行程・コース
天候
初日:雨
2日目:曇り
3日目:晴れ
登山口へのアクセス
バス
その他:
往路:小国駅からバスで飯豊山荘へ(小国町コミュニティバス)
復路:川入からのバスは昨年廃止された。川入から徒歩でいいでの湯まで歩く予定だったが、他の登山者が声を掛けてくれたのでありがたく同乗させてもらった。いいでの湯から山都駅へタクシーで移動。
この登山記録の行程
【1日目】
飯豊山荘(09:15)・・・のぞき(10:24)・・・夫婦清水(11:16)・・・丸森峰(13:00)・・・地神北峰(13:43)・・・地神山(14:00)・・・扇ノ地紙(14:30)・・・門内岳(15:04)
【2日目】
門内岳(05:20)・・・北股岳(06:30)・・・梅花皮小屋(06:56)・・・烏帽子岳(07:57)・・・御手洗池(09:07)・・・御西小屋(10:26)・・・文平ノ池(11:01)・・・大日岳(12:11)・・・文平ノ池(13:03)・・・御西小屋(13:38)
【3日目】
御西小屋(04:30)・・・飯豊本山(05:57)・・・本山小屋(06:14)・・・切合小屋(07:41)・・・三国小屋(08:59)・・・峰秀水(10:04)・・・横峰(10:30)・・・下十五里(11:30)・・・御沢登山口(12:00)・・・川入(12:26)
高低図
標準タイム比較グラフ
登山記録
行動記録・感想・メモ
9月のシルバーウイークの前半に、北アルプスの餓鬼岳に登った。天候には全く恵まれず、きつさだけが印象に残ってしまったが、一日で1600mの標高を登りきったことで、ある程度の体力が作れたことは収穫だった。
9月のシルバーウイーク後半に4連休が取れたので、どの山に向かうか検討した。
雨に見舞われる可能性が高く、装備を乾かす予備日が欲しいので、3日行程が望ましい。
予約なしで行ける山。
培った体力を活かせる山。
そんな訳で、飯豊山を2泊3日で縦走することにした。
計画は、
飯豊山荘→丸森尾根→地神北峰→門内小屋(1泊)→御西小屋→大日岳→御西小屋(2泊)→飯豊本山→川入→いいでの湯
というもの。
そもそもの所で、9月は天候に恵まれない。登山では尚更で、雨中を一日中行軍というのもザラだ。餓鬼岳では、行程のほとんどが雨の中だったので、
(a)靴の浸水
(b)雨具の浸水
に悩まされた。気温が高めだったから良かったものの、秋が本格化し、気温が下がると、浸水は命取りになりかねない。そこで、
(a)については、ワックスの塗り直し
(b)については、雨具のシールテープの張替え(私の雨具は20年もので、何度もシールテープを交換している)
を行った。
なお、餓鬼岳からの下りで、尻もちをついた際に、尾てい骨を痛打した。おかげで座る際に、激痛が走る状況だった。
また、左肩を痛めたようで、一部の動作の際にこれまた嫌な痛みが走る状況だった。この辺はだましだまし行くしかない。
0日目:
今年の酷暑も少し和らいできて、東京でも深夜の気温は28度Cぐらいに落ちてきた。
東京ミッドタウンから深夜バスで早朝の米沢駅へ。オリオンバスさんの車両は、長距離移動用の設備が充実している。大きくリクライニング出来る座席に、席と席の間にカーテン、車内トイレなど至れり尽くせり。深い眠りに落ちることができた。
1日目:
・移動
米沢駅にて電車の出発まで40分あったので、コンビニまで往復、食料を買い足す。公共交通機関だと、ここが最後の補給ポイント。
米沢駅から始発で、JR米坂線今泉駅へ。そこから代行バスに乗り換え、小国駅へ。コンビニのおにぎりで朝食。最後に、小国駅から小国町コミュニティバスで飯豊山荘へ。
飯豊山荘に着いて身支度をしていると、雨が降り出した。天気予報は一日中雨、雨具を付けて、登山口に向かう。
・丸森尾根
急登の連続。平坦で足場の良い休むのに適した場所が少ない。夫婦清水の周辺と、丸森峰周辺ぐらい。休める場所を見つけたら、休んでおいた方が良い。
地神北峰手前、高度1600mから上の登山道は、岩が削られた独特の登山道で、雨天だと水が流れ落ちてくるため、靴が濡れやすく、浸水の恐れあり。
・地神北峰
地神北峰から門内小屋へは、稜線上を行くが、西から雨まじりの強風が吹きつけてきた。この天候では、梶川尾根を登るべきだった。
・門内小屋
避難小屋なのでキャパは大きくない。
