良い。
この登山記録の行程
駐車場所9:47・・・尾根に出た所で休止11:23~11:34・・・大津江山山頂で休止11:54~12:10・・・藪化した作業道起点12:59・・・林道の三叉路13:25・・・鷹羽ケ森登山口13:28・・・鷹羽ケ森山頂で休止13:45~14:05・・・展望岩で休止14:15~14:30・・・産屋谷渡渉15:12・・・産屋谷コースと尾根コースとの分岐15:24・・・弘瀬コース分岐15:33・・・北谷集落の車道終点16:19・・・駐車場所16:43
高低図
登山記録
行動記録・感想・メモ
[無名低山から高知県屈指の展望山へ]
鷹羽ケ森(918.9m)は昭和期より、石鎚山系を遠望できる好展望山として知られ、高知市に比較的近い旧伊野町にありながら、登山口と山頂の高度差が900m近くある、登り堪えのある山として知られていた。しかし近年では、橋床と柳瀬石見を結ぶ林道が稜線まで到達し、軽めのハイキング程度で登頂できるようになった。が、大半の登山者は麓から登っている。それは山頂の東方に石鎚山系とは反対の太平洋側を望める展望所と、回遊コースが再整備されたことが影響しているかも知れない。
一方、鷹羽ケ森と尾根続きの南方にある大津江山(522.8m)は展望も悪く、地形図に山名表記もなく、登山ルートもあまり知られてないことから、入山する者は極めて少ない。しかし近年、三角点が再測量されたらしく、周辺の尾根は刈り分けられている。
鷹羽ケ森とセットで登る回遊ルートがあれば、もっとこの山に登る者が増えるのではないかと思い、藪のないルートを探ったのだが、途中から国土調査の杭につられ、予定していたルートよりも急登のルートを辿ることになってしまった。
因みに大津江山の山名について、高知の登山界のレジェンド、MH2氏は仁淀川の川港に由来しているのではないかという見解を示されていたが、当方は「大潰(おおつえ)山」の当て字ではないかと思っている。高知では山の斜面が大規模に崩れることを「山が潰(つ)える」と言うのだが、大津江山の南側は急傾斜の砂礫地となっており、実際、峠道や山道が土砂に埋まっている箇所もあるのである。
[コース]
ルートは、西の谷集落から谷を遡るルートを取った。集落から谷沿いを少し遡った所に神社があるため、その神社から奥の道も残っているのではないかと睨んだのである。
それは的中しており、神社から奥の方まで、コンクリート歩道になっていたのである。これは砂防ダムの建設や、奥の植林帯の造林作業等が影響しているのかも知れない。
コンクリート道から昔のままの峠道に変わってほどなくして、下方の水流が殆どない谷を見下ろすと、小さな滝壺のような甌穴が川床に連続して形成されているのが見える。川床に一定の落差があるため、甌穴ができるのであるから、大雨時は見応えのある激流になるのかも知れない。
やがて峠道は右手に折り返し、角度をつけて高度を上げる箇所が何度か現れるようになる。最初の方のその斜面は植林帯なのだが、そのうち雑木の砂礫地になる。
道には国土調査の杭が打たれているが、谷や尾根、往還等が調査対象になるケースが多く、その際、三角点の再測量も行われる。てっきりこの杭は峠道を峠まで上がり、そこから尾根を大津江山まで辿っているものと思っていたが、ふと気づくと方角が可笑しい。高度計を見ると260mを指している。この杭はどうやら峠道ではなく、谷を測量対象として辿っているようである。本来は100m台で西の支流沿いに移らなくてはならないのだが、分岐を通り過ぎてしまったようである。。しかし今から引き返すと時間のロスになるし、当の峠道を登ったとしても、上部で藪化している可能性もある。だとしたら、測量杭を追った方が藪漕ぎをすることなく登頂できるのでは、と判断した。
しばらくすると杭は谷を渡渉し、対岸の植林帯の際を遡るようになった。やがてまた沢を渡り直した。そしてほどなくして、杭は途絶えた。滑り易い急傾斜の砂礫地である。
何度か滑り落ちながらもがむしゃらに斜面を上って行ったが、前方に巨大な岩盤が現れたので、東側に巻き気味に登っていくと、更に東方に尾根っぽい斜面が見えた。それに乗れば登り易くなるはずである。それを上り詰めるとようやくはっきりした尾根に出た。測量杭も打たれている。ここは大津江山南東の尾根上である。ここから上には杭がずっと打たれており、尾根道も明瞭。
