西穂高岳 | 西穂山荘

この時期としては多量の降雪がありました

(2021.10.23 西穂山荘 )
(2021.10.23 西穂山荘 )
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天気・気温

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日本気象協会提供 2024年5月19日 0:00発表
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日本気象協会提供 2024年5月19日 0:00発表
※ご利用上の注意

山と周辺の状況

この時期としては多量の降雪がありました。
今日は冬型の気圧配置により、吹雪となりました。
午前中は標高の低いところでも風が強く、新穂高ロープウェイは一時運行を見合わせました。
冬型の気圧配置になると、山荘前のテラスは風下となって雪が吹き溜まるため、概ね30cm、最も深いところでは40㎝くらい積もりました。
この時期にまとまった雪が降るのは久しぶりです。
まだ除雪機の準備が整っていない為、手作業で雪かきをすることになり、苦労しました。
今日は視界が悪く、山の姿を見ることはできませんでしたが、明日は晴れそうですので今シーズン初の雪景色を見るのが楽しみです。
現在の積雪状況であれば、丸山から上の稜線へ行かれる場合は、アイゼン・ピッケル等の冬山装備が必要です。
北アルプスでは、西穂よりはるかに積雪量の多い山もあるようです。雪崩の起きやすい場所では、表層雪崩にも注意が必要です。
現時点では、積雪期の登山に慣れていらっしゃらない方は、無理をしない方がいいでしょう。
今後の積雪状況・気象状況の変化によって、必要となる装備は日々変わってくると思いますので、登山を予定されている方は、直近の情報をよくご確認ください。

登山道の状況

西穂高の登山道の状況をホームページに掲載してあります。お越しになられる方は参考になさってください。
http://www.nishiho.com/

お知らせ

西穂山荘
http://www.nishiho.com/

■一ヶ月先までのインターネット予約ができます
一ヶ月先の宿泊日まで、山荘宿泊(相部屋)及びテント泊の予約が、インターネットで行えます。
電話でのご予約の場合も、一ヶ月先までとなります。

インターネットによる予約受付は、10月31日宿泊分まで。
11月1日以降の宿泊分は、電話予約のみとなります。

昨年の今頃の様子は?

GW最終日は雨。5月8日から新穂高ロープウェイが運休です2023.05.07

天気は雪から雨に。山荘周辺の積雪は70㎝ほど2023.05.14

美しい高山の花々が次々と開花を始めています。ロープウェイはメンテンナンスのため休止中2023.06.11

西穂山荘周辺の過去の様子

西穂山荘

電話番号:
連絡先住所:
長野県松本市中央1-11-25 西穂山荘事務所

地図で見る
http://www.nishiho.com/

施設の詳細を見る

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西穂高岳 標高 2,909m

 穂高連峰の南端にあり、さらに南へ続く稜線は焼岳に至る。東側は上高地の谷を隔てて霞沢岳と向かい合い、西側は蒲田川の新穂高温泉を挟んで笠ヶ岳がすばらしい。  標高は3000mを切っているが、岩稜、お花畑、ハイマツと、高山帯の要素がそろっているので、北アルプスの入門コースとして人気がある。  この山から奥穂高岳への岩稜は北アルプスでも最も難しいコースで、初縦走は大正元年(1912)、鵜殿正雄が行っている。同じ年、辻村伊助は『スウイス日記』の中で「神河内ならぬ上高地は不快な所である」とその俗化を嘆いている。とはいえ昭和45年(1970)に新穂高温泉から千石尾根にロープウェイが架かり、登山が容易になった現在の山の賑わいと比べようもあるまい。  昭和42年(1967)には西穂高岳・独標で松本深志高校の生徒11人が落雷遭難を起こしている。低くても登りやすくても、アルプスは危険と紙一重の山なのである。  千石尾根が主稜線に突き上げた森林限界に西穂山荘が建っている。  登山道は上高地から所要6時間30分。新穂高温泉からは、ロープウェイ終点から歩いて西穂山荘、独標経由所要3時間30分。

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 北アルプスの玄関口、上高地にずっしりと腰をすえる焼岳は、乗鞍火山帯で唯一の活火山として知られている。  何よりも場所がいい。釜トンネルを抜けてさあいよいよ山だ、と沸き立つ視野に初めに飛び込んでくるのが荒々しい焼岳の下堀沢。大正池に影を落とす姿も、数少なくなった枯れ木と調和しているし、田代池、穂高橋、河童橋と、上高地の要所で必ず姿を見せる。山頂からわずかに白い蒸気を見せる鐘状火山(トロイデ)である。  噴火の歴史は古く、歴史に残っている初めは天正13年(1585)、近いところでは大正4年(1915)6月6日の大爆発で、1日で梓川を大正池に変えてしまった。最近は昭和37年(1962)で、今度は泥流で大正池を埋め、浅い幅広の川のように変えてしまった。それ以来、長い間登山禁止だったが、最近全面的に解除されたため多くの登山者の姿が見られるようになった。頂上には溶岩円頂丘には珍しい噴火口があり、池になっている。  北側の肩は中尾峠で、ここを乗越せば蒲田川の中尾集落に通じる歴史の古い峠道だ。また、新中尾峠には焼岳小屋がある。山頂へは上高地から所要4時間。中尾口から所要4時間30分。

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