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桜山(群馬県)と周辺の城跡

姥神社、金剛寺、来迎寺、枇杷屋城跡、貞和の板碑、桜山、文和の板碑、桜山公園、雲尾集落、尾之窪城跡、鬼石神社、渡瀬鬼石キリシタンの碑、おふろcafe白寿の湯( 関東)

パーティ: 1人 (目黒駅は品川区 さん )

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行程・コース

天候

晴れ

登山口へのアクセス

バス
その他: 往路:目黒→山手線→池袋→埼京線→赤羽→高崎線→新町→日本中央バス上野村行→鬼石相生町

復路:渡瀬本宿→朝日バス本庄駅南口行→丹荘→八高線→高麗川→八高線→拝島→青梅線→立川→南武線→武蔵小杉→東急目黒線→武蔵小山

この登山記録の行程

鬼石相生町バス停7:34→金剛寺7:54→姥神社7:59→来迎寺8:01→林道分岐(180m)8:12→金丸ルート・久々沢ルート登山口8:14→枇杷屋城跡(貞和の板碑)8:16→諏訪神社(235m)8:31→金丸ルート分岐(255m)8:36→携帯電話中継所(326m)8:44→林道(390m)8:59→桜山公園入口(500m)9:09→ロウバイ・福寿草9:14→桜山山頂(文和の板碑)9:30~35→桜山展望台9:40→第一駐車場(八塩ルート・鬼石ルート入口)9:45→雲尾集落(八塩ルート・鬼石ルート分岐)10:00→尾之窪城跡10:43→林道出口11:04→鬼石神社11:14→神流川徒渉10:38→渡瀬鬼石キリシタンの碑11:48→おふろcafe白寿の湯11:55~12:35→渡瀬本宿バス停12:40

合計4時間16分(温泉除く)

コース

総距離
約16.5km
累積標高差
上り約942m
下り約963m

高低図

GPX ダウンロード KML ダウンロード

登山記録

行動記録・感想・メモ

3月16日(土)は、冬桜で有名な群馬県藤岡市の「桜山」に登って来ました。ここ単なる桜の園地のような気がして、今まで登る気が起きなかったのですが、鬼石辺りから見上げると結構立派な山で、登ると意外と面白そうだったので、今回チャレンジしてみました。桜山は高さも標高差も高尾山とほぼ一緒で、道も良く、最寄のバス停から寄り道しながら登ってだいたい2時間ぐらいで山頂に着きます。真夏以外の冬桜の咲いていない時期に登ると、ほぼ貸し切り状態に出来るので宴会登山にお勧めです。

桜山にバスで行くには、新町駅から上野村行の日本中央バスに乗って、鬼石郵便局前の少し先の「鬼石相生町バス停」か「三杉町」で下車するのが近いです。久しぶりに乗る日本中央バスは可愛いミニバスになっていたので、当然Suicaが使えるものだと思っていたら使えなかったので都会の人は要注意です。ともかく現金で払って、今回は「鬼石相生町バス停」からスタート。この相生という地名はあちこちにあるのですが、二つのものが出会う地点(道や川など)に、つけられる名前だそうです。ここの場合、奧多野から来る十石街道と秩父から杉野峠を越えて来る道が合わさる場所ということだと思われます。

バス停から十石街道(国道462号)を越えて三波川を遡っていくと、まず最初に「金剛寺」と「姥神社」があります。「金剛寺」は。養老2年(718)に行基が開基となって開かれたという伝承が残る寺院で、その後天長3年(826)に弘法大師が教化の道場としたとのことで、現在は真言宗豊山派寺院となっています。山号の堅固山 常福院も真言宗になってからつけられたものだと思われます。本尊は地蔵菩薩となっています。山奥のわりに結構立派な寺で、奥まで行かなかったのですが、広い境内は紫陽花、もみじ、山つつじなどが植えられ、花の名所となっているとのことです。

金剛寺の下にある「姥神社」も、大同年間(806~10)の創建と伝わる古社です。祭神は石凝姥命となっています。石凝姥命は日本神話に登場する神で、天照大神の岩戸隠れの際に八咫鏡を作ったことで知られていますが、姥神社は名前から出産・子育て・子孫繁栄の神として信仰されてきたようです。南側にそびえる真下城の南側にも子宝神社というこの神社の分社があります。昔は祖母大明神と称していたものの、宝暦6年(1756)に神祇官領長上・卜部朝臣兼雄から宣旨を受け姥大明神と改称し、明治維新後に姥神社となったようです。

