行程・コース
天候
晴、山頂付近で曇、下山後晴
登山口へのアクセス
マイカー
その他:
菩提峠駐車場
この登山記録の行程
菩提峠0334……0436二ノ塔0448……0508三ノ塔0511……0547烏尾山0550……0614行者ヶ岳0614……0638政次郎ノ頭0638……0646書策小屋跡0715……0729新大日0731……0744木ノ又小屋0744……0747木ノ又大日0747……0816塔ノ岳0904……0931木ノ又大日0931……0934木ノ又小屋0934……0947新大日0955……1007書策小屋跡1008……1016政次郎ノ頭1018……1038行者ヶ岳1038……1058烏尾山1111……1145三ノ塔1158……1214二ノ塔1214……1254ベンチ(休憩)1305……1326菩提峠
高低図
登山記録
行動記録・感想・メモ
菩提峠から表尾根を塔ノ岳まで登ってきました。
前回の登山が昨年末の風巻尾根、ヤマケイオンラインに掲載できる様な登山と呼べる山行は今年はこれが初めてです。
ですので歩行時間を確保するため、念には念を入れて深夜の午前3時半には菩提峠を出発しました。
最初の目的地は二ノ塔になります。
余りカウントされることのないお山ですが、正直二ノ塔までのルートは特に復路で苦労させられます。
登りはまだ頑張れます。
ただ降りは疲れ切った脚に「登山道保護のために敷かれた小石群」が絶妙にワークアウトを仕掛けてくるのです。
途中にベンチが二か所ありますので、うまく活用した方が良いと思います。私も今回は降りに借りて少し休みました。
二ノ塔で少し休憩を取りました。
夜露に濡れたベンチに大の字になって空を見上げます。
まだ天空には冬の大三角が輝いていましたが、それも少しずつ薄らいでいきます。
代わりに東の空には元気一杯な明けの明星。
恒星が太陽の光に押されて日中は見えなくなるのは分かります。
一方金星は太陽の光を浴びて輝いています。
だとすると金星は太陽が昇る直前が実は一番明るいのでは?
それって燃え尽きる寸前のローソクの様なもの?
などと理屈があるようなないような妄想を脳内で展開させながら身を起こし、次の三ノ塔に向かいました。
思い返すに、この時点で既に大分脳内の血糖値が尽きていたかも知れません。
二ノ塔から三ノ塔はすぐです。
15分もあれば着いてしまいます。
ただ初めて表尾根を歩いた9年前の、山登りを始めたばかりの当時の私にとっては、恐れと戦いながらの15分だったことを思い出しました。
当時も夜明け前に、冬至の冷え切った空気の中、ヘッデンを点けて歩いていました。
目の前には漆黒の中、その上で尚シルエット状にそびえる三ノ塔。
この暗い深淵に飲み込まれたら、自分もよく聞く遭難者の一人になってしまうのではと一歩一歩真剣に歩いたものでした。
今となってはスレたもんです。
クマ鈴に驚いた小動物の足音を2、3回耳にしましたが
こちらから
「すぐ行くからねー、驚かせてごめんねー」
と無駄に声をかける程度の余裕はありました。
三ノ塔に着く頃には夜も明けました。
この三ノ塔は丹沢の中でも隠れ名山だと思います。
山小屋こそありませんが避難小屋にもなる立派な休憩所のほかトイレもありますし、何より眺望が素晴らしいのです。
西に富士山、東に大山、烏尾山荘も見下ろせます。
特に富士山の眺望は蛭ヶ岳・塔ノ岳・鍋割山に引けを取らないと思っています。
また、少し塔ノ岳方面に進めば大切にされているお地蔵さんにも会えます。
今回の様にヤビツ・菩提峠方面から登れる他、三ノ塔尾根を登れば大倉からも来れますので、陣馬山クラスに登れる体力がある方なら、是非ご検討頂きたいお山です。
ただ、ここから先は少しレベルが上がります。
