行程・コース
天候
快晴
登山口へのアクセス
マイカー
この登山記録の行程
広河内出合(865m/6:30)稜線幕営2,835m(14:15/6:20)広河内岳(6:45)大籠岳(8:40)白河内岳(9:15)黒河内岳(10:45~11:05)白剝山(14:45)奈良田越(16:40/6:35)林道(8:00)別当代山(8:35)林道(8:45)転付峠(9:10~11:30)田代(13:40)新倉(14:40)
高低図
登山記録
行動記録・感想・メモ
奈良田バス停の先の町営温泉の下の駐車場に車を停め、テントを張って寝る。
テントの内側には発汗による水分が白く凍り付いており、三千m級の稜線の寒さが思いやられる。6時過ぎに駐車場を後にして、広河内の入口に車を停める。
ダム工事のための林道が沢の奥へ1km程伸びているが、奈良田から歩いて車を取りに帰る事になるので、出合から歩く事にする。上流の広河原の方へは南アルプス街道が通じているが、『17時から翌朝8時までの間は通行止』になっている。
舗装の上を暫く歩くと、右手の山裾に付けられた山道へ入る。吊橋を3つ渡って右岸の小古森沢で快晴の日溜りに腰を下ろして一本立てて今日の調子を慮り(7:30~50)、右岸の明るい落葉樹林を歩いて1,615mの標高点のある尾根を乗っ越し、緩いトラバース道の暖かい陽当たりで2本目を立てる(1,495m、9:00)。
Aは小柄な体に小さ目のザックにテントとポール、マットレスと賑やかに飾り立てた大きな荷を背負ってピッチ徒法(?)で順調に距離を稼ぎ、やがて川原へ降りる。右岸のガレの上に小屋が白い壁を見せ、川原を左岸沿いに一登りして右岸へ渡り、思ったより早く大門沢小屋に到着する。
小屋の戸は簡単に開くが小屋番は居ない。綺麗に片付けられた内部は簡素で、南アルプスの雰囲気を漂わせている。テント場はガレの縁に広がっており、ここに立つと紅葉の山裾の上に透明な初冬の空気を通して富士山が大きく姿を現わす。剣ヶ峰の最高峰を右肩にして左に少し傾いた形が、左右対称であるよりもいっそう目を惹き付ける。
小屋の上の針葉樹林の中を右岸沿いにどんどん登ると、1,800m付近から雪が薄く見られる。大門沢を離れて尾根に取付く所で水を確保する(2,040m、~11:25)。今日の炊事と明日の行動用に各自4ℓを担ぐとザックは20kg前後の重さとなり、そろそろ疲れだした体が敏感に反応する。
高度を上げると強風が吹いて間欠的に木々が騒めく。途中で一本立て(2,370m、12:15)、1時間ピッチでは辛くなる頃、標高2,660mの半円形に囲まれた盆地状の平坦地に登り着く。体調によっては、あるいは今日の幕営場にと考えていた地点で、ここで一休みする(13:25)。不思議な事に、今日は高度計と地形図の高度がピッタリと一致する。こんな事は初めてだが、気圧が安定しているのだろう。陽当りに居てもヤッケを着ないと寒い。
這松の斜面の上に見えている稜線までは標高差170mを残すのみで、「上まで登ろう」と衆議一決し、小憩の後、雪と霜柱がバリバリと氷った日陰の道を登り、石屑の積み重なった稜線の大門沢下降点に着く。冷たい風が吹いて疲れた体の動きは鈍いが、標高差2,000mを1日で登り切った喜びは大きく、互いに健闘を讃える。
暗くなる頃、食事を終えて微酔気分で山の話をしていると、下降点に設置してある『鐘』が鳴って若い男が1人大門沢からやって来る。「明日は北岳の方へ縦走する」と言う。寝入る頃には間合いの長い突風だったが、夜半には間断の無い風となり、頻繁に目が覚める。
