行程・コース
この登山記録の行程
【1日目】
島々(06:10)・・・二俣(08:15)[休憩 7分]・・・中間ベンチ(09:40)・・・岩魚留小屋(11:21)[休憩 21分]・・・力水(14:21)・・・徳本峠(15:39)
【2日目】
徳本峠(07:15)・・・徳沢(09:14)[休憩 13分]・・・横尾(10:33)[休憩 17分]・・・一ノ俣(11:54)[休憩 10分]・・・槍沢ロッヂ(12:40)[休憩 27分]・・・ババ平(13:56)
【3日目】
ババ平(05:55)・・・水俣乗越分岐(06:26)・・・天狗原分岐(07:39)[休憩 5分]・・・グリーンバンド・・・槍ヶ岳殺生ヒュッテ(10:05)[休憩 56分]・・・槍ヶ岳山荘(11:41)・・・槍ヶ岳(12:10)[休憩 6分]・・・槍ヶ岳山荘(12:43)[休憩 15分]・・・槍ヶ岳殺生ヒュッテ(13:32)
【4日目】
槍ヶ岳殺生ヒュッテ(05:08)・・・槍ヶ岳山荘(05:52)[休憩 10分]・・・千丈沢乗越(06:56)・・・硫黄乗越(09:45)・・・双六小屋(11:24)[休憩 50分]・・・三俣山荘(15:45)
【5日目】
三俣山荘(05:07)・・・三俣蓮華岳(06:18)[休憩 12分]・・・巻道合流点(07:11)・・・黒部五郎小舎(08:36)
【6日目】
黒部五郎小舎(05:45)・・・黒部五郎岳(中ノ俣岳)(08:59)[休憩 4分]・・・中俣乗越(10:14)・・・北ノ俣岳(上ノ岳)(13:08)[休憩 5分]・・・太郎平小屋(14:20)[休憩 34分]・・・薬師峠(15:15)
【7日目】
薬師峠(07:19)・・・太郎平小屋(07:49)[休憩 7分]・・・三角点(09:59)・・・折立(11:32)
高低図
標準タイム比較グラフ
登山記録
行動記録・感想・メモ
〔準備編〕
構想5年、テント泊縦走では最長の6日間(+予備1日)を歩き続ける山旅。50代最後の夏にこれまでの集大成の山行にしたい。
以前は槍ヶ岳の優先度は低かった。最後は梯子で登頂するというのがなんだかな、と思っていた。新田次郎著『槍ヶ岳開山』を読んで考えを改めた。槍ヶ岳に初登頂し、誰もが登れるようにと山頂への大鎖取り付けに奔走した播隆上人の物語に心を打たれたのだ。
スタートは上高地ではなく、クラシックルートの島々谷から徳本(とくごう)峠越えを選択。車道が開通するまで何百年も人々はこの峠を越えて行った、その同じ道を歩いてみたいと思う。
食事は昼は小屋でとり(徳本峠小屋は昼食営業なし)、朝夕はアルファ米・棒ラーメン・ライ麦パンを交互に、加えて魚肉ソーセージ、カルパス、乾燥野菜など保存性のよい加工食品。行動食は個別包装のミニドーナツ、マーブルチョコ(糖衣状で溶けにくい)、ベビーチーズ、ミックスナッツ、ラムネなど。水に溶かすクエン酸チャージ・ウォーターに、マルチビタミン+ミネラルのサプリメントと塩熱サプリ、奮発してアミノバイタルGOLDを投入。
世はファスト&ライト、むしろ私はスロー&スクエア(ゆっくりとくそまじめに)をモットーにしていきたい。
●1日目 島々登山口~徳本峠
松本駅前の播隆上人像に旅の無事を祈願し、5:30発上高地行バスで安曇支所前にて途中下車。集落を抜けて獣除けゲートをくぐり、ここから長い長い林道歩きが始まる。緑深い渓流沿いの森を新鮮な気持ちで歩く。ほとんど勾配はない。
最終トイレの二俣からようやく登山道に入る。素朴だがしっかりとした橋で何度か沢を渡り、とつぜん観光地のような桟道が現れたかと思えば、崩れた斜面をひやひやの思いで通過したり、そういう意味では変化に富んでいる。
スタートから5時間程の所に休業した岩魚留小屋がある。ここでビバークも可能なのだろうが、真新しい標識に熊が引っ掻いたような痕跡があった。
〔山での不思議な事〕
ふと沢の水音に乗って人の声が聞こえてくる。誰か来るのかなと立ち止まるも前にも後ろにも誰もいない。しばらくするとまた聞こえる。二、三人の女性がおしゃべりしているように思われるが、ほかに登山道があるはずもなく、背筋がひんやりとする。結局、二俣から徳本峠まで誰にも出会わなかった。あれは空耳かそれとも水の精のいたずらだったのか。
