56歳。わたしはアルタイ山脈にユキヒョウを探す旅に出た【第1回】ミルクティーは1日3杯までだ

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山と溪谷社いきもの部ブチョーwが旅に出た。じつに16年振りの海外旅行。定年が視野に入りつつある50代後半になり、一念発起で目指すはモンゴルアルタイ山脈。ずっと憧れだったユキヒョウを探しに行ったのだ。note「ヤマケイの本」に収録のコラム『とある編集者の日々の観察』から4回に分けてお送りする。

文・写真=ブチョーw


(これは情報戦だな……)

地元ガイドの家で、その日3杯目のミルクティーを飲みながら、ガイドが固定電話でひたすら電話をかけているのをぼんやり聞いていた。

夕方となり外の気温は氷点下になっているはずだ。ウシやヤクの糞をレンガのように固めた燃料がストーブにくべられ、室内は充分に暖かかった。

(今日のミルクティーはこれで打ち止めにしなくちゃな…)

モンゴル北西の街ウルギーを出て、遊牧民エリアを移動しながら旅を続けて、すでに1週間近くが経っていた。遊牧民の家では、客が来るとまずミルクティーを出すのが習慣のようだった。わたしは牛乳や生クリームなどで下痢をする体質なので正直厳しい。しかし、歓待してくれる遊牧民たちの気持ちは無碍にはできない。そんな板挟みの状況のなか、1週間経ってようやくミルクティー接待との距離感を掴みつつあった。1日4杯以上のミルクティーは下痢をするのだ。なので、1日の上限を3杯までに設定して、日々を過ごすようになっていた。

ミルクティーはカップというよりはお茶碗な感じで出てくる。これにバターなどの乳製品を入れて飲む

衛星テレビからは、大相撲秋場所のモンゴル人力士・豊昇龍の取り組みが流れていた。モンゴル語がさっぱり分からないわたしには豊昇龍が勝ったかどうか分からないし、特に興味もないのだが、少なくともガイドが電話で何を話しているかは想像がついていた。

「最近、お前のところで家畜がユキヒョウに襲われてないか?」

長老ガイドが固定電話に張り付いて情報収集をしていた

わたしは、モンゴル西部アルタイ山脈の懐深くに位置するムンフハイルハン国立公園にユキヒョウを探しに来ていた。国立公園に入って既に3日が過ぎていて、最初の宿泊地から固定電話のあるガイドの自宅に移動してきたのだ。

最初の宿泊地は、遊牧民が春に利用する居住地の空き家だった。季節は既に冬に入り、遊牧民は冬の居住地に移動していた。そこをベースキャンプにして周辺の山を歩き回り、ユキヒョウの新しい痕跡を探したのだ。

ロシア製四駆ワゴンのUAZ(ワズ)
ここが最初宿泊した遊牧民の春の家。こう見えて意外と快適。そして、わたしのアルタイ山脈での脚となったロシア製四駆ワゴンのUAZ(ワズ)
宿泊地の後ろに見えるこの岩壁を……登ったんですよ。死ぬかと思いました(笑)
まるで涸沢から北穂に上がって奥穂を回って下山する……そんな感じの雪山登山でした
ウランバートルのアドベンチャー系の旅行会社に勤めるガイドのメンディ(右端)と地元のガイドが2名でユキヒョウを探す

そこは国立公園のレンジャーがトレイルカメラ(センサー付き自動カメラ)を設置している場所で、わたしが訪れた約2週間前に親子3頭のユキヒョウの姿が捉えられていた。わたしのユキヒョウ探しの起点は、そのトレイルカメラの存在にあったのだ。

▼その親子のユキヒョウの動画はムンフハイルハン国立公園のFacebookで公開されています

しかし、その3日間、岩稜を登り、雪原を越えて歩き回り、雇った地元ガイド2名は馬を使って周囲を広域に探索したのだが、いちばん新しいもので約1週間前と思われるユキヒョウの足跡を見つけただけだった。親子のユキヒョウはすでに別の山域に移動したと思われた。

これが1週間程度前のものと思われるユキヒョウの足跡。全体に丸く、肉球の周りも長い毛に覆われていて爪痕が付かないのが特徴だという

携帯電話が通じないその場所では、これ以上情報が集まらない……。そう判断して急遽固定電話のある地元ガイドの自宅に移動したわけだ。

その頃になって、ミルクティーとの距離感が分かったように、ようやく「野生のユキヒョウを探す」ということが、どういうことかが分かってきた。そう、ユキヒョウ探しは「情報戦」なのだ。

千葉県で18頭!?

