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石尾根の将門伝説(将門の城山、将門馬場、城城跡など)

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パーティ: 1人 (目黒駅は品川区 さん )

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行程・コース

天候

晴れのち曇り

登山口へのアクセス

電車
その他: 往路:目黒→山手線→新宿→中央線→立川→青梅線→青梅→〃→奥多摩→西東京バス→大麦代(※コロナで奥多摩湖園地と奥多摩湖バス停地閉鎖のため)

復路:奥多摩→青梅線→青梅→〃→立川→南武線→武蔵小杉→東急目黒線→武蔵小山

この登山記録の行程

大麦代バス停530m7:20~22→水根バス停500m7:30~33→登山道分岐7:43→最後の水場1000m8:55~9:00→榧ノ木尾根10:00→石尾根縦走路巻道10:15→石尾根縦走路稜線10:19→水根山1620m10:22→将門の城山1523m10:43→涸(カラ)沢ノ頭1490m10:48→将門馬場1455m11:00~11:05→大堀1430m11:24→六ツ石山1478.8m11:38→三ノ戸木山1477m12:18→峰畑峠(越路の杜)885m12:46→峠道消失(廃道)のため尾根を突っ切る→崖をロープで林道に下りる13:15→峰畑集落入口13:33→峰畑集落跡520m13:44→峰畑の将門社630m13:55~14:00→絹笠集落跡14:46→絹笠神社(稲荷神社)690m14:52→城集落680m15:08→三ノ戸木集落・三ノ戸木将門社759m15:22~30→城集落・城城跡684m15:45~16:00→羽黒三田神社奥宮480m16:30→羽黒三田神社里宮350m16:53~17:05→根元神社300m17:22→奥多摩駅343m17:34

合計10時間14分

コース

総距離
約26.0km
累積標高差
上り約2,309m
下り約2,510m

高低図

GPX ダウンロード KML ダウンロード

登山記録

行動記録・感想・メモ

5月1日(土)は、奥多摩のもう1つの将門城である「城城跡(栃久保城跡)」に行って来ました。この城跡は石尾根縦走路で六ツ石山から奥多摩駅へ下る途中の、その名も「城(じょう)」という集落にあります。石尾根というのは将門伝説にことかかないですが、七ツ石山から全部回るのはさすがに大変なので、水根沢林道を登り鷹巣山の隣の「水根山」からスタートすることにしました。水根山と六ツ石山の間に「将門の城山」と「将門馬場」と「大堀」が3つ並ぶので効率が良いです。

水根沢林道に行くには、奥多摩駅からバスに乗って「水根バス停」で降りるのが一番近いのですが、次の「奥多摩湖バス停」で降りるとトイレがあるので、奥多摩湖で降りようと思っていたら、コロナの緊急事態宣言で奥多摩湖の園地が閉鎖になっており、当然園地内にあるバス停も使えないので、バスが奥多摩湖を飛ばして水根からいきなり次の次の大麦代まで行ってしまい、朝一番から焦りました。

でも大麦代のトイレは閉鎖されていなかったので結果的に助かりました。

大麦代バス停から水根バス停まで歩いて戻り、少し歩いたので体が温まったので上着を脱いで準備して、トンネルの手前の奥多摩むかし道の標識なところから水根沢林道に入ります。後は水根の集落の中で登山道に入る二又さえ見落とさなければ一本道です。水根沢林道は荒れていて通行困難と書かれていますが、1ヶ所崩落箇所があるだけで、あとは普通に歩けます。

地図上の約1000mのところにある最後の水場で一度休憩をとります。その先道は沢を離れ、急登となって、ジグザグ登り切ったところでまず六ツ石山への分岐にぶつかります。その先もうひと登りで倉戸山からの尾根道に合流し、さらに登って行くと、水根山の下で石尾根縦走路にぶつかって、鷹巣山方面に巻くように進むと、石尾根稜線に上がる踏み跡があるので、そこを登ります。そして戻るように進むと「水根山」1620mの平坦な何も無いピークに着きます。

水根山から東へ防火帯の道を進むと、防火帯が終わる少し手前の一番高い場所が「将門の城山」1523mです。山頂標識はありません。ここは「鳩ノ巣城山」と「城城」に加えると3つ目の将門城になるのですが、さすがにこの高くて寒い場所に城や砦を築く人間はいないと思うので、将門城には含めません。一応『多摩郡村誌』に、将門の一夜城とも城壁であったと記されていて、地元の人は「平親王様のお城」と言っていたそうです。

将門の城山からもう少し進むと「涸(カラ)沢ノ頭」1490mで防火帯は終わり、急な下りになります。それを下り切って平坦な場所が続くようになると「将門馬場」です。登山道は将門馬場山頂1455mの南側を通っていて、標識も山頂方面に迷い込まないようにつけられているので通り過ぎ注意です。まあ場所柄、山頂に行かなくてもいいんですが、山頂には山頂標識と基準点があります。将門馬場は「馬責場」ともいい、将門が馬術の稽古に励んだ場所と言われているんですが、馬を登らせるだけでも大変なこの場所で訓練をするとも考えられないので、将門の城山同様に将門講を率いていた修験道の人が修行中に霧に巻かれて幻想を見たのかも知れませんね。