徳本峠小屋のテント場は思ったより広く、穂高方面の眺望もある。有料の水とトイレは小屋を利用。新設のバイオトイレは一回毎に100円のチップ制。
●2日目 徳本峠~横尾~槍沢ロッヂ~ババ平キャンプ場
上高地・横尾間の本道に出るまでは行き交う人もわずかの静かな下り道が続く。ここは逆に明神から散策に来てもよいかも。横尾から先は槍沢の流れを見ながら、河原に降りて冷たい水で顔を洗ったり苔の森を通過して一の俣、二の俣で橋を渡り槍沢ロッヂに到着。ここでテントの受付をしてババ平までさらに四五十分かかる。
槍ヶ岳方面への登山道上のさして広くもないテント場には、山頂往復の空テントも含めてかなり混み合っていた。小屋からは遠いが設備は新たな水道とシンクが出来て、真新しい男女別トイレ棟も。ただしこのトイレ、100円投入しないとドアが開かない仕掛けとなっている。このことは受付時に説明がなく、コインが足りないと用が足せない。中もきれいで紙もあるのだが窓が網戸でないため、ヘッドランプを点けると「誘蛾灯」になる経験もできる。夕立があり、濡れたテントが重くなるなあと気分も重くなる。
●3日目 ババ平~殺生ヒュッテ~槍ヶ岳~殺生ヒュッテ
ようやく登頂の日。槍沢に沿って標高を上げるにつれ空も晴れてくる。登山道の雪も消えて高山植物が咲き誇る中を景色を楽しみながら、人も多くなって必然的にゆっくり々と登る。天狗原方面への分岐を過ぎても、槍ヶ岳が見え始めるのはかなり登ってから。霧の衣をまとっていた槍の穂先が堂々たる姿を現したらもうたまらない。紺碧の空に映えることといったらない。小屋が見えてからもまだまだ九十九折れの長い登りが続く。気はせくがここは我慢のしどころ。やがて播隆上人が修行をされた岩室を過ぎて殺生ヒュッテに到着。テント場は岩場に点在しており、ペグはほぼ役に立たない。先に休憩を兼ねて設営することにしたが、これがのちに後悔することに・・・。
ヘルメットとサブザックでいざ山頂へ。♪荷物の軽さを感じながら山道を登るんだぜ♪ベイビー
ところが槍沢側からは気付かなかったが、飛騨側から雲が上がって来ていて、結果的に山頂からの360度の眺望はのぞめなかった。
槍ヶ岳山荘が建つ槍の肩から山頂までは渋滞することがままある。たしかに間隔を詰め過ぎると危険なのでいた仕方ない。私も前の人が岩場を上り切るまで待機していると、ひとりの外国人が無言で割り込んで来た。マナーを知らない人だなとあきれたが、この年配の白人は下山時にも追い越しを連発。足を持ち上げるのに苦労している小柄な女性の頭をまたぐようにして降りて行く場面も目撃した。譲り合い助け合いは、いい意味で日本の文化だと思うのだが、この人はそれが解っていないらしい。いやいや何よりアブナイでしょう。自己過信で他人にケガを負わせたらどうするの。ここ槍ヶ岳にもたくさんの外国人が訪れていて、たどたどしく「コンニチワ」と挨拶してくれるのは微笑ましかったのに、あの人は残念だったな。「今だけ金だけ自分だけ」の新自由主義はもう終わりにしなければ・・・そんなことをつらつら考えながら山荘前のベンチで紅茶とマフィンをいただいた。じつは上りは快調だったのに下りでどうにも足のスタンスがつかめない箇所があり、鎖を握ったままずるずるとずり落ちる醜態をさらしてしまった。気分的には西穂高より難しかった。そんなこんなであまり食欲もなくなっていた。早々にテントに戻って槍見カフェ、その後ヒュッテで夕食(2000円也)をいただきながら相席の方々としばし歓談。自分より一時間位あとに登頂した方も、やはり飛騨側は雲に覆われていたとのこと。テントを張るより先に登頂するべきだったなと思うも後の祭り。
●4日目 殺生ヒュッテ~西鎌尾根~双六小屋~三俣山荘テント場
