行程・コース
天候
晴れのちくもり
登山口へのアクセス
マイカー
その他:
高松自動車道・高松東ICを降り、高速下を走る国道11号東バイパスを西に引き返します。そして前田駐在所のある「前田西町交差点」を北に折れ、県道30号を北上。JR高徳線を越えた次の十字路を右折し、その次のT字路は左折。
琴電志度線を越えると、最初の十字路を西に折れ、100m少々西の変形五叉路を北に折れます。やがて道路はカーブして西に向きを変えますが、そのカーブに屋島登山道誘導案内板が出ています。その西方の路肩に駐車したのではないかと思います。
この登山記録の行程
登山口12:39・・・加持水12:55・・・不喰梨13:05・・・畳岩13:12・・・屋島寺13:30・・・屋島寺周辺で食事と散策を1時間ほど(時間はよく覚えていない)・・・ドライブウェイ上の陸橋東袂14:47・・・281m独標点15:13・・・談古嶺15:58・・・血の池16:08・・・南嶺16:19・・・屋島山上駅跡16:26・・・屋島登山口駅跡周辺を探索17:07~17:20・・・登山口17:28
※休止や写真撮影時間を含む。
高低図
登山記録
行動記録・感想・メモ
屋島登山鉄道は昭和4年、屋島山上の四国八十八ヶ所第84番札所・屋島寺の参拝のため敷設されたケーブルカーで、「屋島ケーブル」と呼称されていた。
昭和19年、戦時中の不要不急線として休業したが、五年後に再開された。が、客足は平成に入り年々減少し、平成16年、営業を終了、翌年、正式に廃線となった。
山の斜面に線路が敷かれているが、廃線跡歩きは、保線路である長大なコンクリート階段を辿ることになる。これを「上り」に利用すると体力の消耗が著しいので、往路は遍路道の一つを登って屋島山上に上がり、復路、保線階段を下る回遊コースを取った。保線階段からは高松市街地の好展望が広がっているほか、トンネルや車輌も残存している(‘07年時)。
尚、当登山口は分県登山ガイドのものより南東方向になる。
登山道は沢を固めたコンクリート水路沿いを上がりますが、視界が開けると東山地墓地に出ます。墓地の中の道を北上し、再び樹林帯に入ると山道になり、やがてカーブを描き、西に向きを変え、南西に張り出した尾根に乗ります。そこは分岐となっており、その尾根を上る急登の道は道標では「南嶺」方向となっています。尾根には森林管理局のような石標が打たれているので、この尾根が民地と国有林との境界なのかも知れません。しかし急登の尾根を登るのは馬鹿げているので、この尾根道はやり過ごし、北西の緩やかな道を進みます。西側の展望が開ける箇所もあります。
道は下りになるので不安になるかも知れませんが、再び西向きに変わると、ほどなくコンクリート舗装された幅員の広い「四国のみち」に出ます。
この四国のみちはかつて弘法大師も登った道であり、各所には大師の史跡が残っています。まず、最初の左カーブにあるのが「加持水」。大師が仏の加護・祈祷を行った際に使用した水です。周辺の井戸水や池が涸れても、この水は絶えることはないと言われています。路肩の石碑の刻字は大師の筆跡であると伝えられています。
舗装道は太陽の照り返しもあるのですが、森林浴のできる木陰が随所にあります。
ヘアピンカーブが2回続き、直線道になると「不喰梨(くわずのなし)」遺跡です。昔はこの辺りに梨の木が沢山あったようで、大師が地権者に梨を所望しましたが、強欲な地権者はまずくて食べられない梨である旨、嘘をついたのです。そうするとその後、本当にこの地の梨が硬くなって食べられなくなったという話。四国各地には「不喰芋」等、似たような話が多く伝わっています。勿論、この看板のある場所にその硬い梨の木が残っている訳ではなく、跡地を後世に伝える石像等があるのみです。
再びヘアピンが続き、日当たりの良過ぎる直線道になると右手に赤黒い「畳岩」が現れますが、実際は「墨岩」と書かれてあったのかも知れません。
この次のヘアピンを上がれば間もなく山上です。道はそのまま屋島寺の山門に入って行きますが、その手前右からケーブル屋島山上駅への道が分かれます。しかし山上に上がってすぐ下山するのも勿体無いので、屋島寺が現在地へ移転する前にあった北嶺近辺を散策してみましょう。
屋島寺境内に入ると東へ出て、そこの三叉路は北に折れます。駐車場の北からは北東に分かれる歩道を上がり、その次のY字路は北(左)へ下る道を選びます。道標には北嶺と記されていたかも知れません。こちらの道もアスファルト舗装されているのですが、この道を歩く観光客やハイカーはまばらです。展望が開けた所が少ないことも影響しているのでしょう。しかし森林浴には打ってつけです。
北上して間もなく、道縁右に北嶺の刻字がある石標が立っていますが、ここから昔の尾根道が分岐しているのです。しかしこの道を辿る者は皆無です。が、狭いながらも抜群の展望箇所があり、弁当を食べるには最適なのです。やはり舗装道を歩くより、こういう山道を歩く方が足への負担も掛かりません。尾根は痩せており、ごつごつした岩場もあり、道の幅員も狭いのですが、最高所のピークに出れば、東方のパノラマが広がっています。談古嶺展望台からの眺望に勝るとも劣らない景色で、切り立った五剣山も間近に迫る迫力です。こういう大展望を独り占めできるのです。
そこから先は下りに転じ、樹林帯の中に入って行くと間もなく舗装道に合流します。ドライブウェイのトンネルの上を通り、254mピーク北の鞍部に達すると、屋島少年自然の家方向に下る下山路が分岐しています。そこから北の尾根も上れるかも知れませんが、あまり時間がなかったので、そのまま舗装道を進みました。
