豪雨などで登山道の通行止め相次ぐ。伊吹山、安達太良山など

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いよいよ海の日の三連休だが、直前に梅雨前線が豪雨をもたらしたため、土砂被害などで各地の登山道では通行止めが相次いでいる。連休中も大雨が予想されるエリアもあるため、夏山登山を計画している場合は、直前に登山道の最新情報を確認しておきたい。
(※以下は2023年7月14日14時時点の情報)

伊吹山

2023年7月12日、伊吹山のメインコースの二合目、六合目付近などで登山道の大規模な崩壊が発生。弥高尾根など他のコースについても安全が確認できておらず、米原市では、麓からの伊吹山への登山をやめるよう呼びかけている。伊吹山ドライブウェイは停電により13日に営業を休止したが、7月14日から営業を再開した。ドライブウェイから山頂への登山道については、土砂災害等の情報は入っていないという。

⇒ヤマタイムで伊吹山二合目、六合目付近の地図を見る

土砂崩れが起きた伊吹山六合目付近の登山道(写真提供=米原市)

槍ヶ岳

 7月12日から13日にかけての豪雨で滝谷出合に架かる橋が流されたため、一時的に新穂高温泉から槍平方面への登山ができない状況となった。槍平小屋では水量が減少するのを待って復旧作業を進め、14日午後には再び通行できる状況になっている。ただし、滝谷など穂高岳西面の沢では過去には徒渉中の死亡事故も起きているため、降雨後の無理な徒渉は禁物だ。槍平小屋では滝谷出合にライブカメラを設置して最新画像をツイッターで配信しているので、入山前には必ず確認しておきたい。

⇒槍平小屋【滝谷渡渉部ライブカメラ】ツイッターアカウント(@yaridairano3)

⇒ヤマタイムで滝谷出合付近の地図を見る

安達太良山

安達太良山の西側、猪苗代町にある沼尻登山口からの登山道が通行止めとなっている。沼尻登山口から約2kmの温泉の源泉付近で火山ガスを吸ったとみられる旅行者が死亡した7月13日の事故を受けたもの。対象となっているのは、鉄山方面と、船明神山方面の登山道。猪苗代町によると沼尻登山口には登山規制の看板が設置してあるとのことだが、縦走などで沼尻登山口への下山もできないので、注意のこと。

⇒ヤマタイムで沼尻登山口付近の地図を見る

この記事に登場する山

滋賀県 / 越美・伊吹山地

伊吹山 標高 1,377m

 岐阜県と滋賀県の県境の山。ピークは滋賀県側にある。  『古事記』に伊服岐能山と記され、『日本書紀』には日本武尊(やまとたけるのみこと)と大蛇の戦いの地として登場。濃尾平野では古来より冬季に吹く北西の季節風を伊吹おろしと呼び畏れ敬った。  1957(昭和32)年に伊吹山スキー場が開設され、関西中京のスキー文化の発展を担ったが2010年に惜しまれつつも閉鎖。 植物種が豊かなことは古来より知られ、近郷に山麓で採れる薬草を生活の糧にするといった歴史・文化を育んだ。また野草の群生地に恵まれ、固有種のほか1000種を超す種類の植物が育つ。ことに山頂のお花畑は滋賀県指定の天然記念物に、周辺は琵琶湖国定公園に指定された。  伊吹山では日中の暑さを避けるため夏期の夜間登山が盛んだ。7、8月の土曜の晩の山頂へ向かう登山者の明かりはいわば風物詩。  山麓の伊吹登山口からは歩行時間は3時間30分ほど。