三ノ塔からは烏尾山の山頂に建つ烏尾山荘が見降ろせますが、烏尾山だってお山です。
即ちそこは山頂であり、そこに至るまでにはさらに低いコルまで降ってから登り返すという事です。
これが帰り道には、個人的に「二ノ塔の降り」と並ぶ「三ノ塔の登り返し」、「表尾根・復路完全ワークアウト」鬼の二大教官のもう一人だと思っています。
行程差は地理院地図上で145m程。これは相当です。
直線距離的にはゴールがヤビツ峠であれ菩提峠であれ大したことはないので
「あとちょっとだから休まず歩ききっちゃおう」
とか思いかねないところですが、多分少し泣きを見ます。
仮に頑張って三ノ塔の登り返しを耐えたとしましても、尚
「あとちょっとだから休まず頑張っちゃおう」
とか思っちゃうと二ノ塔の降りの山道保護のガレ・ザレに搾り切られるのです。
いやもう何なのこの阿吽の呼吸の兄弟と思う事うけあいです。
話が逸れました。
続いては三角帽子の烏尾山荘。
長らくこの山荘でコーヒーを飲むことをひとつの楽しみにしていたのですが、最近正式にその営業を終了したとの情報をSNSで目にしました。
残念ですが仕方ありません。
ただ100円トイレは継続して使えるみたいです。
お山歩きでの100円トイレは基本ですので、私はザックのポケットなどには常に100円玉を5、6枚は忍ばせています。
烏尾山を過ぎると表尾根ではやや異色の行者ヶ岳。
表尾根、と言いますか小規模と言えど丹沢山塊でも珍しい岩場・鎖場のお山です。
最初ちょこっとクサリが出てきて行者ヶ岳の標識が登場しますが、行者ヶ岳の鎖場の本番はその先にあります。距離は短いですが角度はそこそこありますので十分な注意が必要です。
とは言え強度十分な鎖が整備されている上、岩も強固で見た目以上にフリクションが効き、ガバもあります。
落ち着いて歩けば大丈夫でしょう。
余談ですが、他に丹沢で岩の鎖場と言ったらどこでしょうね。
鬼ヶ岩からの降り、蛭ヶ岳から檜洞丸への降り、大石山の西、
大山三峰は鎖が続きますが岩場という感じではありませんし、
フィックスロープが張られている箇所は沢山ありますが、なかなか。
まあよじ登りたければ広沢寺へ行けとなりますでしょうか。
政次郎ノ頭を過ぎると特に標識のない整備されたベンチの多い場所に出ます。
書策小屋跡です。
ここで朝ごはんを食べました。
天気は快晴。
この次に登場する新大日茶屋跡地もそうですが、書策小屋も本当に一等地に建ってたんだなあと実感します。
相模湾方面の眺望が見事です。
続いて新大日。
長らく廃墟状態で残されていた新大日茶屋が有志の方々により綺麗に撤去されたのもSNSで目にしていましたが、記念の看板も掲げられていました。
私は残念ながら茶屋の現役時代を知らないのですが、ほかの山小屋でももし地権その他の問題がないのでしたら、この様な看板などで山小屋の記憶は沢山残して頂ければと思います。
労力的にはもう役に立たないかも知れませんが、クラファン位なら少しは手伝えるかも知れません。
それにやはり、登ったお山はその歴史も教えてもらいたいですしね。
木ノ又大日。
標識の手前に小奇麗な木ノ又小屋があり、ここの小屋でのコーヒーも実は縁があればと常々思っているのですが、土日祝の営業なんですよね。
結構人気があるのか、いつ通りかかってもお客さんがいっぱいで
「また次にしようか」
となってしまっています。
歩ける内に頑張って飲みに行くことにしましょう。
お洒落度では丹沢の山小屋の中で指折りだと思っています。
最後に本日の終点、塔ノ岳です。
木ノ又大日からコルまでは10m程しか降りませんが、そこから塔ノ岳までは100m程登ります。
正に胸突き八丁。数字で叩きつけられるとイヤですね。
これは仮に表尾根から主脈を蛭ヶ岳まで歩いたとしても、行程中の高低差で四位にランクインします。
