ブナに抱かれた旧六十里越街道歩き。落葉を踏みしめ、歩くことの心地よさを味わう
山形県・庄内地方と内陸を結ぶ旧六十里越街道は、千年以上前の古代から使われてきた道です。周囲には国道112号線が走り、忘れ去られた存在となっていましたが、消えかかった街道の大切さに気づいた人々の努力、情熱によって再び整備されています。今回はその一部、田麦俣から細越峠を抜けて湯殿山十字路まで歩き、街道を離れて湯殿山参籠所までつなぐコースを紹介します。
写真・文=斎藤政広
スタート地点となるのは、月山の北西に位置する田麦俣地区。江戸期、人々は鶴岡を発ち、赤川を渡し船で渡り十王峠を越え、注連寺が建つ七五三掛や塞ノ神峠を経て、この田麦俣の宿場に入りました。ここで身支度を調え、六十里越の険しくも美しい街道歩きの本領に入って行ったのです。
田麦俣から歩き始めると、周囲にはユキツバキ、美しいブナ林が迎えてくれます。蟻越坂入口からややきつい登りになり、七ッ滝への分岐に出て杉林から広葉樹の道に変わると、田麦俣の集落が見渡せる弘法茶屋跡に到着です。
ゆったりとした馬立あたりにはユキツバキの下生えが目立ちます。塚ならを抜けて、一度国道に出て、階段でトンネル上部に出て再び街道に合流。花の木坂付近は、街道の中でもとりわけ紅葉の美しい道が続きます。
突然、フユシャクが足もとから飛び出しました。秋口から冬にかけて生まれるガの仲間で、口がなく、しかもメスは羽が退化しているのが特徴です。街道歩きで足もとからひらひらと飛ぶものがあれば、きっとフユシャクの仲間でしょう。
しばらくで独鈷茶屋跡に到着。トイレがあり、すぐ下りた所には独鈷清水があるので、よい休憩ポイントです。
千手ブナを過ぎ、美しいブナ林の道を進むと、護摩壇石。弘法大師がここで火を焚いて祈祷したといわれています。沢の源頭部を巻くようにして、ゆったりとした道を進んでいきます。街道はカーブしていきますが、月山展望所への分岐があるので立ち寄るのもいいでしょう。
太い杉のある護身仏茶屋跡、座頭まくりの坂、小掘抜(こほのぎ)を過ぎ、さらに大きな切り通しの大堀抜(おほのぎ)を歩きます。かつては湿ってぬかるむ所でしたが、今では歩きやすく整備されています。
長坂を登り詰めれば細越峠に到着。標高が高いため11月上旬ではブナの葉も落ち、開けた雰囲気です。細越峠を後にすると、伝言板のブナがあります。昭和6年12月4日のものと読み取れるメッセージが刻まれ、90cmほどの雪の中、迎えの馬を待っている様子がうかがえます。
さらに下っていくと展望が広がり、湯殿山が見えてきます。湯殿山十字路で旧六十里越街道を離れ、左折。しばらく進んでいけば、ようやく湯殿山参籠所に出ます。
葉を落とした姿もまた美しい
今また、街道歩きがブームになりつつあります。街道を踏み行く中で、牛や馬も一緒になって歩いていた時代を思い起こし、歩くことの喜びや心地よさを実感できることでしょう。
(注)旧国道112号線が六十里越街道と呼ばれていた時期があったため、本項では区別して旧六十里越街道としましたが、今では新しく生まれ変わった意味で六十里越街道と呼ばれています。
田麦俣~独鈷茶屋跡~細越峠~湯殿山参籠所
コースタイム:約5時間
プロフィール
斎藤政広(さいとう・まさひろ)
横浜市生まれ、山形県酒田市在住。東北のブナの森や山々をフィールドに歩き、山麓での多彩な自然との出会いを楽しんでいる。おもな著書に『鳥海山・ブナの森の物語』『鳥海山・花と生きものたちの森』『鳥海山・花図鑑』(無明舎出版)、『森のいのち』(メディア・パブリッシング)、『山と高原地図 鳥海山・月山』(昭文社)などがある。
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