行程・コース
この登山記録の行程
【1日目】
室堂ターミナル(07:30)・・・ミクリガ池・・・エンマ台・・・雷鳥平(08:10)・・・別山乗越[休憩 60分](10:15)・・・剱澤小屋・・・剣山荘[休憩 20分](12:15)・・・一服剱(13:00)・・・前剱[休憩 20分](13:50)・・・平蔵のコル・・・剱岳[休憩 30分](16:00)・・・平蔵のコル・・・前剱(18:15)・・・一服剱(19:15)・・・剣山荘(19:45)
【2日目】
剣山荘(06:35)・・・剱澤小屋[休憩 10分](07:00)・・・別山乗越・・・南峰[休憩 60分](09:20)・・・北峰・・・南峰・・・真砂岳・・・大走り分岐・・・富士ノ折立[休憩 30分](12:55)・・・大汝山[休憩 20分](13:40)・・・雄山神社[休憩 10分](14:20)・・・一ノ越(15:15)
【3日目】
一ノ越(06:05)・・・東一ノ越[休憩 10分](07:05)・・・黒部平駅(09:20)
高低図
標準タイム比較グラフ
登山記録
行動記録・感想・メモ
【回想/1日目】ほぼ定刻どおりにバスは室堂に到着した。早速降り立つと、澄み切った青空と心地よい涼風、そして朝日を浴びて眩しいばかりの立山の峰々が我々を暖かく迎えてくれた。労せずしてこの別天地・室堂に足を運べるのもバスやケーブルカーなどのおかげであり、先人たちの、まさに命を懸けた開発事業の結晶といえよう。ターミナルの中を抜けて一段高いところには名水玉殿湧水がある。空っぽのペットボトルにこの冷たい湧水を詰めてから、別山乗越へ向けて歩き始めた。立山は古くからの霊山だけあって、この山域全体が一つの世界を形成している。地獄谷や浄土山(極楽浄土)がそれである。バスターミナルのある室堂平はいわば人間道。そして我々が目指す剱への道のりは、果たして餓鬼の道か、それとも修羅場となるのだろうか。出発してほどなく目の前に広がるのはミクリガ池である。この池はまるで隕石が落ちたようなきれいな円形をしており、池のふちにはかなりの雪が溶けずに残っている。風もなく穏やかな水面には立山連峰が鏡のように映し出されていた。遊歩道は地獄谷とは反対の雷鳥荘側を進み、やや下りながら右に折れる。小さな登り下りを繰り返して雷鳥荘をやりすごし、大きく下って雷鳥沢キャンプ場の一画に出る。残雪に覆われた称名川の源頭部を渡ると、いよいよ本格的な登りにさしかかる。七月中旬の立山はまだまだ雪が多く、雷鳥沢の登りは照り返しの強い雪渓歩きとなった。残雪の白と澄み切った青空の絶妙なコントラストが我々の気分を一層高揚させる。この登りの先頭を行く山慣れしたオヤジは、足場を確保しながらも時折「クレバース!」と叫びながら歩を進めていた。小さなクレバスを発見したことを我々に知らせてくれているのだ。オヤジの指示のもと、小クレバスを迂回してなおも進む。雪渓歩きで恐いのはやはりクレバスである。はじめのうちは傾斜も緩く大したクレバスではなかったが、次第に傾斜が急になるとクレバスも大きくそして深いものに変貌していた。振り返ると室堂ターミナルの建物は小さくなり、明らかに高度を上げているのが理解できる。雪渓を登りつめ、登山道に合流したところでザックを置いて小休止。照りつける陽射しは射すように痛かったが、ここまで来ると立山の雄姿を間近に見上げられる何とも言えない幸福感に包まれていた。雷鳥坂を登りきったところが剱御前小舎つまり別山乗越である。少し早めだったがここで昼食を摂ることにした。バーナーに火をかけていると、林間学校なのか、ジャージを着た学生の一団がこの別山乗越に現れた。人数にして百名近く。中学生と高校生が交じっているようだった。中高一貫の女子校の生徒達なのだろうか。雪渓を登っているときから追われているのは気づいていたが、彼女達は先生の引率のもと、これから別山を往復するらしい。ひときわ賑やかな空間になったことは言うまでもない。別山乗越から望む剱岳は、高度感こそないが、まるで残雪という海の上に浮かんでいる軍艦のようである。その蒼黒い山体はまさに岩の塊、山男たちの征服欲を異様に掻き立てる、そんな危険な薫りのする山である。剣山荘へ向かう道はいきなり雪渓上の歩きとなる。先ほどの雪渓では軽アイゼン(チェーン)が効果的だったが、こちらの雪は陽射しの強いせいか、やや水っぽいシャーベット状になっており、一度装着したアイゼン(チェーン)をすぐに取り外す羽目になった。剱御前の山腹を進むこのコースからは、剱沢のキャンプ場を俯瞰できると同時に、歩くにつれて徐々に剱の姿が大きくなっていく。15年前に一度登っているにもかかわらず、「いったいこの山をどうやって登るのだろうか?」と疑問符をつけたくなるくらいの岩の塊である。その異様な山容には何とも不釣合いな青空が剱を穏やかな山であるかのように優しく浮かび上がらせている。風もない灼熱のやや下り気味の道を進んでいくと、やがて剣山荘の赤い屋根を遠くに見ることができる。