因みに一位は先の三ノ塔―烏尾山間のコルから三ノ塔の145m、次いで鬼ヶ岩―蛭ヶ岳間のコルから蛭ヶ岳間のコルから蛭ヶ岳が143mで続きます。
ひーひー言いつつ塔ノ岳には8時頃に着きました。
体力的にはもうちょっと頑張って丹沢山まで行けるかなとも思いましたが、今回は自分でルールを3点ほど決めていましたのでここまでとしました。
・登山計画上は蛭ヶ岳までのピストンとするが、
(1)片道5時間経過の時点で折り返す
(2)神経・内臓含むあらゆる体調不良を感じた時点で即時退却
(3)急激な天候悪化は山小屋へ避難かビバークも検討
塔ノ岳までで4時間半もかかってしまっていますからね。
あと30分頑張っても日高往復がいいところでしょう。
平日ですので登山者も数人しかいませんし、今日はここが終点。
ベンチのひとつを独り占めして大の字にならせてもらいました。
タイトルにある「一周回って行けるとこまで」は、
(1)初心者が陥りがちな登山計画もなしの、帰りの体力も日照時間も考えない山行
から
(2)計画を立ててガチに守る山行
を経ての、
(3)計画を立てはしたが無理そうなら早々にエスケープ
に至った、という意味です。
達成感と怪我や遭難のリスクとの天秤ですが、特に丹沢はそこそこ歩かせてもらっていますので
自分では結構「山に帰ってこれただけでしあわせ」の域には至れたと思えています。
これが未知未踏の南アルプス奥だとかでしたら
「次いつ来れるかわからねえんだからよう!」
と、死んでも歩いたかも知れません。
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尊仏山荘でおみやげにTシャツを一枚買わせてもらい、あとは休み休み帰路に着きました。
登りも二ノ塔・書策小屋跡と休み休み歩いてきましたが、降りも新大日・烏尾山・三ノ塔・二ノ塔からの降り途中と休み休み歩きました。
二ノ塔から先からは2名の方と同行させて頂き、楽しかったです。
何とかまあ、無事帰って来れました。
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さてここからは反省会です。
まず表尾根を選んだ理由ですが、何せ9か月振りの復帰戦です。
ヤマケイオンラインにも今まで100回少々の山行記録を掲載させて頂いておりますが、実は細かなごまかしはあるものの、全く同じルートを歩いたことはありませんでした。
例え100mでも新ルートへの挑戦が自分のお山歩きのテーマだからです。
ただ今回は先述の通り長いブランクからの復帰戦。
しかもそのブランク期間にはちょっと仕事で根を詰めすぎて失神→救急搬送→ICU→長期間休職と
「山歩き?何を言っとるんだ君は?」
状態を挟んでいますので、今回は
「一度歩いたコースなので情報と経験がある」
「リハビリであることを意識する」
「身体・体力情報の客観的な測定」
などを優先しました。
その上で丹沢、塔ノ岳方面を選ぶなら、人の多さや山小屋の数から大倉尾根も思いつくところですが、自分の初丹沢が表尾根からの蛭ヶ岳ピストンでしたので、初心へ返る意味も込めた次第です。
尚今回の山行に際しては、ドン底の体調からではありましたが、少なくともここ3か月は毎日休みなく運動を続けてきました。
問題があるとしたら持久力ですね。
加齢から来るひざや股関節の緩みや痛みはどうしようもなく、ランニングなどはもう遠い世界の運動です。
今回の塔ノ岳でのタイムアップは仕方ないところだったのでしょうね。
とは言えです。
だとしてもです。
ひざに負担をかけない様できるだけ小股で歩いたのは確かだけど、何で塔ノ岳までで5時間もかかるのよう!
前回、9年前の時なんて同じ時間で蛭ヶ岳まで行ってたわよう!