長野県 岐阜県 / 飛騨山脈南部

槍ヶ岳 標高 3,180m

 鋭角に天を突く岩峰でそのものずばりの命名、しかも北アルプス南部の登山道が集中する位置のよさ。槍ヶ岳は北アルプス南部の鎮である。  行政区分からいえば長野県の大町市、松本市と岐阜県高山市との境にそびえている山である。地理的条件も実に絶妙な場所といえる。  南から穂高連峰の縦走路、東から常念山脈や燕岳からの表銀座コース、谷筋では上高地から梓川、槍沢を遡っていく登山道、新穂高温泉から蒲田川右俣、飛騨沢を登るコースと、北アルプス南部のすべてのコースが槍ヶ岳に集中し、中央部へは西鎌尾根が唯一の回廊となって双六岳に通じる、北アルプス南部の扇の要である。  しかも鋭い槍の穂先のような姿は、日本の氷河地形の典型でもある。地質は硬いひん岩で、氷河が削り残した氷食尖峰。東西南北の鎌尾根も氷食地形、槍沢、飛騨沢、天上沢、千丈沢はU字谷とカールという、日本の氷河地形のサンプルぞろいである。  登山史上で初めて登頂したのは江戸時代の文政11年(1828)の播隆上人。4回登って3体の仏像を安置し、鉄鎖を懸けて信者の安全な登拝を可能にした。登路は安曇野の小倉村から鍋冠山を越えて大滝山へ登り、梓川に下って槍沢をつめている。今も残る槍沢の「坊主ノ岩小屋」は播隆が修業した籠り堂だ。  近代登山史の初登頂は明治11年(1879)の英人W・ガウランド。1891年には英人W・ウエストンも登っている。日本人では1902年の小島鳥水と岡野金次郎。穂高・槍の縦走は1909年の鵜殿正雄で、ここに槍ヶ岳の黎明が始まった。大正11年(1922)には3月に、慶応の槙有恒パーティによる積雪期の初登攀があり、同年7月7日には早稲田と学習院が北鎌尾根への初登攀に挑んでいる。早稲田は案内人なしの2人パーティで、槍ヶ岳頂上から独標往復。学習院は名案内人小林喜作とともに末端からと、方式も違う登攀でともに成功した。  その後も北鎌尾根ではドラマチックな登攀が行われ、昭和11年(1936)1月には、不世出の単独行者、加藤文太郎の遭難、昭和24年(1949)1月の松濤明、有元克己の壮絶な遭難が起きている。加藤の遺著『単独行』と松濤の手記『風雪のビヴァーク』は登山者必読の書である。  登山道で直接登るコースは、上高地から槍沢コース経由で槍ヶ岳(9時間30分)と、新穂高温泉から飛騨沢コース(8時間40分)の2本。ほかに穂高連峰からの縦走コース(7時間30分)、燕岳からの表銀座コース(8時間40分)、双六小屋から西鎌尾根コース(6時間)と数多い。

福島県 / 奥羽山脈南部(吾妻山とその周辺)

安達太良山 標高 1,699m

 福島県二本松市、安達郡大玉村、郡山市と耶麻郡猪苗代町の境に位置する。明治時代に噴火の記録を持つ火山である。その火口である沼ノ平は、その特異な地形から安達太良山のシンボル的存在となっている。  山麓には多くの温泉が点在する。岳、中ノ沢、沼尻、野地、あだたらなどの温泉だが、温泉つき山小屋「くろがね小屋」は特に人気が高い。  あだたらの名の起源には諸説ある。いわゆる「タタラ」伝説に基づく鉄を産出した山という意味(鉄山が実在する)。あるいは、坂東太郎と同じ安達の太郎から転じたという説。万葉の時代から人々に親しまれてきた山で、歌にも何編か詠まれている。   陸奥の安太多良真弓はじき置きて   反らしめきば弦はかめかも  コースは多彩にとれるが、自動車道路やゴンドラなどのアクセスが発達してアプローチを容易にしている。岳温泉口からが最も容易で、頂上まで所要約1時間30分。塩沢口は3時間30分。沼尻口は4時間だが、有毒ガス発生のため沼ノ平経由の道は閉鎖中。野地温泉口からは箕輪山経由の縦走で、約5時間。石筵口は和尚山経由で4時間30分。  日本百名山に選定されていて、北から鬼面山(1418m)、箕輪山(1728m:最高峰)、鉄山(1709m)、安達太良山(1699m)、和尚山(1625m)と連なる。

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