行程・コース
天候
晴れ
登山口へのアクセス
マイカー
その他:
松坂・四日市組3名は、最短時間でと「菰野 → いなべ ・関が原 → 小谷城 」を高速を使い、登山近点の清水谷の小谷城戦国資料館駐車場で関が原組と待ち合わせ。
この登山記録の行程
資料館駐車(9:00) ⇒ 分岐(9:10) ⇒ 番所跡(9:35) ⇒ 本丸跡(10:05~10:15) ⇒ 山王丸跡(10:27) ⇒ 岩尾展望所(10:52) ⇒ 小谷山(大嶽城趾)(11:05~11:56) ⇒ 福寿丸跡(12:22) ⇒ 山崎丸跡(12:34) ⇒ 資料館駐車場(13:00)
高低図
登山記録
行動記録・感想・メモ
昨年いつもの山仲間と小谷山を計画していたが、夏の暑い山は避けようと実現していなかった。昨年の夏に、麓にある須賀谷温泉に家族で泊まった時、朝の散歩で間柄峠まで足を運んだ時琵琶湖の眺めがよかった。梅雨前の何とか涼しいうちにと、今日の山登りに。
今回は、関が原から宮崎さん夫婦、谷田さん、そして宮崎さんに山の楽しさを教えた奈々さんの4名が参加、いつもの山仲間上田さん、津白山から近江さんの3人のメンバーと合わせて今日は総勢7名、にぎやかな山歩きだ。
心配した空も良く晴れている。まず、追手道から山に入り獣害防護柵を通り杉林の中を尾根道まで登ると10分ほどで舗装道路の走る尾根に出る。そこから左の広い登山道を歩いて小谷城を目指す。戦国時代の人達はこの道を歩いて城に登ったのだろう...戦国時代の侍がこの道を歩いていたことにに思いを馳せながら登って行く。
間柄峠に着く。昨夏の朝の散歩でここまで歩いた時、琵琶湖の方面がよく見えた。今日は空気が少し霞んでいるが、琵琶湖が良く見下ろせる。35分ほど歩くと大きな案内板が現れる。舗装道路の道はここまでのようだ。ここは番所跡とのこと。
小谷城の本丸を目指して登って行くと、御茶屋跡(名前に似つかない軍事施設だったとか)、御馬屋、桜馬場と曲輪跡が続く。桜馬場跡地には浅井家及び家臣の供養塔が建っている。上田さんと近江さんそれに宮崎さん三人はここから160mほど離れた赤尾屋敷跡の方に向かう。お手洗か⁉と思いきや浅井長政の終焉(自害の地)を見に行ったとのこと。
桜馬場跡を少し登ったところが小谷城核心部の大広間と本丸だ。広~い本丸跡地の奥の石垣が本丸で”鐘の丸”とも云うそうだ。本丸の登り口近くにある石を積んだの穴の近くに案内板があり、そこのQRコードで戦国時代の本丸の復元予想図を見ることが出来る。ほ~、こんな建物だったんだ! 本丸に上がり、城主だった浅井長政や長政に嫁いだ織田信長の妹のお市の方、さらにその子供たちの行く末に思いを馳せる。
本丸を過ぎると中丸、京極丸、小丸、山王丸と続くが、信長が小谷城を攻めた時、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が京極丸に攻め上がり長政の父久正を自害に追い込み小谷城陥落のきっかけになった所である。
山王丸を過ぎ一旦下ると清水谷ルートの分岐に着く。ここから枕木の急なに階段になる。息を切らせて登ること10数分、左側の視界が開けた所が岩尾展望所だ。小谷城のある尾根が眼下に、空気が霞んではいるが伊吹山も、遠くに見えるは霊仙山か⁉
展望所の眺めを楽しんで出発、6分ほど歩くともう登りは無く小谷山山頂に到着。小谷山は大嶽(おおづく)という曲輪が造られ土塁で周囲が囲まれている。 広い山頂ひろばは、木々が日光を遮り肌をなでる風が涼しい。ここで昼食にしてゆっくりと過ごす。近江さんは、鼻笛を持ってきていて食後の団らんに曲を披露、気持ちいい時間を過ごす。
下山にかかる。この尾根伝いにも福寿丸、山崎丸(僕の出身地の町の山崎と同じ名前だ)と曲輪が造られている。
約一時間で今日の起点の戦国資料館駐車場に到着、にぎやかで楽しかった山歩きが終わる。
今日の小谷山は、戦国時代の武将浅井長政の居城である小谷城の山であり、その時代を思いながら歩いた。関が原組と別れ、我々四日市組男3人は小谷城の麓にある浅井長政やお市の方も湯治をしていたと言われる須賀谷温泉で温泉に浸かって我が家へ...。
フォトギャラリー:34枚
装備・携行品
| シャツ | アンダーウェア | Tシャツ | ロングパンツ | 靴下 | レインウェア |
| 登山靴 | バックパック | スパッツ・ゲイター | 水筒・テルモス | ヘッドランプ | 予備電池 |
| タオル | 帽子 | サングラス | 地図 | コンパス | ノート・筆記用具 |
| カメラ | 登山計画書(控え) | ナイフ | 健康保険証 | ホイッスル | 医療品 |
| 虫除け | ロールペーパー | 非常食 | 行動食 | テーピングテープ | トレッキングポール |
| GPS機器 |





