将門馬場山頂からは、元来た道を戻らなくとも、そのまま直進すれば登山道にぶつかります。そして短い急坂を下ると六ツ石山との間にある鞍部に着きます。ここから登山道道は山の北側を巻いて行くのですが、多少薮こぎをして稜線の道無き道を進むと六ツ石山手前の小ピーク1420mに着きます。ここは「大堀」と言って、逃れてきた将門一行が、陣を構えて堀を造ったとも、将門の息子・良門の居館があった場所ともいわれています。さらにもう1つ小ピークを巻いた先の六ツ石山と鞍部に昔は沼か湿地帯だったのではと思わせる平坦な場所があるので、おそらくここが大堀の名前の起源なんじゃないかと思います。住むのはさすがにあれですが、隠れてテント張るには良さそうな場所です。

巻き道に戻るのも面倒なので、そのまま道なき道を登ると「六ツ石山山頂」1478.8mに着きます。昔は鷹ノ巣山や七ツ石山と比べると地味でたいして展望の無い、石尾根縦走の際にはパスしたいようなピークだったのですが、久しぶりに来たら広々とした展望もきく、気持ちの良い場所になっていました。曇って来たので富士山は見えなかったのですが、マメザクラが満開でした。

六ツ石山山頂から下って巻き道と合流すると、少し先に将門を祀っていると伝えられる巨石群があります。壊れた木の社が目印です。

六ツ石山からしばらく行くと再び防火帯の急で長い下りが始まります。これを下りきって2つ目の縦走路かから外れたピークが「三ノ戸木山」です。昔は分岐にあった山頂方面を示す手書きの標識が今は無くなっているので、縦走路が山頂の北を巻こうとしている場所が入口です。1つ目の小ピークは南側を巻きます。「三ノ戸木山」の山頂1477mは防火帯の延長にある平坦な場所で、基準点はありますが山頂標識はありません。山頂北側まで東京農大演習林の林道が延びていて、それを辿ると縦走路に合流することができます。

この三ノ戸木山の中腹に本日の目的地である「城城」はあります。登山道に戻ったら、まずは薄暗い杉の植林の深く掘れた急坂を下り、「峰畑峠」をめざします。峰畑峠は例によって標識も何も無いのですが、下りきってほんの少し平坦になった場所で、ここからしばらく縦走路は尾根の北側を巻くようになります。この峠は別名「越路の杜」とも言い、峠の近所の森の中にある岩の下で将門が雨宿りをしたという伝説が残っています。

峰畑峠から城集落と峰畑集落を結ぶ古い峠道に入ろうと思っていたのですが、完全に廃道になっていて、道の痕跡すら見つからなかったので、縦走路が尾根を越えて南に大きく方向転換する場所まで行って、そのまま尾根を東に突っ切ることにしました。この尾根は傾斜がゆるやかで、しかも、道というほどではないですが、獣や林業の人が通った踏み跡がはっきり残っていて、快適に末端まで下ることが出来たのですが、ガーン!末端の林道にぶつかった場所が「コンクリートで固められた崖」になっていて道に下りられない!しょうがないので崖の上を恐る恐る横に進んで行くと、林業の人が着けたロープを発見!何とかそれを使って林道に下りることが出来ました。どうなることかと思った。

林道をしばらく歩いて、まずは「将門社」がある「峰畑」という廃村になった集落を目指します。峰畑集落の上辺りまで林道を進んで行くと、沢を利用したワサビ田があり、そこのオーナーが作業の時に使うための旧宅が林業沿いにポツン一軒残されていたものの、肝心の峰畑に下る道が見つからず、しばらくウロウロしてしまいました。その後、工事の通行止バリケードの下に、使われていない林業の作業道のような道を発見し、それを下ると、涸れた沢のほとりにゴミの散乱した民家の跡を発見しました。どうやらここが峰畑集落だったようです。かつては炭焼きを主体とする集落があったそうです。

そうなると「将門社」は今下りてきた途中で道の上の方に見えた炭焼窯の跡ような石組以外になく、戻ってそこまでよじ登ってみると、それは炭焼窯ではなく、神社の社地の石垣で窯の穴に見えたところは階段でした。では肝心の神社はどうなっていたかというと、石垣の上に崩れた社殿の残骸が積み重ねられていて、その傍らに「将門神社」と書かれた石碑がいるだけでした。ここの将門社は現在は下の日原街道沿いの「根元神社」に移転されているようなので、最後に行ってみます。

