行程・コース
天候
晴れ
登山口へのアクセス
バス
その他:
天理駅(JR及び近鉄天理線)からバスに乗車、天理ダムバス停降車。
この登山記録の行程
天理ダム(1時間40分程)龍王山(1時間20分程)JR桜井線柳本駅
高低図
登山記録
行動記録・感想・メモ
北と南、2ヶ所に城郭を擁す戦国期の龍王山城跡は、その縄張り規模が大和一と言われ、両本丸跡からの展望も優れているが、特に三角点(585.7m)が設置されている南城跡からは奈良盆地が一望できる。
その西方の下山路沿いには、全国最大規模の群集古墳・龍王山古墳群がある。6~7世紀に築造された円墳で、埋没しているものを含めるとその数は約一千基に及ぶ。全長は数メートルから10mほどのものが多いが、見渡す限りの視界に墳丘が広がる光景は圧巻。
その麓にある釜口山長岳寺は天長元年(824)に弘法大師が創建したもので、創建当初からの鐘楼門は日本最古とされ、堂内の拝観できる仏像では平安時代のものもあり、重要文化財が多い。
コースは天理ダムを起点として城跡に登頂後、麓の崇神天皇陵に下り、その後、北方の長岳寺で仏像を拝観して、人気の三輪そうめん(秋から春はにゅうめん)を食べた。
起点の天理ダム周辺は現在、「天理ダム風致公園」として整備されているようなので、当方が訪れた頃よりハイカーが増えているかも知れない。
バス停からはダム湖上流の藤井川沿いを遡って行く。
1.5kmほど車道を進んだ所の三差路は南西に取るが、逆の南東の道路をコースとして紹介しているガイドブックが多い。南西の車道は天理市指定のハイキングコースで、現在は舗装車道になっているようだが、当方の山行時は未舗装の林道だった。周囲は植林帯になっている山が多い。
谷沿いを上り詰めた所を右折した先に龍王北城跡がある。520m独標点の南下である。北城跡は三角点のある南城跡より60mほど標高が低いが、規模はこちらの方が大きく、一部に土塁も残る。当時はそこそこ展望が良かったが、現在は植林のため、悪くなっている模様。
この地に城が築造されたのは南北朝時代だが、当時は砦ほどの小さな規模だった。それを天文年間(1532~55)、大規模な山城に大改修したのが歌人としても知られる十市遠忠である。遠忠の子息、遠勝の時の永禄11年(1568)、松永久秀に攻められ、落城した。
そこからは南東に進むが、尾根に出た所の分岐から南の道も、現在、舗装道路になっている様子。
下山路起点分岐をやり過ごし、龍王山北西の分岐まで登ると南東に折れ、三角点のある南城跡へ登頂する。北城跡よりは狭いとは言え、本丸跡は広く、金剛、葛城、三輪三山、宇陀、曽爾の山々のパノラマが展開する。雲が低い所に広がっていたせいか、実際の高度よりも高く感じられる。
下山路は杉の植林帯を下って行く。
不動明王の石仏や古い墓地、修行用の滝等がある場所が長岳寺奥の院。更に下って行くと龍王山群集古墳が現れる。大半が横穴式古墳だが、本来の入口が埋まって、竪穴のようになっているものも少なくない。中には墳丘裾に外護列石を巡らせたものもある。副葬品として、環頭大刀や耳環、馬具、農具、各種土器等があったという。
崇神天皇陵は全長242mという巨大さ故、コンパクト・カメラには収まり切らない。取り囲む濠については、幕末に堤の嵩上げ・浚渫工事が実施されているため、本来の規模は分かっていない。
その北方、長岳寺堂内には、1151年作の本尊・阿弥陀如来三尊像や脇侍の観世音・勢至両菩薩坐像、平安時代の多聞天・増長天立像が安置されている。現在、奈良市等の寺院では撮影禁止措置を取る所も増えているらしいが、天理市の寺では今日でもそこまで厳しくないだろう。
前述の三輪そうめんは重文の書院造の庫裡で戴くことができ(当時500円)、多くの観光客が食していたが、まだ第二期登山ブーム(中高年登山ブーム)さえ起ってなかった当時、ハイカーは私を含めて二人だけだった。
寺の南方の分岐から西方折れて行き、柳本商店街を抜けると柳本駅である。
フォトギャラリー:9枚
装備・携行品
シャツ | アンダーウェア | ダウン・化繊綿ウェア | ロングパンツ | 靴下 | レインウェア |
登山靴 | バックパック | 水筒・テルモス | グローブ | 地図 | コンパス |
ノート・筆記用具 | 腕時計 | カメラ |
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