モンゴルに限らず、ユキヒョウの基本的な生息状況は以下のようなものだ。

①個体数が極端に少ない
②行動域が広く、1日にかなり移動すると考えられている

当初、ユキヒョウ探しは「いそうなところでプロミナや双眼鏡を使って定点調査のように探す」と漠然と思っていたのだが、上記のような条件だと、それはまったく無駄な行為なのだ。「確実にいる場所」で探す……そうしなければ一生見つけることはできないほどユキヒョウの数は少ないのだ。

そのため、ユキヒョウ探索は新しい足跡などの痕跡を探すことに重点を置き、「確実にこの山にいる」と絞り込んでから、プロミナなどで探すのだ。そして、家畜が襲われた情報もそのひとつというわけだ。ヤクや馬を襲った場合、食べ切るまで3日程度はその場所に居座るという。

プロミナを使って岩壁を探すのだが…そもそも、そこにユキヒョウがいる確率は限りなくゼロに近い

このムンフハイルハン国立公園のユキヒョウの個体数に関しては、国立公園に入る前日に泊めさせていただいた元国立公園レンジャーのお宅で聞いていた。元レンジャー氏によると、10年前の調査でユキヒョウの推定個体数は約18頭という結果が出ているとのことだった。

(18頭か、けっこういるじゃん)

そのときはそう思ったのだが、手元のユキヒョウノート(事前にいろいろメモっていたノート)を開くと、ムンフハイルハン国立公園の面積は5061㎢と書いてあった。そのときは、(かなり広くないか?)と思ったぐらいでピンときていなかったのだが、後日、携帯が通じたところで調べたら、千葉県、愛知県よりちょっと狭いぐらいの面積だったのだ。

これがユキヒョウノート。事前に本や論文を読んでメモを作っていたのです

千葉県で18頭か……。ちなみに関係はないのだが、千葉県でのニホンジカの推定個体数は約4万頭で、最近話題のキョンは7万頭以上いるらしい。まぁ、捕食者と被食者の数を比べるのはナンセンスだけれど。

再びユキヒョウノートを開くと、ユキヒョウの行動圏と個体数密度を整理したメモがあった。

【行動圏】

  • 中国・甘粛省:250~350㎢
  • インド・ラダック:150㎢
  • モンゴル・トスト山脈:雄114~394㎢・雌87~193㎢ 最大1590㎢

【個体数密度】

  • キルギス:0.15頭/100㎢
  • モンゴル・トスト山脈:1.5~2.3頭/100㎢
  • インド・ヘミス国立公園:4.5頭/100㎢

※参照:『野生ネコの教科書』(エクスナレッジ)

国立公園面積を個体数で割ることとホームレンジの面積は違うのは承知しつつ、ちょっと割ってみると、ムンフハイルハン国立公園では1頭あたり281㎢、個体数密度は0.36頭/100㎢と、だいたい他の地域での結果の枠内に収まっている。そして、移動距離はトスト山脈での数値では「1日に通常10~12km、多いときで28kmにも達する」とあった(同書)。

とにかく……わたしは千葉県ほどの土地に18頭しかいないユキヒョウを探すという難易度の高いことに挑戦しているわけだ。そして、昨日そこにいても、獲物にありつけなければ、今日には10km以上先に移動していてもまったく不思議ではない動物なのだ。

そもそも、わたしがウランバートルの旅行会社に手配した旅は「Snow Leopard Quest」という名前のツアーだった(客はわたしひとりだけど)。「ウォッチング」ではなく「クエスト」。これはまさに「ユキヒョウを探し求める旅」なのだ。

流浪の旅は続く。

(第2回へと続く)


ユキヒョウ/Panthera uncia
ネコ科ヒョウ属。体長は1mほどで、体長に近い長さの尾が特徴。ユーラシア大陸の中央部、ヒマラヤ山脈を中心にアルタイ山脈、天山山脈、ヒンズークシュ山脈、パミール高原などの高地に分布する。野生のヒツジやシカの仲間などを食べる。推定の個体数は3000頭ほどと考えられている(WWF)。IUCN(国際自然保護連合)のレッドリストではVU(危急種)に指定されているが、各地で家畜を襲うなどの問題も増えている。
ユキヒョウ
ユキヒョウ
アルタイ山脈の概略図
アルタイ山脈の概略図

※本連載はnote「ヤマケイの本」のマガジン『とある編集者の日々の観察』から記事を転載しました

プロフィール

ブチョーw(神谷有二・山と溪谷社自然図書出版部)

学生時代はニホンカモシカとツキノワグマを追いかけていた。山と溪谷社では自然・生物関係の書籍編集と、月刊『山と溪谷』やウェブサイト『ヤマケイオンライン』(現・『山と溪谷オンライン』)などの登山関連の部署を右往左往した。Xの「山と溪谷社いきもの部」で日々の生き物観察を発信中。
山と溪谷社いきもの部:@yamakei_ikimono

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