大津江山山頂はごく一般的なマイナー山の山頂だが、キティ山岳会の登頂記念板はあるものの、MH2氏のものはない。これはMH2氏の登頂後に三角点の再測量が行われたことを示しているのではあるまいか。測量の対空標識がないのは、航空測量からGPS測量に変わったためか。しかし本来、どんな理由があろうと登頂記念板を撤去することは法的には器物損壊罪にあたるので許されない。地権者であっても、である。それ故、もしMH2氏が損害賠償請求をすれば、国土地理院は100%賠償しなければならない。
それにしても当方が県内の無名峰の開拓を休止していた10年(その間、街道や鉄道廃線跡、戦跡等の踏査・探訪を行い、ガイド書を出版していた)のうちに、MH2氏に代わって、すっかりキティ山岳会が無名峰を席巻するようになってしまった。
大津江山の北西位だったと思うが、巨石・巨岩群がある。次のピークは、地図を見ていないとそのまま西の尾根を辿りそうになるが、ここで北に折れなければならない。
斜面のように広がった急登の尾根を喘いで755.9m峰南方の小ピークに取付くが、その先のコルには藪化した作業道が延びていた。755.9m峰を迂回できるだろうと思い、その北西に伸びる道を辿ると、右カーブを曲がった先で、土砂崩れを起こしていた。砂礫地だが、そこは簡単に越えられる。
やがて林道に出た。これは柳瀬石見から上がって来ている林道ではあるまいか。この林道が稜線に接した地点には「下山路」の道標が立っており、以後、鷹羽ケ森まで道標が案内してくれる。この「下山路」とは、後述の「尾根コース」のことである。
林道の三叉路は右に折れ、稜線の東側に移る。前方には植林の鷹羽ケ森が見えているが、すぐまた道標があり、そこから尾根に乗る。尾根道は植林帯の中を一直線に上っている。
再び林道に出ると、すぐまた左手の尾根に乗る。ここから上は植林はない。
鷹羽森神社の祠の先に三角点が立つ絶景山頂がある。分県登山ガイドの旧版では、展望は北面だけのみ広がる、と記されていたが、今日では石鎚山系方面だけでなく、西側も開け、更に祠の東からは南西方向も見渡せる。ここまで展望が開けた山はそうそうあるものではない。
山頂からは東に進むとすぐまた林道に出る。少し歩くと林道は右急カーブを描き、下り坂になるのだが、ここで再び尾根に乗る。ここには多分、かつて道標が立っていたことだろう。
地形図で見るよりも急な下り坂になってやや不安になるが、先のコルには道標が出ている。その南東の860mピークに、鷹羽ケ森山頂からの展望に勝るとも劣らないパノラマが広がる展望岩がある。ここからは太平洋側が開け、水平線まで見通せるが、なんと西の谷の登山口辺りの仁淀川から、仁淀川河口大橋まで見渡せるのである。海が見渡せる山としても県内屈指の展望である。
展望を心行くまで楽しむと道標が立つコルまで戻り、南西へと下る。途中、段々になった植林帯や扇状地形の植林帯では道が不明瞭になるが、いずれもコースは左手下方にある。
755.9m峰に源を発する産屋谷の渡渉地には道標が立っているが、谷は転石で埋め尽くされている。
両側の岩場を抜けた先で一旦尾根に乗り、そこには「産屋谷コース」と「尾根コース」の道標が立っており、南上にはピラミダルな立岩がこちらを見据えている。
498m独標点の西辺りが、弘瀬コース分岐点だが、どちらのコースも等高線が急で、あまり上りには利用したいとは思わない。
北谷集落上まで下りてくると水路沿いのコンクリート歩道を下り、住宅街を抜け、勝賀瀬川支流の川に突き当たる。ここが集落の車道の終点である。正規コースはその車道を勝賀瀬川まで下るのだが、当方はすぐ東の橋を南に渡り、突き当りの民家東から南下する舗装歩道を辿った。距離的にはあまり変わらないが、車道よりは歩道の方がいいだろう。
県道に出ると、後は南に国道へ戻るのみである。
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装備・携行品
シャツ | アンダーウェア | ダウン・化繊綿ウェア | ロングパンツ | 靴下 | レインウェア |
登山靴 | バックパック | スパッツ・ゲイター | 水筒・テルモス | ヘッドランプ | 帽子 |
グローブ | 地図 | コンパス | ノート・筆記用具 | 腕時計 | カメラ |
ナイフ | 医療品 | 行動食 |
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