暴風雨の中、男女3人が低体温症に……遭難救助で白馬山荘に感謝状

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北アルプスの白馬岳で8月7日に発生した山岳遭難で、暴風雨の中、救助活動にあたった白馬山荘(株式会社白馬館が経営)にこのほど長野県警大町警察署から感謝状が贈られた。この遭難では、低体温症で行動不能となった3人が救助され、応急処置の結果、2人が生還を果たした。

大町警察署の品澤存署長と感謝状を受けた白馬館の松沢貞一社長(写真提供=大糸タイムス)

大町警察署の品澤存署長と感謝状を受けた白馬館の松沢貞一社長(写真提供=大糸タイムス)

8月7日、白馬連峰はあいにくの風雨となっていた。悪天のなか白馬大池山荘から白馬岳へと登山していた8人パーティがあったが、3人は途中で白馬大池へと撤退。残る5人が登山を続行したものの、パーティは分散。後続の2人は、先行した3人が倒れているのを発見し、18時ごろ白馬山荘に助けを求めた。山小屋スタッフ3人、遭対協常駐隊の隊員4人が直ちに出動し、暴風雨の中、意識のない60〜70代の男女3人を山荘まで搬送した。1人は心肺停止状態、ほかの2人も意識不明だったため、看護師資格者を含む山小屋スタッフや、医療ボランティアで山小屋に滞在していた昭和医科大学白馬診療部のメンバーが体を温めるなど低体温症の応急処置を行なった。心肺停止だった男性は回復しなかったものの、懸命の救命処置で2人は一命を取り留めたという。

遭難者を搬送する山小屋スタッフと常駐隊員(写真提供=白馬館)

遭難者を搬送する山小屋スタッフと常駐隊員(写真提供=白馬館)

白馬山荘で行なわれた応急処置(写真提供=白馬館)

白馬山荘で行なわれた応急処置(写真提供=白馬館)

救助にあたった白馬山荘支配人の熊岡潤さんは、日頃から気象遭難への備えを登山者に呼びかけている。「必要な装備を持ち、夏は熱中症、秋は低体温症への備えを充分にしてほしい。最近もレインウェアを持っていない人が低体温症で動けなくなる事例がありました。近頃はレインパンツを履かずにショートパンツで雨の日に行動する人も見かけますが、高山の風雨による冷えは危険。装備を持つだけでなく、適切に使用することも大切です」と話している。

関連リンク

白馬山荘ウェブサイト
https://hakubakan.com/lodge/hakubasanso/

この記事に登場する山

富山県 長野県 / 飛騨山脈北部 後立山連峰

白馬岳 標高 2,932m

 白馬岳は、槍ヶ岳とともに北アルプスで登山者の人気を二分している山である。南北に連なる後立山連峰の北部にあって、長野・富山両県、実質的には新潟を加えた3県にまたがっている。  後立山連峰概説に記したように、この山の東面・信州側は急峻で、それに比して比較的緩い西面・越中側とで非対称山稜を形造っている。しかし信州側は山が浅く、四カ庄平をひかえて入山の便がよいため登山道も多く、白馬大雪渓を登高するもの(猿倉より所要6時間弱)と、栂池自然園から白馬大池を経るもの(所要5時間40分)がその代表的なものである。  越中側のものは、祖母谷温泉より清水(しようず)尾根をたどるもの(祖母谷温泉より所要10時間)が唯一で、長大である。  白馬三山と呼ばれる、本峰、杓子岳、鑓ヶ岳、そして北西に位置する小蓮華山の東・北面は、バリエーション・ルートを数多く有し、積雪期を対象に登攀されている。  近代登山史上では、明治16年(1883)の北安曇郡長以下9名による登山が最初であるとされている。積雪期では慶大山岳部の大島亮吉らによる1920年3月のスキー登山が初めての試みである。  白馬岳の山名は、三国境の南東面に黒く現れる馬の雪形から由来したといわれる。これをシロウマというのは、かつて農家が、このウマが現れるのを苗代(なわしろ)を作る時期の目標としたからであって、苗代馬→代馬(しろうま)と呼んだためである。白は陸地測量部が地図製作の際に当て字したものらしい。代馬はこのほかにも、小蓮華山と乗鞍岳の鞍部の小蓮華側の山肌にも現れる。白馬岳は昔、山名がなく、山麓の人々は単に西山(西方にそびえる山)と呼んでいたのである。また富山・新潟側では、この一連の諸峰をハスの花弁に見立てて、大蓮華山と総称していたようである。  この山からの眺望はすばらしく、北アルプスのほぼ全域はもとより、南・中央アルプス、八ヶ岳、頸城(くびき)や上信越の山々、そして日本海まで見渡すことができる。頂の展望盤は、新田次郎の小説『強力伝』に登場することで知られる。  日本三大雪渓の1つ、白馬大雪渓は登高距離が2kmもあり、全山にわたる高山植物群落の豊かさ、日本最高所の温泉の1つ白馬鑓温泉、高山湖の白馬大池や栂池自然園などの湿原・池塘群、こうした魅力を散りばめているのも人気を高めている理由である。また、白馬岳西面や杓子岳の最低鞍部付近などに見られる氷河地形、主稜線などで観察できる構造土、舟窪地形など、学術的な興味も深い。山頂部の2つの山荘(収容2500人)をはじめ山域内の宿泊施設も多い。

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