まずは年齢。前回は9年前ですので当然9歳若いです。
体力は間違いなく今よりあったでしょう。
関節も今よりは柔らかかったと思います。
ただ当時の記録、ヤマケイオンラインへの3投稿目の記録ですが、それを見返すに初心者らしく装備がしょぼいんです。
携行品に「コンパス」とありますが、自分だから知っています。キーホルダーに付いている様な、仮にこれでバックベアリングしろと言われたらできるのか?え?と言いたくなる様なオモチャでした。
確かまだツェルトも持っていなかったと思います。
水分も何をどう計算したのか2リットル程度だったと思います。
翻って今回はどうでしょう。
間に100回以上の山行を挟んでしまい、すっかり自分は中級者以上だという鼻持ちならない澱んだオーラをまとってしまった上、
「ある程度の重量は保険だ」
「山歩きは常に次回の山行のための訓練だ」
という歪んだ修行観がザックの中身を減らせません。
結果、ざっくりした見積ですが
・水分5リットル
何せ一度越後三山の中ノ岳で熱中症から遭難寸前に陥ってますからね。
ルート上に水場や営業山小屋が余り期待できない以上、自分で頑張って運ぶしかありません。
・(蛭ヶ岳に着いたら)お供え用のウイスキー1瓶
これも結局辿り着けなかったので持ち帰りました。ただの重りですね。
・カラビナやクイックドロー、簡易ハーネスや細引き
・ラジオ、予備ヘッドライト、アマチュア無線機、ストーブ類
諸々合わせると、多分ザック重量は12kg程度はあったでしょう。
あ、あと確実に体重も当時より10kg程度は増えちゃってます。
その差もあったでしょうね。
体重や関節の状態は仕方ないとして、仮にザック重量を当時と同水準にしたら今でも蛭ヶ岳まで行けるでしょうか。
答えは「分からない」です。
この先もやはり、最低限のギアをザックから降ろすことはないと思うからです。
丹沢で言えば地蔵尾根を降った時にやせ尾根で道迷いを起こしかけたのですが、その際セルフビレイを取りながら紙地図を広げてバックベアリングを行いました。
ですのでやっぱり結論として、今の体力と体調で自分が必要とする装備では、表尾根から塔ノ岳は5時間かかるということに落ち着きます。
悔しかったらもっと体力つけろ>自分
ということですね。
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重量への言い訳はこの辺までとしまして、他方ここから先は本当に素人判断なのですが、ひざの痛みから深く曲げたスクワットやレッグプレス系の運動が長いことあまりできていません。
そこから股関節が硬くなり大臀筋や大腿四頭筋の持久力も低下し、総合的な登山体力が落ちたのかなと思っています。
やっぱり登山体力の維持向上は登山自体を続けないと駄目ですね。
登山を続けていれば否応なく、日常生活ではついぞ行わない、高低差の滅茶苦茶な階段状の岩を登ったりせざるを得ないのですから、自然と鍛えられます。
ジムでの筋トレやウォーキングや過重しての踏台昇降や他のスポーツやら、なんだかんだ色々やってはいるのですが、何か結局それぞれ用の体力や筋力しかつかない気がしています。
まあ自分がそういう不器用な類の人種だということの再認識に加えて
下山時、ゴール直前ではフトモモの前も外も内も内部も全部
「これ以上動けませんわ!」
「焼き切れますわ!」
「フトモモ労働基準法に違反してますわ!」
という状態だった中、
「お山に挑んだ以上、泣こうがわめこうが自力で頑張るしかないんだぞ」
という原理原則な根性論を改めて自分に叩き込めたのが収穫でした。
まあこのご時世、家族だろうと誰だろうと第三者にはとても言えないセリフですけどね。
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ともあれ、家族にも言われた
「楽しんできて」
は達成できました。
今の住まいからは丹沢山塊が横一線に見えるので、その分敢えて行こうとしなくなってしまっていた面もあったのですが、やっぱり現地に来ると全然違います。
楽しかったー!
またぼちぼち歩き始めていきたいです。
フォトギャラリー:97枚
菩提峠駐車場から林道を少し歩いて登山道に入ります。
蛍光色になっていますね。
こちらが旧カラー。9年前の写真です。
クマさん情報。
丹沢だと大山の北尾根から鍋嵐方面が一番の生息域かと思っていましたが、大倉尾根の駒止山荘付近となるといよいよクマも生活に困窮してきたのでしょうか。
ともあれ頑張って登りましょう。
ちょっとだけ林道をクランク状に横断します。
9年前も渡ったっけ?