起床4時、外は満天の星で雲1つ無く、甲府盆地が広大な明かりの海と化して広がっている。その意外な近さは、氷点下10度は下ったと思われる寒さにテントの中で心細く思わないでもなかった気持ちとは、上手く噛み合わない。
食事を終ってテントの撤収中に隣の若者が外に出て来ると、あっと言う間にテントを突風に攫われて空中数十mの高さに吹き上げられ、やがて東側の這松の斜面に飛ばされて見えなくなる。彼はテントを回収するために登山道を走り下って行くが、上手く見付け出す事が出来るだろうか。
ヤッケの上下を着け、予定より遅れて出発する。Bが先頭に立ち、Aが続く。鞍部からは稜線通しの道となり、西風が横から押して歩き難い。気温も低く、2人は目出帽子だが自分はスキー帽で耳を隠すのみなので、顔面の凍傷を心配する程だ。
広河内岳へは簡単に登り着く。バットレスのマッチ箱のコルをくっきりと見せて北岳が正三角形に聳え、手前の農鳥岳は北ア笠ヶ岳の様にもっこりとした特徴のある姿で目立つ。食事を取り写真を撮っていると10分の休憩時間を直ぐに超過してしまう。今日は奈良田越を過ぎて転付峠まで歩く予定で、上手くすると7時間位で行けるかも知れないと予想しているのだが、ルートが判り難いと何時間掛かるか予測が付かない。兎に角、60分歩いて10分休むペースで頑張ろうと思う。
広河内岳からは顕著な尾根が南南西に派生して池ノ沢の北へ伸びており、うっかりするとこの尾根に進みそうになるが、大籠岳への縦走路は左へ90度折れて東側の尾根を辿らなければならない。池ノ沢への下降路の踏跡が濃いので鞍部の高度より下り過ぎない事が肝心だ(大井川源流の岩魚釣りに下降する人が多い!)。
這松とガレの上の薄い踏跡を拾って下り、P2,772の先の鞍部で一本立てる(2,690m、8:05~25)。池ノ沢ノ池はまだ陽の当たらない暗い沢の底に微かな鈍色に認められる。夏に大井川で会った釣人の話から想像していたのよりは大きそうだ。
広河内岳から笹山までは岩層と這松の生えた起伏の少ない広い尾根が続いており、二重山稜があったり凹地が現われたりと、細かく見ると複雑な地形をしている。山頂から眺めた時は「大籠岳まで1時間も掛からないだろう」と思われたが、予想以上に時間を喰う。草原に格好のテント場が在ったりして嬉しいものの、広い稜線は何処でも歩けるので木が生えていない事と併せて踏跡はなかなかはっきりしない。視界の無い時にはしんどい思いをするに違いない。
広河内岳から先は風も弱くなり、「今日中に水場のある転付峠まで行けるだろうか」との心配さえ無ければ、南アの三千m級の山々と紅葉を眺めての豪華な稜線歩きを楽しむ事が出来る。お皿を逆様に伏せたような広くて平坦な白河内岳は、数個の岩とひねたカラマツが生えているだけの何とも控えめな山頂で、腰を下ろして食事を取ってのんびりしてヤッケを脱ぐ。
次の笹山(黒河内岳)へは先頭に立って歩き、最高点を通り過ぎて岳樺の間を登り返すと三角点ピークの広い砂原の頂上に着く。しかし、ここには在るべき三角点標石が見当らない(こんな経験は初めてだ)。この途中で、前夜は奈良田越に泊まったと言う単独者と会う。
笹山から先は樹林帯となる。奈良田越までは高度差700mの下り一方なので気分的に楽だし、尾根筋の踏跡は今までよりはっきりしているだろうと考え、75分歩いた事でもあるし、この山頂でゆっくりと食事をして後半のエネルギーを補給する。
頂上の疎らな植生の間を適当に下ると這松帯に行き当たり、「右寄りにある真南に向かう尾根にルートがある筈だ」と考えて見当を付けて進み、這松の間の踏跡から尾根の上へ上がる。針葉樹の背丈が大きくなり、次第に明瞭な踏跡となって続く。