峰畑からまた林道まで登り返し、大きく一回りして戻り、山口さんというたぶん廃家の前の山道を上に登ると、石尾根縦走路にぶつかり、その先に2つ目の「絹笠集落」はあります。ここも廃村で、家の敷地の石垣のみが残されています。絹笠には将門が金の笠を置いていったという伝説があり、その「きんかさ」が「きぬかさ」となり、「絹笠」の字が当てられたといわれています。絹笠集落跡の上にある稲荷神社がかつての「絹笠神社」です。この神社はかつては「絹笠大明神」と呼ばれ、平将門を祀っていたそうです。絹笠集落は1960年頃の火事で廃墟となったとのことです。

絹笠神社から石尾根縦走路を進み、分岐で三ノ木戸方面に進むと「城集落」の近所でさっきの林道出るのですが、その先に「三ノ木戸集落」があるのでそちらを先に行きます。「三ノ木戸集落」は三ノ戸木林道の終点にある集落で、石尾根縦走路に分岐があるので下りたことがある人も多いんじゃないかと思います。ここはネットで調べたところ有人で、ワサビの栽培を行っているとのことだったのですが、ちょっとのところで廃村化しており、ワサビ運搬用のケーブルが寂しく放置されていました。三ノ木戸にも「将門社」があります。これも残骸化しているのではないかと、嫌な予感がしたのですが、少し南に下った廃家の横に天満社と一緒に祀られた社が残されていました。

そして「将門城(城城、栃久保城)」があったと言われる「城(じょう)集落」に戻ります。ここはさっきキャンピングカーが見えたので確実に有人の集落かと思ったのですが、キャンピングカーは何年もそこに放置された感じで、隣の普通車は新しかったものの、前の別荘のような家も下の家も人の住んでいる気配はありませんでした。奥多摩のポツンと山上集落は全滅なのですかね~。ここいら駅近なのに。

ともあれ、この城集落に「将門城(城城、栃久保城)」は存在します。林道から見るとわかりませんが、南に少し入ったところに「瓜平」と呼ばれる平坦地が主曲輪と考えられ、その周辺に土塁や堀切のような物が残っているそうです。早速行ってみると、土塁か単なる尾根が微妙な場所に堀切を2つ発見!その下の廃家の庭のような平坦地が主曲輪跡のようです。本当に将門がこの地に来たかどうかは別にして、ここは「奥多摩むかし道」よりも当初はもう少し上を通っていたといわれる「旧青梅街道」を監視できる場所にあることから、三田氏もしくは小田原北条氏が甲斐の武田の動きを探るために作った砦と一般的には考えられているようです。まあ武田もさすがに大菩薩峠を越えて攻めては来なかったのですが、多摩川上流域は甲府盆地からの入植者が多く、土地の境界トラブルなどは頻繁に起きていたようです。

あと将門が瓜平に来た時、喉の渇を潤したという伝説がある「将門の井戸」という湧水と「城の将門社」もあるはずだったのですが、場所を勘違いしていたのか確認出来ませんでした。探した林道周辺ではなく、瓜平の先端のさらに先にあったのかもしれません。

城集落から林道を下ると、石尾根縦走路の出口にぶつかります。あとは標識通りに進むと「羽黒三田神社」の「奥宮」に出ます。ここは名前でわかる通り青梅の三田氏と関係の深い神社で、度々出てくる式内社の「穴沢天神社」の論社でもあります。瓜生卓造氏の名著『奥多摩町異聞』には「羽黒三田神社はもと穴沢天神と称して穀物の神様を祀っていた。天慶年間(938~947)に、京都の中央権力に反旗を翻した平将門の子の良門が戦勝を祈願して社のご神体となり、さらに永禄9年(1566)奥多摩渓谷を永らく支配した名族三田氏が羽黒神を合祀した。こうした複雑な経緯を経て、明治維新後、羽黒三田神社となった」と書かれています。また神職も将門を連想させる「そうまさま」と呼ばれているそうです。

羽黒三田神社には完全に下りきった場所に「里宮」もあります。あるはずだったのですが、途中に立派な山門のある里宮らしからぬ長大な階段を登ると、壊れた石祠以外何もありませんでした。どうやら里宮は廃止され、奥宮だけで一本化されているようです。ああ疲れた。

でもそうも言っていられず、日原街道をさかのぼって、最後に「峰畑の将門社」の移転先である「根元神社」に寄って行きます。ここは元は「子神社」として栃窪地区の鎮守社だった神社で、子=水なので、日原川の水害を防ぐために祀られた神社だったのではないかと言われています。そしてさっき悲惨なことになっていた峰畑の将門神社はめでたく根元神社本殿の裏側に境内社として祀られていました。めでたしめでたし。

根元神社から日原川の橋を渡って奥多摩駅に向かいます。今日は行ったり来たりが多すぎたのと、久しぶりに標高差の超大きい山に登ったので後半足が痛くなって多少時間がかかりましたが、緊急事態宣言でもえぎの湯が休業中なので気が楽です。でもせっかく奥多摩に来たので氷川ステーションで蕎麦でも食べて行こうと思ったらすでに閉まっていて、おまけに雨も降ってきたので、何も食べずに家まで帰りました。途中、立川の駅そばという手も考えたんですが、それもすでに閉店済!

将門ブログ 奥多摩町
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