• このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 参考になった
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 参考になった

行程・コース

天候

晴れ一時雨

登山口へのアクセス

バス
その他: 霊山登山口駐車場を利用。

この登山記録の行程

Start(10:23)・・・こどもの村登山口(10:26)・・・日暮岩入口(11:04)・・・護摩壇(11:47)・・・霊山城跡(12:03)・・・東ノ物見(12:37)・・・望洋台(13:07)・・・日暮岩入口(14:05)・・・こどもの村登山口(14:48)・・・こどもの村登山口(14:48)

コース

総距離
約5.0km
累積標高差
上り約531m
下り約531m

高低図

GPX ダウンロード KML ダウンロード

登山記録

行動記録・感想・メモ

福島県の名峰・霊山(りょうぜん)を訪れた。

恥ずかしながら、読み方すら初めて知る山だったが、とても魅力的な山であった。紅葉まつりの最終日、連休の最終日ということで、多くの人でにぎわっていた。路駐の車も多かった。

駐車場の立ち並ぶ屋台の先に登山口。しばらく登りが続き、いいアップになる。「見下し岩」の看板が出てきて、「見くだし岩」と読んでしまったが、正しくは「見おろし岩」。実際、岩の上に立つと、登山口の駐車場などふもとが見おろせる。標高は700mくらいなのに、壮観な眺めだった。

見下し岩のあとは勾配がゆるやかになり、非常に歩きやすくなる。名前のついた奇岩や展望スポットが次々に出てくる。天狗の相撲場は、土俵らしきものは見当たらなかったが、岩峰と紅葉の景色が素晴らしかった。

親不知子不知から護摩壇にかけては、頭上と左側の崖に気をつけながら歩いていく。護摩壇の名称からもわかるように、霊山は修験の山。このえぐれた岩壁で護摩行が行われたのだろう。

護摩壇から岩場を登ってほどなくすると、一気に土地が開ける。「伝国司館跡」とある。国司館、つまり陸奥国府は多賀城にあるはずだが…と思いながら、もう一段上に登ってみると、霊山城跡に着いた。なるほど。南北朝時代、南朝の忠臣であり陸奥守でもある北畠顕家が、後醍醐天皇の子・義良親王を奉じて霊山城を築き、多賀城から移ってきたらしい。それで、この地が陸奥国府になったということか。

ところが、顕家が討たれたあと、北朝側に攻められ落城したとのこと。そもそも霊山には、慈覚大師・円仁創建の霊山寺があった。東北山岳仏教の一大聖地でもあったはずだが、霊山城落城によって霊山寺も荒廃してしまった。

霊山城跡で休憩したあとは、霊山最高峰の東ノ物見、そして、蟻の戸渡りへと進んだ。ここまで来ると、太平洋も望めるようになってくる。蟻の戸渡りは、初めちょっと心配であった。しかし実際には、戸隠山の蟻の戸渡りほどではないので、難なく通過できた。

登山口へ下山する途中、弁天岩や宝寿台にも寄った。どちらもハシゴのかけられた巨岩。登ってみると絶景であった。たまたまだが、紅葉がベストなタイミング。いろんな赤・橙・黄に色づき、グラデーションが見事だった。

岩峰と紅葉を楽しみ、思わず、興味深い歴史の舞台にも出くわし、楽しい登山だった。下山後は、りょうぜん紅彩館で汗を流し(440円)、帰京した。

続きを読む

フォトギャラリー:37枚

すべての写真を見る

装備・携行品

みんなのコメント

ログインして登山記録にコメントや質問を残しましょう

登った山

霊山

霊山

825m

よく似たコース

霊山 福島県

紅葉の季節に登りたい古い歴史を誇る霊峰

最適日数
日帰り
コースタイプ
周回
歩行時間
2時間55分
難易度
コース定数
12

かぐや姫さんの登山記録

登山計画を立てる