1時間程歩いて「そろそろ一本立てようか」と思う頃、先頭を歩いていたBが落葉に足を捕られて転倒する。痛そうにしているが「稔挫だろう」と軽い気持ちで靴を脱ぐのを見守ると、靴下を脱いだ右足は足首から先がダラリと垂れてカクカクと不自然な動きをする。既に内出血しているのが明瞭で、骨折かと心配する。
「林の中ではヘリで吊り上げる事も出来ないし、かと言って1人で背負い下ろすのは難しい」等と種々思い巡らす。幸い、彼女が「歩く」と言うので内心安堵する。しかし、痛くて靴が履けず、思ったより悪そうだ。テーピングした上に靴下を履いてその上を手拭で固定し、シラビソの立木を切って丈夫な杖を作る。荷物は2人で分けて背負い、Aには先に奈良田越まで下ってライトを持って登り返して貰う事にする。
500mの標高差を下るのは酷かも知れないが、「足首を内側へ曲げなければ痛みは無い」と言うので、日没まで4時間程あるのを頼りに、何とか明るいうちに降りる事が出来るのを願って2人でそろりと歩き始める。前を歩いて肩を貸し障害物を除去しながら進むが、平坦な道では勿論ないので、ちょっとした弾みに激痛を覚えて踏ん張れずに無様に転倒する。見兼ねて手を貸そうにも、激痛が治まるまでは動かせず、そのままじっとしているしかない。
自分もザックが後方に引かれて重く予想外に堪えるが、彼女が「休もう」と言わないので自分から腰を下す訳にもいかない。緩い登りに感謝しながら白剥山に到着し、樹林の中の素朴な三角点を味わう余裕も無く荒い息を吐きながら一息入れる。ここまで標高差300mと1.8kmを通常の倍の時間で歩いて来ており、「残り250mだから、明るいうちに奈良田越に下れそうだ」と少し明るい気持ちになる。
白剥から下り始めて暫くすると、思い掛けず早い時間にAが登り返して来る。「途中に小屋が在ったのでそこに荷を置いて来た」と言う。踏跡は傾斜もあり落葉が積もって1人でも滑り易いので、Bを背負うのは無理と諦め、ザックをAに委ねて肩を貸す様にして2人で降りる。
作業小屋(2,060m)でザックを背負い、奈良田越を目指す。そこまで降りると、林道を二軒小屋へ下って救助を求める事が出来るので、「何とか頑張って下って欲しい」と願う。
本気か強がりか判らないが、「今日のうちに出来るだけ転付峠の方へ歩きたい。明日になると痛くて歩き難いだろうから」と言い、峠から新倉へ下山する気持ちの様だ。「暗くなっても、1人ででもテントを持って先へ進みたい」とも言う。
「もう、直ぐに暗くなるなあ」と思う頃、遂に奈良田越に降り立ち、ここにテントを張る事に決める。行動用の水が(3人合わせて)1ℓ強残っており、節約すれば今夕と明朝の炊事は出来るだろう。「飲料用にはリンゴ2個と蜜柑数個を充てよう」等と思い巡らし、放棄されたベニヤ板を利用して野外で慌ただしく夕食の支度をする。彼女は元気付けのコーヒーを美味しく飲んでおり、我々はウィスキーのお湯割りで心を軽くする。
夕暮れて星の素晴らしさに見惚れていると月が昇り、東面のシラビソ林の樹影が地と空の線を画して黒々と浮かび上がり、山中に3人在る事の実感と山との一体感を思って感傷的になる。
4時20分に起床する。外に出ると今日も見事な星空で、快晴に恵まれそうだ。コンロに点火してコッヘルを乗せ、力ラーメンを作る。豊富な枯草を集めて焚火を始めると以外と火持ちがして嬉しい。Aがテントから出て来て熱心に薪を集める。焚火の炎に周りの樹が仄かに浮かび上がり、身も心も次第に暖まってくる。
薪拾いの弾みに、Aがミネラルウォーターのボトルを発見して大いに喜び、飲料水の心配が減って食後のコーヒーを豪勢に楽しむ。