281m標高点で舗装道は二手に分かれますが、どちらの道も展望所は一箇所ほどしかなく、道周囲の景観もあまり変わりません。
どちらの道を選んでも、すぐ先で尾根に上がる道が分岐します。しかし尾根を上がってみると、意外な景観が広がっています。そこは広大な広場で神秘的な池があり、ベンチやトイレも設置されています。詳しい説明板がないので分かりませんが、恐らくここは、屋島寺が現在地に移る前にあった所の庭園跡ではないでしょうか。
そこからはそのまま平坦な尾根道を歩いて行きますが、この道も舗装道同様、展望がありません。しかし森林浴を深く楽しむには、こちらの道の方が適しています。
北嶺最高所の282mピークは道の東の密林の中ですが、一帯が平地なので、山頂の風情はありません。
緩やかな下りに転じると、やがて舗装道の三叉路に到ります。北へ下る道は遊鶴亭展望所に続いていますが、帰路の上り返しが疲れるので、ここからは舗装道を引き返しましょう。西、東、どちらの道を行っても281m標高点で合流します。
駐車場東方の三叉路まで引き返すと、東上の道を進みます。すぐ上は談古嶺展望台で、そこから道は南向きに変わり、やがて源平古戦場展望台のある三叉路に達します。南嶺山頂(292.1m)を極めたい方は西の道を進み、もうそのままケーブル軌道跡から下山したい方は南に行きます。ここでは前者のコースを解説します。
道は義経軍が血のついた刀を洗ったという血の池前を通り、再び屋島寺境内に入ります。そして再び山門を出ると、往路の三叉路から南東に進みます。道々には電柱が残っていますが、これはケーブル運行時にも使用されていたのでしょう。
やがて道の右下に展望所が現れますが、これをやり過ごしてほどなくして、左の尾根に上がる踏み跡が分かれるので、これに分け入ります。この踏み跡は高い給水塔に続いていますが、これもケーブル関連遺物でしょう。そこから南東に入ればすぐ三角点標石を発見できます。一応、ここが屋島の山頂、最高所とされているのです。但し、展望は皆無です。三角点から更に南東に下れば、元来た道に合流します。
間もなく古戦場展望台から南下して来た道と合流します。ここから屋島山上駅跡までは一本道です。
やがて視界にはゴーストタウンが如き光景が広がってきます。かつてはレンタサイクルの貸し出しも行っていた「食堂・旅の憩」や「宮地商店」の廃屋です。そして正面にはゴースト塔が如きケーブル屋島山上駅舎。駅舎のドアには鍵が掛かっているので内部に入ることはできませんが、ガラスドアから覗くと、切符売り場カウンターや自販機、扇風機、掲示ポスター等がそのまま残置しています。
軌道跡へは駅舎の西から入ります。駅舎裏に回ると、驚いたことにまだ車輌や駅名板が残っているのです。この車輌は義経号か弁慶号かは分かりませんが、かなり間近に観察できます。すぐ下にはトンネルがありますが、地図で見るより実際は短いようです。
ホーム南端から慎重に下りますが、ここから登山口駅跡まではレールや架線柱が完璧な状態で残っており、その西沿いの保線路である石段も登山口駅まで続いているのです。いったいこの石段は何百段になるのでしょうか。これを往路に利用しては身体が持ちません。
トンネル内は明るく、難なく抜け出ることができますが、そこからは高松市街地の大パノラマが広がっています。そして傾斜のついたレールも視界の彼方まで見通すことができます。こんな素晴らしい道を、高松市はどうして観光に利用しようとしないのでしょうか。完全な形の架線柱も次々と現れます。ケーブルロープも残っています。
道縁には警察署やケーブル社がこの道の通行を禁じる旨の看板を立てていますが、これは飽くまでケーブルが営業していた時のもの。
あまりにも軌道が完璧な形で残っているため、麓で電車の汽笛が鳴ると、思わずこのケーブルはまだ稼動しているのでは、という錯覚を起こしてしまいます。勿論その汽笛や警笛は、琴電やJRのものです。
好展望を楽しみながら中腹まで下りて来ると、線路が複線になっています。このケーブルは単線のため、ここで対向車輌を待避するのです。
再び単線に戻って以降は、右手の藪が保線路にはみ出してくる場合が多くなるため、石段とレールの間を歩くこともあります。
かなり遠くから登山口駅跡は見えてくるのですが、何とそちらの方にももう一つの車輌が残されているのです。
登山口駅舎も完璧に近い形で残っています。こちらの車輌は触れることができ、窓から運転席や客席を覗き込むことができます。全ての窓には、さよなら運転時に乗った近くの園児たちが絵入りの張り紙をしています。「長い間ありがとう」「さようなら」等々。
ホーム左手には発電室まで残っています。
駅舎の玄関に回ると、ここから往路の登山道や四国のみちの登山口周辺へ到る道順が記された地図が掲げられています。恐らく、ケーブルが廃止になったことを知らずに来る観光客がいるのでしょう(‘07年当時)。私もこの廃止を知ったのは、この探訪日の僅か数日前です。そのため、急遽屋島山上への登山コースを変更したのです。
玄関から中を覗くと、こちらも営業当時のままで、カウンターやテーブル、コインロッカー等がそのまま残されています。
登山口に戻るには、コトデンタクシー営業所前の小路を西に進み、石段を上がって大宮八幡宮境内を横切り、西下の車道に出ます。これを北に上がればほどなく、登山道誘導案内板に到ります。
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