地元の山岳会の方が、管理人として常駐しておられた。ありがたい。
管理人さんが、ストーブを焚いてくれていたこともあり、室内は10度C程度。
宿泊者は私の他に4人。それぞれベテランで、山の話で盛り上がっていた。
日没前、雨が止んでいたので、雨具なしで水場へ向かったところ、タイミング悪く雨が降ってきたので、水は諦めた。(この先の梅花皮小屋でも水は手に入る。)
なお、トイレは特徴的なバイオトイレであった。(自転車を漕ぐことで攪拌する仕組み。)
2日目:
・早朝
小屋に入った時にはずぶ濡れだった装備は、完全には乾かなかったが、それでもかなり快適になった。
雨はほぼ止み、曇り空でのスタート。
管理人さんに挨拶し、登山ルートについて話した後、出発した。
・梅花皮小屋
登山道から少し外れたところに水場がある。水量豊富で見晴らしも良く。自然の恵みに感謝。
・御西小屋
手前に大分小さくなってはいるが、雪渓が残っていた。季節が早ければ水源として利用できるのだろう。
御西小屋は、避難小屋のためキャパは大きくない。小屋の方は連日満員だったよう。
天狗岳の辺りから、徐々に雲が薄れてきて、遠景が見えるようになってはきたが、
飯豊本山方面には依然として分厚い雲のカーテンが掛かっていて、この日、飯豊本山の姿を見ることはなかった。その代わり、大日岳はほとんどの時間で雲が掛かっていなかった。
テント場にテントを設営し、昼食を摂る。
アタックザックに水と若干の食糧を入れて、大日岳まで往復する。
・大日岳
ザックを下ろしたことで体が軽い。御西小屋から先は、登山道がとても良い。美しいトレイルだ。
大日岳まで1:30ぐらいで往復できた。
大日岳山頂からは、尾西小屋から門内岳までを一望することができた。
・水場
御西小屋から5分ほどの所に水場がある。夜間の往来は注意。こちらも水量豊富。気休めではあるが、水で濡らしたタオルで体中を拭いた。
・御西小屋
テント場は、景観に恵まれている半面、吹きっさらしで風防がなく、地面も平坦でない場所が多いので、しっかりと設営する必要がある。紐の結びが甘かったようで、夜間に1カ所ほどけてしまっていた。雨がほとんど降らなかったので、大事には至らなかったものの、以後は注意しよう。
3日目:
・出発
3時ごろまで時おりの雨、強い風、隣のテント(5m先)からの鼾が煩く、眠りに落ちる時間が短く、やや寝不足気味。
夜明け前にテントを畳んで出発。
先行している登山者のヘッドライトがちらほら。
尾西小屋から飯豊本山への道は、平坦で、非常によく整備された心地よいトレイル。
雪渓に朝日が反射して美しく光っていたのが印象的だった。
夜が明けてくると、飯豊本山を覆っていた分厚い雲が消えていた。今日は絶好の天気になりそう。
・飯豊本山
間もなく山頂に到着。ザックを下ろして、しばし休憩。
門内岳、大日岳から三国岳まで、この山塊の大部分を見渡すことができた。
桃の缶詰が美味であった。
・本山小屋
小屋前のテーブルに腰を下ろして行動食の甘酒を摂る。ここでも美しい山並みを堪能する。
水場を確認するのを忘れた。あの高度に水場があるのは驚きだ。
さて、後は山を降りるだけ、と思ったが、ここから先の道は楽ではなかった。
快晴のため日差しで温度が上がり、とたんに暑くなった。
また、ここから三国小屋までの道程は、細かい登り返しが多く、道も険しい。下りなのに、随分と体力を奪われた。
・切合小屋
豊富な水量の水場が設けてあった。冷たい水が心地よい。
小屋を出て、種蒔山周辺は、ひと際きつかった気がする。
・三国小屋
三国小屋からは楽しくも、厳しい岩稜帯の下り。雨天でなくて助かった。
地蔵山の手前からは険しさが薄れる。
峰秀水で喉を潤したら、あとは黙々と登山道を下る。
・御沢キャンプ場
駐車場はほとんど満車だった。川入からのバスは、昨年で廃止された。後継のオンデマンドバスは平日のみの運行。タクシーは駐車場まで来てくれるので、予め予約をしておくと良い。今回は、到着時刻が読めなかったので、予約をしていなかった。
まずは川入まで2.5kmほど歩き、そこから6kmぐらい歩くといいでの湯だ。
川入までの道は、よく整備された車道だが、沢沿いで景観が良い。気温が低かったのもあって、歩いていてとても気持ちいい。