迷った様子だが、Bは「峠まで歩く」と言う。「酷使して症状を悪化させる心配があるから、車で、二軒小屋から静岡へ出た方が良いのではないか」と2人で勧めるが、峠まで歩く事によって我々の縦走を繋げたいと考えている節があって意志は固い様だ。
彼女は一足先に出発して杖を頼りにビッコを引きながら歩き、2人が後から追う。峠まで7km程で2時間のコースタイムだから、倍の4時間で着ければ新倉へ下る事も可能だろうが、「12時前までに着かなければ明るいうちに田代登山口まで下山するのは無理なので、諦めて二軒小屋に助けを求めよう」と決める。2人は間もなく追い付き、小川が1人で先行する。
途中で一本立てながら朝日の眩しい、静かな林道を急ぐ。お尻の真っ白な日本カモシカが目の前を横切って林の中へ消える。振り返ると白剥山から笹山へ続く尾根が朝日に輝き、手前の小さい瘤の斜面に落葉松の黄葉が鮮やかに浮かび上がっている。北岳が、再び、周囲とは異質な三角形の姿を現わす。
別当代山の真西の林道にザックを置いて標高点を目指して林の中に分け入る。暫く登ると古い踏跡が現われ、これを辿って思いの外長く緩い登りを急いで最高点に到着する。樹林の北面はガレており、眺望が得られる。
ザックを回収して転付峠まで歩き、「取り敢えず一段落」と大体止する。取って置きのリンゴを剥くが、傷んだ部分はまだ凍っている。倒木の丸太に腰を下ろして靴を脱ぎ、陽当たりを楽しんで食事をしていると足音がして、思い掛けずAが北の方へ向かおうとしている。
お互いに吃驚するが、別当代山へ登っている間に追い抜かれた様だ。下の水場で水を汲んで、食料と共にBの所へ向かう処である。「田代ヘ下るのは無理だ」と意見が一致し、彼女は二軒小屋に救助を頼みに下り(9:30)、自分は食料と水を持って引き返す。
「どの辺りまで来ているだろうか」等と考えながら林道を引返してBと出会い、「Aさんが救援を頼みに下った」と言うと素直に納得する。既に4時間近く歩いており、「相当の痛みと辛抱だろう」と想像する。道端に腰を下ろして食事を取りながら暫く雑談して過ごし、陽当りの草原に寝転んで救援の車を待つよう取り決め、「悪いけど、明日会社を休めないので、新倉へ下って奈良田へ引き返して車を回収して自宅へ帰る」と言って彼女と別れる。
転付峠に戻り、「順調に行けば11時過ぎには車が峠まで来るだろう」と、11時半まで待機して首尾を確認する事にする。峠への最後の登り付近からは内河内の上に富士の秀麗な姿が見え、写真を物にする。峠へ帰ると徳右衛門岳から来たと言う大学生風の5人が休んでいる。
時間になっても車は現われず、高い所に立ってじっと耳を澄ましてもエンジン音は聞こえて来ない。心が残るが、ザックに書置きを残して新倉へ向かう。
Bのテント一式他を下ろしたので気持ち軽くなったが、「膝を痛めない様に、不慮の怪我をしない様に」とセーブして下る。川原までは落葉松の黄葉を楽しみ、保利沢小屋では一息入れて両岸から迫った紅葉の谷間の空間に浮かぶ富士に見惚れる。
内河内の渓谷の岩魚の棲んで居そうな淵を覗きながら歩き、田代口に着いて暫しの間足を靴から解放してやる。大学生が7人に増えており、途中で滝の写真を撮っていた人も直ぐに一緒になる。
皆が出掛けてしまって1人になり、最後尾から嫌な舗装道路を焦らずに下る。途中の道路はコンクリート舗装の工事中で、車が進入出来ない様に大型機械で塞いである。Bがこちらへ下山しないで大正解だった訳だ。「彼女は車に乗っただろうか、自宅に連絡しただろうか」等と気掛かりだが、新倉には電話が見当たらない。



