「北鎌尾根」を登りたい人にも、眺めたい人にも! 日本一のクラシックルートを徹底解説する第3回「萩原編集長の山塾」実践机上セミナー、7月16日(水)19時~

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第3回「萩原編集長の山塾」実践机上セミナー

山と溪谷社では、リアル講習会と同時配信による登山技術セミナー「萩原編集長の山塾」の第3回7月16日(水)を開催します。日本一の岩稜縦走路「槍・穂高縦走」、日本一の花の縦走路「大雪山 旭岳~トムラウシ縦走」に続き、第3回目の山塾は日本一のクラシックルート「槍ヶ岳北鎌尾根」を紹介します。

今回が全3回のラストのセミナーです。このセミナーでは、人気の登山コースを徹底的に詳しく紹介するとともに、安全に歩くためのハウツーをお伝えします。

これから登ってみたいと考えている人のために、アプローチのポイントから季節ごとの注意点などを含めて写真と図解で詳しく解説。雑誌『山と溪谷』、書籍『日本のクラシックルート』、動画『DVDアドバンスガイド 槍ヶ岳 北鎌尾根』、テレビ「NHK にっぽん百名山」と、さまざまなメディアを通して北鎌尾根の魅力を紹介してきた筆者が、どこよりも詳しく北鎌尾根を案内します。

北鎌尾根独標にて(写真=洞 将太)

北鎌尾根独標にて(写真=洞 将太)

北鎌尾根は道のないバリエーションルートなので、クライミング経験のない一般登山者にとっては興味外のコースといえるかもしれません。しかし、この尾根の存在を知っているのといないのとでは、槍ヶ岳に対する思いは大きく違ってくるはず。冬の北鎌尾根に逝った不世出の単独行者・加藤文太郎や、『風雪のビヴァーク』で知られる松濤明の最期の手記など、話題も盛りだくさんでお届けします。この機会にぜひ、日本を代表するクラシックルート、北鎌尾根を学んでみませんか?

文富ケルン

文富ケルン

開催概要

■「萩原編集長の山塾」実践机上セミナー 第3回 槍ヶ岳 北鎌尾根「日本一有名なバリエーションルート」の魅力と攻略法

日時:7月16日(水)19時~20時30分(受付18時30分〜)
会場:インプレスグループ セミナールーム(東京都千代田区神田神保町1-105 神保町三井ビルディング23階)[Google Mapで見る
受講料:

  • 会場受講+アーカイブ視聴:3,500円(税込)
  • オンライン受講+アーカイブ視聴:2,000円(税込)

アーカイブ配信:講演終了後、2週間アーカイブ映像を視聴可能
申し込み方法:下記(ツイキャス)より申し込む
https://twitcasting.tv/c:yamakei1930/shopcart/369662

受講者特典
第3回の会場受講者特典として、もれなく『山と溪谷』最新号(2025年8月号)をプレゼント!

■講師紹介
萩原浩司(はぎわら・ひろし)
1960年栃木県生まれ。小学生のころより父親とともに日光・那須の山々に親しみ、高校・大学時代は山岳部に所属。卒業後は山と溪谷社に入社し、『山と溪谷』『ROCK&SNOW』編集長を歴任する。現在は山と溪谷社取締役として山岳関連の雑誌・書籍部門を担当。2013年よりNHKの登山番組「にっぽん百名山」シリーズに出演。同2013年には母校・青山学院大学山岳部のヒマラヤ遠征に隊長として参加し、アウトライアー(7090m)東峰の初登頂を果たす。著書に『萩原編集長の山塾 実践! 登山入門』、『萩原編集長の山塾2 登山力』、ヤマケイ新書『萩原編集長 危機一髪!』、共著に『教えて編集長! 釈由美子の山の常識110の疑問』(いずれも山と溪谷社刊)などがある。日本山岳会会員。全国山の日協議会山の日アンバサダー。

萩原浩司(はぎわら・ひろし)北鎌尾根独標にて(写真=洞 将太)

北鎌尾根独標にて(写真=洞 将太)

問合せ先

山と溪谷社
info@yamakei.co.jp

この記事に登場する山

長野県 岐阜県 / 飛騨山脈南部

槍ヶ岳 標高 3,180m

 鋭角に天を突く岩峰でそのものずばりの命名、しかも北アルプス南部の登山道が集中する位置のよさ。槍ヶ岳は北アルプス南部の鎮である。  行政区分からいえば長野県の大町市、松本市と岐阜県高山市との境にそびえている山である。地理的条件も実に絶妙な場所といえる。  南から穂高連峰の縦走路、東から常念山脈や燕岳からの表銀座コース、谷筋では上高地から梓川、槍沢を遡っていく登山道、新穂高温泉から蒲田川右俣、飛騨沢を登るコースと、北アルプス南部のすべてのコースが槍ヶ岳に集中し、中央部へは西鎌尾根が唯一の回廊となって双六岳に通じる、北アルプス南部の扇の要である。  しかも鋭い槍の穂先のような姿は、日本の氷河地形の典型でもある。地質は硬いひん岩で、氷河が削り残した氷食尖峰。東西南北の鎌尾根も氷食地形、槍沢、飛騨沢、天上沢、千丈沢はU字谷とカールという、日本の氷河地形のサンプルぞろいである。  登山史上で初めて登頂したのは江戸時代の文政11年(1828)の播隆上人。4回登って3体の仏像を安置し、鉄鎖を懸けて信者の安全な登拝を可能にした。登路は安曇野の小倉村から鍋冠山を越えて大滝山へ登り、梓川に下って槍沢をつめている。今も残る槍沢の「坊主ノ岩小屋」は播隆が修業した籠り堂だ。  近代登山史の初登頂は明治11年(1879)の英人W・ガウランド。1891年には英人W・ウエストンも登っている。日本人では1902年の小島鳥水と岡野金次郎。穂高・槍の縦走は1909年の鵜殿正雄で、ここに槍ヶ岳の黎明が始まった。大正11年(1922)には3月に、慶応の槙有恒パーティによる積雪期の初登攀があり、同年7月7日には早稲田と学習院が北鎌尾根への初登攀に挑んでいる。早稲田は案内人なしの2人パーティで、槍ヶ岳頂上から独標往復。学習院は名案内人小林喜作とともに末端からと、方式も違う登攀でともに成功した。  その後も北鎌尾根ではドラマチックな登攀が行われ、昭和11年(1936)1月には、不世出の単独行者、加藤文太郎の遭難、昭和24年(1949)1月の松濤明、有元克己の壮絶な遭難が起きている。加藤の遺著『単独行』と松濤の手記『風雪のビヴァーク』は登山者必読の書である。  登山道で直接登るコースは、上高地から槍沢コース経由で槍ヶ岳(9時間30分)と、新穂高温泉から飛騨沢コース(8時間40分)の2本。ほかに穂高連峰からの縦走コース(7時間30分)、燕岳からの表銀座コース(8時間40分)、双六小屋から西鎌尾根コース(6時間)と数多い。

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