快晴である。ということは陽が高くなると暑くなるので早めに出発。はじめこそ日陰でよかったが、やがて背中からじりじりと照りつけてきて繰り返しのアップダウンが堪える。ザックの重みが肩に食い込み、パッキングが雑になって来てバランスもよくない。予想以上に厳しかった西鎌尾根を越えて双六小屋に到着した時、本日の目的地である黒部五郎小舎まで行けるのか不安になる。山菜うどんをいただき、巻道ルートで三俣分岐に着いた時点で判断することにした。
緩そうなイメージの巻道ルートであるが実際はそうでもなく、それなりに(いまの自分には)厳しい道のりだった。けれども途中に湧水の流れる桃源郷のような場所があり、そこで随分と休憩をとってしまう。こりゃ三俣泊りだなと思い始めるとなおさら足も重くなる。そんな時にはげましてくれる雷鳥さんであった♡(写真あり)。
●5日目 三俣山荘テント場~三俣蓮華岳~黒部五郎小舎
いまだ槍ヶ岳しかピークを踏んでいないので、去年も登った三俣蓮華岳を登って行くことに。前日のこともあり「巻道」に行くのを躊躇したのが正直なところ。三俣蓮華岳の山頂広場は二ヶ所にあり、双六岳寄りの広場から黒部五郎へ向う。黒部五郎小舎の赤い屋根が見えてきてからもかなりの下りが続く。五郎小舎は三俣山荘より標高が低いのだ。おまけに湿った樹林帯は滑り易い。だが五郎小舎に到着したとき、ここにテントを張ろうと決めた。まだ三時間半しか歩いてないのに? いやそういう日があってもいいでしょう。一番乗りでテント場に行く。西に黒部五郎岳、北には雲ノ平と薬師岳。一面に緑の湿原が広がるすばらしいロケーションである。植生を見ると南の谷から強い風が吹いてくることが解るので、南側に茂みのある所にテントを張る。
小屋前のベンチでリンゴとカレーライスをいただき、あとはまったり過ごすだけ。テント泊縦走のとき、暇つぶしになるようなもの(本や音楽プレイヤー等)は何も持ってこないことにしている。時とともに移り変わる自然の景観と風や野鳥の声を感じて無心になって時を過ごしたい。しかし現実は絶え間なく訪れるムシ君と容赦ない真夏の陽射しが大敵。持参した傘と市販のハッカ・ボディスプレーが役に立った。
役に立ったといえばモンベルのコンパクトマルチシート。テントの床面に敷き詰めておくとテント生地を保護し冷えを防ぐだけでなく、結露や雨水で濡れるのも少しは防げる。あと、陽射しでテント内が高温になり食糧が傷むのを、このシートを被せて置くと地面の冷たさを保ってくれる。日が傾く頃には二ヶ所のテント場もほぼ埋まり、平和な一日が過ぎていくかと思いきや日暮れから降り出した雨は夜半には豪雨となり、一時は水たまりの上で寝ている状態になるも朝には水は引いていた。
●6日目 黒部五郎小舎~黒部五郎岳~北ノ俣岳~太郎小屋~薬師峠テント場
たっぷりと水分を含んで嵩も重さも二倍(おおげさだがそれ程の感じ)に膨らんだテントを片付けて、この旅の実質最後の一日が始まる。小舎から山頂まで稜線ルートとカールを通るルートとがある。稜線ルートは熟達者向き、濃霧時のカールでは迷いやすいとのこと。熟達者を自認する人でも、初めて訪れたのならカールルートをおすすめする。理由は写真を見ていただければ分かるが、ここは天国である。極楽浄土である。生きてこんな美しい場所を訪れることができたことに感謝あるのみ。
〔山での不思議な事〕
山を歩いていてふと目にした場所に既視感を憶えることがある。大きな岩がごろんごろんと無造作に横たわり、背の低い緑のハイマツと可憐な花を咲かせる高山植物。清らかな雪解け水が流れる。あるいは苔むした岩肌に流水の様相・・・それはお寺の庭園に似ている。というより日本の庭園は自然の風景を再現(ミニチュア化)したものだと思う。西洋の庭園は造形的でもっと人工的である。山岳信仰といって古来日本では山は神仏が住む場所であると信じられてきた。山域全体を聖域とし、安易に入山することは許されなかった。神仏の住む地に入るからにはそれなりの修練を積み、死に装束でもある白衣と錫杖を持つ必要があった。これを現代風に解釈すれば「ここから先は充分な登山経験と装備が必要です」ということになる。錫杖はステッキと熊鈴を兼ね、白い着物はきわめて視認性が高い。以上は私の想像であるが、当らずとも遠からずでは。『自然が作った日本庭園』と題して今回の旅の写真からピックアップする。