姥神社の先の「来迎寺」は真言宗智山派以外不明の無住の小さな寺ですが、道祖神の石碑がたくさんありました。

来迎寺の横に「金沢みかん園」「木村観光みかん園」という、奥武蔵の小林みかん山(風布みかん園)より北にあるみかん園があります。みかんは冬桜の時期に実るため、冬桜観光のついでにみかん狩りが出来て人気だそうです。

もう少し奥まで進み2つ目桜山入口と書かれた林道を右折します。曲がってすぐのところから金丸ルートと久々沢ルートの登山道が始まるのですが、反対側の細い林道を右側して「枇杷屋城跡」に向かいます。ここは三波川東小学校跡地になっており、校庭の南側の石垣の下に藤岡市の文化財になっている「貞和の板碑」が立っています。立っているという折れた小さな板碑が2~3置かれているだけです。「枇杷屋城跡」は築城者・年代不明の城跡ですが、川を隔てた反対側に真下城があるので、それに関係した城ではないかといわれています。北側の山上にある尾之窪城の出城とも考えられます。遺構は校舎の裏に土塁の跡に建てられたような稲荷神社かあり、南東側の尾根に腰郭のような平坦地が見られます。

先程の登山道分岐に戻り、桜山にとりつきます。林道を30~40m登ると民家があり、その奥に山の神のような「諏訪神社」があります。ここから完全な山道になります。神社からさらに少し登った場所が「金丸ルートと久々沢ルートの分岐」です。

金丸ルートは「桜山公園」しか書いていないので要注意ですが、このルートが電車・バスを使って歩いて登る場合の表登山道のようです。「金丸ルート」はしばらく急な登りが続きますが、携帯電話の電波塔が出てきたら平坦な道に変わります。そして林道を横切り、しばらくジクザグの急登を登ると桜山公園の園地の端に登りつきます。案内図では第二駐車場に着くみたいに書かれているのですが、駐車場は通りません。そのまま真っ直ぐ急坂を登って行けば山頂に着くのですが、左側の平坦な道に折れて、ろう梅と福寿草が植えられている場所に向かいます。山なのでろう梅がまだ咲いているのではないかと思って行ってみたのですが、ろう梅はほぼ終わりでした。福寿草は影も形もありませんでした。しかし河津桜が満開になっている場所があり、地面からは今年初の「タチツボスミレ」がたくさん花を咲かせていました。その後、車で来て一番下から登る場合のメインルートの奈良尾根ルートと合流し、最後の急坂を登ると「桜山山頂(591m)」着きます。寺や城跡に寄り道しながら登って、バス停から約2時間で到着しました。先客ゼロ、途中で会った人もゼロ、朝からずっと貸し切り状態です。

「桜山山頂」には「文和の板碑」という南北朝期の文和3年(1354)建立の大日如来の梵字が刻まれた藤岡市指定重要文化財の板碑と東屋があります。山頂周辺には冬桜の木が約7,000本植えられており、これが山名の由来となっているのですが、この桜は明治41年3月に三波川村長だった「飯塚志賀」氏が日露戦争の戦勝を記念して、国有地であった山林原野を買い取り約5ヘクタールを公園にし、埼玉県安行の植木屋より購入した1,000本の桜の苗と村内の各戸から持ち寄ったカエデ苗310本とを植樹したのが始まりだそうです。安行は今も植木の栽培が盛んですが、はるばるあそこから持って来たのですね。

山頂で5分ほど休憩した後、北側に下ると「桜山展望台」があり、その下に池がある庭園と桜山公園の管理棟(案内所)があります。池のある場所はご当地名産の三波石を使った池泉回遊式の日本庭園だそうです。ここに下る途中で、今日初めて別のハイカーに2組ほど会いました。車で上まで上がってきたようです。

管理棟の裏に第一駐車場があって、その横から「八塩ルート」と「鬼石ルート」が始まります。この2つの道は「雲尾集落」という天空の村で2つに分かれます。集落の手前で本日唯一まともに下から登ってきた他の登山者であるトレイルランナーの女性とすれ違いました。「雲尾集落」は廃村になっているんじゃないかと思っていたのですが、意外とまともに人が住んでいました。分岐の標識は縦走路として人気の八塩ルートはしっかりした物があるのですが、鬼石ルートは「市街地」としか書いてないので注意が必要です。今日は城跡に行かなくてならないので鬼石ルートを下ります。