川入まで半分ほど来たところで、他の登山者の方が、車から声を掛けてくれたので、お言葉に甘えることにした。彼は、台湾人の青年で、とても気さくな人だった。当人は日本語が得意ではないと謙遜していたが、意思疎通には十分すぎるレベル。ここ数年は日本百名山にはまっていて、既に53座登ったという。山のよもやま話で盛り上がる。結局、川入からいいでの湯まで載せて行ってもらった。
・いいでの湯
12:15頃、いいでの湯に到着。車の主に感謝しつつ別れた。お礼に食事を奢りたかったが、先を急がれていたようだ。
いいでの湯では日帰り温泉と豪勢な食事が楽しめる。館内で、門内小屋で一緒だった登山者二人とも再会した。13:00にタクシーを呼んでいるという。食事を諦めて、タクシー代をシェアすれば旅費を節約できる。かなり迷ったが、腹ペコ状態だったため食欲には勝てず、15:00頃に別途タクシーを呼ぶことにした。
・山都駅
やまとタクシーで山都駅へ向かう。運転手さんは、山登りをされていた方で、登山や郷土の歴史にも詳しい方だった。色々な話を伺うことができた。
・磐越西線
山都駅から磐越西線で会津若松へ。会津若松で乗換て、郡山へ。
この鉄道は大変楽しめた。鉄道好き、山好きには堪らないのではないだろうか。
まとめ:
・かなり体力を要するルート。飯豊山荘から稜線までがきついが、稜線に上がった後も、細かいアップダウンが多い。
・危険個所もそれなりにあり、天候が悪い場合は特に注意が必要なため、計画には余裕を持たせる必要あり。
・登山道は全般的によく整備されている。御西小屋→大日岳、御西小屋→切合小屋は牧歌的な美しいトレイル。
・登山地図のコースタイムは、雪渓ありの状態を想定しているようで、登山道から雪渓が消える9月では、コースタイムよりも大分早く歩けるようだ。
・御西小屋から先は急激に人が増える。
・飯豊山を歩いてみて感じたのは、なんといっても水の豊かさ。総合的な難易度は、北アルプスに劣らない気がするが、2000m付近の稜線上で良質な水が潤沢に手に入るのは、何とも贅沢。
・1日目こそ一日中雨だったが、事前にしっかり対策したことで、浸水は限定的。2日目以降は、天候も回復し、涼しい秋山を快適に歩ききることができた。
・今回も色々な登山者と出会って、他愛もない話に盛りがった。これもまた山の愉しみ。
備考:飯豊山の読み
いいでの湯から山都駅へ移動する際に、タクシーのお世話になったが、運転手さんはご自身もかつては登山をされていた方で、地元の方ならではの様々な話を教えてくれた。その中でひときわ興味深かったのは、飯豊山の読みの話だった。
・近隣の村では戦前まで「イイトヨサン」が一般的だった。お年寄りの中でも「いいとよさん」が一般的。
・戦後の地図に「イイデサン」が誤植で(?)載った後、地元でも「イイデサン」が広まった。
のだという。彼は、
・飯豊王(いひとよのみこ)と山都に関する伝説に由来する説
を述べておられた。彼は、「イイトヨサン」が元々の名称なので、「イイトヨサン」の呼び名を取り戻したい、とのことだった。
個人的に、「イイトヨサン」という読み方は気に入った。単に、
・平易な読み方であること
もあるが、
・実際に山歩きをしてみて感じたのは、水と生命の豊かさに関しては日本の山々の中でも有数の豊かさを誇るであろうこと
・新潟・山形・福島に跨るこの山塊が、豊穣のシンボルとして古来から信仰を集めたであろうこと
・「いいとよさん」の方が、その豊穣のイメージが率直に伝わること
と考えたからだ。私も、今後は「いいとよさん」と呼ぶことにした。
なお、深田久弥の日本百名山でも、以下の記述がある。
・イイデサンが普通だが、山麓にはイイトヨサンと呼んでいる村もある。
・変わった名前だが、その起源には諸説ある。
・周辺に温泉が多いので湯出(ユデ)が訛った説
・白河郡に式内飯豊姫神社がああり、イイトヨという鳥名から出た説 (イイトヨとは梟の古語らしい)
・雪化粧した山容が飯を豊かに盛った様子に見えることから、この名がついた説
その他、調べたところ
・白河郡には飯土用(イイトヨ)という地名がある
・飯土用(イイトヨ)とは、井伊出(イイデ)と同語?
・会津では高山のことをイイデと呼ぶ
など、いろいろな記述、説があるようだ。もはや何が本当かは知りようもないようだ。
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