黒部五郎岳から北ノ俣岳の稜線は、遠目にはたおやかで難なく歩けそうに見える。コースタイムも大したことはない。ところが実際はそうではなかった。まず五郎岳の肩の前後がけっこう険しい岩場とザレた急斜面で注意が必要。ゆるやかな草原が続くかと思うとすれ違いの困難な茂みの一本道や泥濘、赤木岳の前後は岩と岩を飛び石のように渡る難所もある。なにしろ距離が長く何度もニセピークに騙され、ようやく北ノ俣岳にたどりついた時にはすっかりガスに覆われていた。まあこれはこれで涼しくていいのだが、かなりの時間を要してしまい、太郎小屋のランチタイムには間に合いそうもない。実際とても疲れていたのだ。これまでの疲労が重なり、アルファ米ではあまり食欲もなく、昨夜は雨が気になってよく眠れなかった。太郎小屋のネパールカレーが食べたい。一刻も早くテントで横になりたい。気持ちは焦っても体がついて行かない。途中で雨も降り出し、雨具を着込むとすぐに雨はやんで蒸し暑い。はじめてつらいと感じた。これ以上縦走を続けてもつらい日々が続くだけなのだろうか。さいわい天気には恵まれたが、1週間の山行が自分の限界と知った。
●7日目 薬師峠テント場~太郎小屋~折立バス停
〔ソロ・テント泊にこだわる理由〕
私にとって山の旅とは現実からの逃避である。だから天気予報以外は見ないし、山小屋に泊まると少し現実に戻ってしまうのだ。もちろん荒天の時には小屋泊できるよう準備はしているが、なるべく自然を感じていたい。風が木々をゆらす音、沢の音、鳥や虫の声を聴きながら疲れ切って眠りたい。重くとも衣食住一切を担いで、自分の足だけで旅をする。こんなストイックなことは縦走登山でないと体験できない。
〔登山とは自分を知ること〕
自分、けっこう頑張れるな。嗚呼こんな所で弱音を吐くなんて!少し休んで気分を変えてがんばろう。そうすれば絶景が待っているかも。けれども自然は平等である。虫や鳥と同じひとつの生き物にすぎない私という存在など自然の眼中にはない。がんばったご褒美だとか日頃の行いが良いとか悪いとか、自然にとってはなんの関係もない。情け容赦なく陽は照り付け、風雨は吹き付ける。
いま流行りの自己責任という言葉は嫌いであるが、登山では自己判断、自己完結を旨とするよう心がけている。それでも不安になると他人の行動にならってしまう。これは実社会においては協調性であり、我が国ではとくに重んじられる。だが自然の中では仇となることもあるだろう。なるべくなら他人まかせとせず、自分で判断できる経験を積みたいものである。
自然から学ぶこと、人から学ぶこと、知識を自分のものにすること、自らの体で覚えること。そのような意味でもソロ山行はよい体験となる。私の短い登山人生は、今回の山行をピーク(頂点)として今後はゆるやかに下降していくだろう。来年からは少し荷物を減らして小屋泊と半々くらいにしようかとも思う。お若い方、これから経験を積んで行かれる方は、可能ならばソロのテント泊縦走にチャレンジしていただければと思う次第である。
山行とは山行(やまぎょう)でもある
フォトギャラリー:66枚
装備・携行品
| シャツ | アンダーウェア | ダウン・化繊綿ウェア | ロングパンツ | 靴下 | レインウェア |
| 登山靴 | バックパック | スタッフバック | スパッツ・ゲイター | 水筒・テルモス | ヘッドランプ |
| 傘 | タオル | 帽子 | グローブ | サングラス | 着替え |
| 地図 | コンパス | ノート・筆記用具 | カメラ | 登山計画書(控え) | 健康保険証 |
| ホイッスル | 医療品 | 虫除け | 熊鈴・ベアスプレー | ロールペーパー | 非常食 |
| 行動食 | テーピングテープ | トレッキングポール | 燃料 | カップ | クッカー |
| 【その他】 ヘルメット、チェーンスパイク(使用せず) | |||||





































