「鬼石ルート」の最初は沢沿いの急なコンクリートの下り坂で、落葉や落ちた木の枝が滑るので注意が必要です。やがて広い林道に出るのですが、その道は行かず、隣の細いダートの林道に入ります。ダートでも林道なので、歩くのは楽ですがクネクネ曲がりくねっているので距離は長くなります。この林道の途中にあるのが「尾之窪城跡」なのですが、山ノ上の平坦地を生かして太陽光発電所のパネルの一面に敷き詰められていました。その裏の草原も重機が入っている感じで、土塁等が残っていたようなのですが、元の地形がわからなくなっています。この城跡は平安時代(天慶年間938-946)に平将門の乱の際に追討側の平貞盛が築いた砦」との伝承がのこってますが、さすがに古すぎてあまり信用できず、一般的には戦国時代の山城の跡と考えられているようです。築城者に関しては地元の旧家で土豪であった飯塚氏が上げられていますが、はっきりとした証拠はないようです。あと東側の山の上にも平坦な場所があって怪しいなと睨んでいたのですが、こちらも太陽光パネルが並べられていました。

林道に戻り小走りでどんどん下ると、どこかに292.5mの三角点がある、山上の牧場のような場所に出て、その下の集落の中に終点の、先日も行った「鬼石神社」があります。ここは本殿の下にある地中から生えた直径120cm、地上高90cmの「鬼石」をご神体とする神社です。石に関しては御荷鉾山の鬼に関する伝承が残っているのですが、古くから板碑の材料として重用され、鬼石に富をもたらしてきた三波川の三波石に感謝して祀られたものともいわれています。村社の上の郷社でした。

鬼石神社の階段を下れば今日の登山は終了です。多少時間があるのでこの前も行った「おふろcafe白寿の湯」で温泉に入って汗を流していきます。途中の「八塩温泉」でも日帰り温泉をやっいるらしいのですが、桜山のオフシーズンであまりに人が少ないのであてにはしません。

鬼石神社から国道462号(十石街道)を北に進みます。本当は八塩温泉郷の上にある「御倉御子神社」に寄る予定だったのですが、今日はいきなり5月の陽気で、あまりに暑くて喉も乾いて再度登る気力が失せたので、寄らずにいきます。ちなみに八塩ルートで下山していれば、もれなくこの神社に寄ることができました。

八潮温泉郷から神流川に下って歩行者専用の橋を渡ります。ところが昔一度渡ったことのある懐かしの橋が撤去されていて、影も形もありません。でも大回りして車道の橋を渡るのあまりに面倒だし、川の水量も少なかったので、靴を脱いで裸足で浅瀬を徒渉することにしました。特に問題もなく無事に渡りきれたのですが、気温は5月でも水温はまだ冬なので足が死にそうに冷たくて指の感覚がなくなりました。そのため川原でしばし休憩。

神流川の対岸に渡ってすぐのところにあるのが、「渡瀬鬼石キリシタンの碑」です。これは先日の伊勢崎市境島村のように明治維新以降に合法的に改宗したのではなく、江戸時代にこの辺りにいた隠れキリシタンに関するものです。明暦4年(1658)に編集された『契利斬督記』に「伊奈半左衛門御代官所。三波川村、渡瀬村、鬼名村、中カツ原村、コノ四ヶ所ヨリ、明暦二申年五月マデ、宗門一四、五人モ出デ申シ候」と記されています。近くの幾つか寺に隠れキリシタンの墓というのもあるようです。碑が建てられている場所は隠れキリシタンが処刑されたと場所だそうで、今は毎年5月に「渡瀬鬼石殉教者顕彰祭」がカトリック本庄・伊勢崎・高崎・藤岡・新町・富岡教会主催で行われています。

「おふろcafe白寿の湯」に到着しました。現在の料金は平日880円、土日980円、泉質は昔は入ると鉄錆がぶわっと浮かび上がるほど鉄分を多く含むナトリウム・塩化物強塩泉(高張性・中性低温泉)だったのですが、濃度が高すぎてポンプの故障が多いため、現在は井戸水による加水を若干行っているようで、割と普通の温泉になってしまいました。あとサウナも高濃度炭酸泉もありません。

白寿の湯で昼飯を食べてもよかったのですが、12時46分のバスに乗ると丹荘駅から八高線に乗り換えて帰ることができるので、急いで上がって「渡瀬本宿バス停」で朝日バスでに乗ります。いつもの下渡瀬朝日工業前バス停を使わなかったのは、来る途中、渡瀬本宿バス停の並びの電気屋で100円の自販機を見つけたためです。

「丹荘駅」は飯屋ゼロなので、八高線から青梅線に乗り換える拝島駅の立ち食いそば屋に行こうと思っていたら、何故か休業中で、次に乗り換える立川駅の南武線のホームの立ち食いそば屋も休みだったので、仕方なく、立川駅ナカの「焼SOBA osakaキッチン」で「チーズオムレツ焼きそば」を食べて帰りました。 時間帯のせいか珍しく空いていました。

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桜山

桜山

591m

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