あ、すみません。
この年代の標識があるということは間違いなく当時も横断してますね。
それでも本当のところ、二ノ塔までの登りの時点で大分心折れかけていたんです。
少し涼しい風が吹くだけで「お、山頂近いぞ」と思うものの全然着かなかったですからね。
でも歩いてりゃ着くんです。
さて本文でも触れた漆黒に浮かぶ三ノ塔の御姿ですが、ネット上の画像でうまく表現できるでしょうか。
少し加工するとこんな感じです。
夜が明けてきました。
二ノ塔を振り返ります。
塔ノ岳が向かう先、ヤビツ峠が来た道。
戸川は三ノ塔尾根経由で大倉ですね。
こちらもいい登山道です。
三ノ塔、着いたー。
左の建物はトイレです。
こちらは三ノ塔休憩所。
休憩所も昔はこんな△モデルでした。
塔ノ岳まで4km。
真っ平なら1時間なんですけどね。
実際は3時間もかかりました。
丹沢はこういう自然情報が多く、また結構頻繁にアップデートしてくれていると思います。
因みに表尾根は正しくはヤビツ峠から塔ノ岳までで、そこから丹沢山方面は「丹沢主脈」になりますね。
三ノ塔の山座同定盤です。
三ノ塔の三等三角点「大平」です。
大分摩耗してしまってますね……。
夜明け前の大山です。
丹沢三峰です。
さて問題です。どのピークが三峰でしょうか。
ご存じの方には今更な問題ですが、答えはこうなります。
一説にはいかにもな右の3つが本来の三峰だったところ、行政の方がうっかり書き間違えてしまったとかなんとか。
烏尾山と烏尾山荘です。
奥に箱根の駒ヶ岳、神山が見えます。
手前の光源は何の施設でしょうね。
やっぱり富士山と愛鷹山のツーショットは撮影してしまいます。
どちらも海抜ゼロメートルから登った思い出深い山です。
三ノ塔を越えて200mほど進むと
三ノ塔のお地蔵様。
ここを東に折れるとヨモギ尾根です。
取付きの斜度が厳しいことも含め、登りに使う方が良いルートだと思います。
ただ途中のヨモギ平は楽園です。
今回の富士ちゃんのベストショット。
三ノ塔-烏尾山間のコルです。
ここからまた登りです。
烏尾山山頂手前の分岐です。
戸川・大倉方面は烏尾尾根です。
途中観音様や一本桜に出会えます。
ああ烏尾山荘。
僕にコーヒーの一杯もめぐんでおくれ……。
トイレは健在。
烏尾山荘の裏側から。
背後に三ノ塔と、その頂上に三ノ塔休憩所。
烏尾山の山座同定盤です。
山座同定盤って、決して書かれている山全てが見える訳じゃないことが前提ですよね?ね?
烏尾山を越えますと
塔ノ岳まであと3kmなのはわかりましたが
いや仲尾根!
元より厳しめの上、烏尾尾根と政次郎尾根に挟まれて需要も少なそうなところにこの風貌では誰も入り込めそうにないです。
そもそも分岐の標識すらないですからね。
6時前におひさまー!
塔ノ岳と尊仏山荘も見えました。
尊仏山荘アップ!
鎖登場でそろそろ行者ヶ岳ですね。
標識はすぐ登場しますが
あ、仏様もいらっしゃいます。
本番はこれから。
直角カーブを経て
鎖でGO!
次は崩落地です。
初めて鉄パイプ通路を見たときは
「さすがに簡易補強だろ!?」
と思いましたが、なかなかどうして何年経ても安定した強さです。
政次郎ノ頭に着きました。
戸沢方面は
政次郎尾根です。
難易度はともかく、道の状態を考えると烏尾尾根や三ノ塔尾根に比べて確かに手こずるルートかも知れません。
別名「政次郎林道」です。
書策小屋跡に着きました。
朝ごはんタイムです。
いい天気になりました。
続いて新大日茶屋跡。
きれいになってますね。
営業時は「瓶ジュース」が一般的な時代だったと思います。
歩荷さんの労力がしのばれます。
在りし日、と言いましても既に終業後ですが
かつての新大日茶屋の姿です。
確かYouTubeで、営業中の新大日茶屋の動画を見たことがあります。店先にはその瓶ジュースが所せましと並べられていました。
新大日からは
長尾尾根を歩いて札掛まで降りられます。
三ノ塔からのヨモギ尾根と同じゴールです。
木ノ又小屋。
いつ見てもおしゃれだ。
木ノ又大日の標識。
ほぼ冬にしか見てませんでしたが、
夏と言うか秋でも植物に飲み込まれかけるんですね。
さあ塔ノ岳。
近くに見えて遠いんです。
頑張りましょう。
てことで
着いたー!
最初にやりたかったのが、実はアマチュア無線のテストでした。
一応免許と無線局は持っているのですが、今の時代に果たしてアマチュア無線は緊急連絡デバイスたり得るのかと。
この日は結局ほとんど入感できませんでした。
色々なバンドで試したんですけどね。
尊仏山荘。
おみやげにTシャツを買いました。
大休憩をとって、それでは下山します。
とは言ってもまた幾つもピークを越えて行く訳ですから、登りなんだか降りなんだかなんですけどね。
埋もれた瓶発見。
昭和の時代の名残でしょうか。
実を付けたマムシグサです。
猛毒ですので食べてはいけません。
花はほぼノアザミでした。
木ノ又小屋通過ー。
気温は20度弱。
歩きやすかったです。
新大日。
小休止しました。
本当にきれいに整地されていました。
まるで分譲予定地。
もうここから帰り道が見えています。
主だった中継点は右斜め下から順に
書策小屋跡
烏尾山荘
三ノ塔休憩所です。
書策小屋跡です。
帰りは通過しました。
政次郎ノ頭の標識です。
ただ正確には政次郎尾根の分岐があるからここに標識が建っているだけで
実際の政次郎ノ頭はもう少しだけ三ノ塔寄りのピークになります。
行者ヶ岳再び。
標識も無事越えて
烏尾山まで戻ってきました。
なんかひと雨来そうな雲が立ち込めてきましたが、本文でも書いた通り、ここから降ったコルから三ノ塔への登り返しは表尾根一番の厳しさです。
と言う事で迷わず休憩しました。
お地蔵さん、ここまでは無事帰ってこれましたよー。
行きにお供えしたキャラメル効きましたでしょうかー。
「降らないとは思うけど、どうする?」
ん~~~、休まず行きます。
二ノ塔まで戻りました。
ここでも最後の降りに備えて小休止。
最後の降りの途中でもベンチで寝転がりました。
いやフトモモがストライキ起こしそうでしたので。
労使交渉を行ったベンチです。
こちらは9年前の石材ボッカプロジェクトの写真。
石ゴロゴロは確かに足には優しくないですが、登山道を守るためには必要ですからね。
それでも今回歩いた限り、当時より更に木道が増えて歩きやすくなっていた気がしました。
林道に出てからはぐるっと林道を菩提峠の駐車場まで歩きました。
無事駐車場まで歩いて山行終了です。
いえ冬山でなくても普通に遭難します。
これがおみやげに勝ってきた尊仏山荘のTシャツです。
「無茶して足を延ばさなかったことはほめてあげます」
これは出発前、駐車場で頑張ってコンデジで撮影したオリオン座の一部です。
が、果たしてWeb上で見えるかどうか……。
でも二ノ塔では本当にきれいだったんです。
装備・携行品
| シャツ | アンダーウェア | ソフトシェル・ウインドシェル | ロングパンツ | 靴下 | レインウェア |
| 登山靴 | バックパック | スタッフバック | スパッツ・ゲイター | 水筒・テルモス | ヘッドランプ |
| 予備電池 | タオル | 帽子 | グローブ | 着替え | 地図 |
| コンパス | ノート・筆記用具 | 腕時計 | カメラ | 登山計画書(控え) | ナイフ |
| 修理用具 | ツエルト | 健康保険証 | ホイッスル | 医療品 | 虫除け |
| 熊鈴・ベアスプレー | ロールペーパー | 携帯トイレ | 非常食 | 行動食 | テーピングテープ |
| チェーンスパイク | GPS機器 | ストーブ | 燃料 | ライター | カップ |
| カトラリー | エイト環・ATC | カラビナ | 安全環付きカラビナ | クイックドロー | スリング |
| ハーネス | |||||
| 【その他】 アマチュア無線機、予備ヘッドライト、モバイルバッテリー、2バンドラジオ、風力計、スカイフック、細引き、プルージックコード、ウエビング 、お供え用ウィスキー720ml瓶(結局持ち帰り) | |||||