歩くにつれて小屋は大きくなり、短い木橋を渡った先が剣山荘である。玄関前の休憩スペースから来し方を振り返ると、ずいぶん下ってきたことがわかる。昼食を摂った別山乗越はもはや見上げる位置になっていた。早速宿泊手続きをし、ザックを預け空身で剱岳を往復することとなった。小屋の兄ちゃんが「出発が遅いから、最悪ビバークも視野に入れて歩いて下さい。」との一言に、「それは少々大袈裟ではないのか。」というのが、この時点での皆の共通の認識であった。剱への登りの第一歩もやはり雪である。それでも徐々に急になるにつれ雪はなくなり、やがて岩のゴツゴツした登山道になる。大きなザックからディパックに替えたことで、重かった体は跳ぶように軽くなった。しかし真上から照り付ける陽射しは一向に衰える気配はなく、それを樹木などで避けることもできず、この後ジワリジワリと疲れた身体に効いてくることになる。一頻り登った小ピークが一服剱である。このピークに立つと、前方になんとも大きい気高い頂を見ることができる。だれもがこれを剱の本峰だと思うのだが、実は前剱なのだ。では、剱の本峰は?というと前剱の陰に隠れて見えないのである。剱を登る人はまずこの一服剱から見上げる前剱に度肝を抜かす。我々の目前に立ち塞がる頂がまだ前衛峰であるということに。樹林帯をやや下り、両側が切れた鞍部から一気に登りにさしかかる。本当に見上げる感覚だ。決して嘘ではない。一服剱にいた時は僅かに西よりの風で麓からガスがのぼってきたが、再び無風状態の灼熱の登りが始まった。この登りからは本格的な鎖場の登場となる。各所に取り付けられた鎖はいずれも錆の無い最新のものである。こういう岩山を背後に持つ山小屋は、こういった鎖一つにしてもその具合に対し、より細心の注意を払っているに違いない。鎖に不具合があれば即、人の生死を左右しかねない危険を常に孕んでいるわけだ。私の前を行く隊長が鎖に手をかけた。すかさずこちらはカメラを構える。今回は岩場を登攀する男達の生の姿を、少々危険を冒しながらも写真におさめることにしてみた。前剱の岩場を一歩ずつ登り詰めていくと、尾根上に出て周囲が明るく開けてくる。左手奥に剱の本峰がひときわ重量感のある山体をついに我々の前に現した。手前に残雪をたたえたその姿はまさに王者の風格である。前剱のピークは右手の尾根上の岩場を登りきったところにある。前剱の頂上は標高2813m。遮るものは何もない360度の眺望が広がる。但し、北面には圧倒されるほどの剱の本峰が大きく立ちはだかり、その先の山々を望むことはできない。時折平野側からちぎれ雲が上っては消え、また上っては消え、を繰り返していたが、そう長い時間剱に雲がまとわりつくことは無く、前剱の頂上を出ると再び灼熱の登り道となる。我々にとっての大きな誤算は、剣山荘から前剱までにかなりの時間を要したことである。途中からは暑さとの闘いであり、それは渇きとの闘いでもある。予想をはるかに超える水分補給を要し、各自の水筒の水が早くも心もとなくなっていた。しかしそれを嘲笑うかのように次々と現れる岩場の数々。足がすくんでしまうくらい両側が切れ落ちている崖っぷちの鉄製ハシゴを渡ると、いよいよ本格的な難所へ突入する。足を滑らせたら一貫のおしまいとなるこの鎖場でも隊長と常務が進む一部始終をカメラにおさめた。長い鎖場が一段落すると、少し下がったところに巨大な雪渓が我々に小休止を促してくれた。荷物を下ろし、早速雪の上に大の字になってみた。背中から後頭部にかけて広がるひんやり感。一時の納涼を楽しんだ。そして更なる難所へ挑む為いま一度心を奮い立たせて前進を開始した。剱の頂はまだ見上げるほど高く、我々をなかなか寄せ付けようとはしない。再び鎖場を登り切った所が平蔵の頭。今度は平蔵のコルまでの長い緊張感のある下りとなる。ここは登り用と下り用の二コースがあり、それぞれに鎖が付けられていたが、我々は誤って登り用の鎖で下ってしまった。コルまで下り、この難所を振り返り見ると、常務が巨大な岩壁にへばり付きながら下ってきている様子を窺えた。つくづく自分たちがすごい場所にいるのだと認識し、改めて気を引き締めた。次に現れたのが、登りの最大の難所であるカニのタテバイである。まず隊長がタテバイに挑んだ。どこまで続くのだと言わんばかりの鎖場をどんどん上へと登っていく。かつて15年前に登った時は確かここはハシゴだったと記憶しているが、今は全て鎖に変わっていた。隊長の姿が見えなくなってから私が、続いて常務がタテバイに食らいついた。タテバイを越えてもすぐにはゴールとはならない。更に岩場を進み、左上方に指導標らしきものが見えてくると、いよいよ山頂に近づいてきたことがわかった。やがて右手前方に祠が現れた。剱岳2999mの頂上である。周囲はやや雲が多くなってきて、立山方面や鹿島槍など後立山の峰々もすっかり隠れてしまっていたが、上空は晴れ渡り西日もいまだ強く、山頂でも暑さから解放されることはなかった。隊長と私が着いた時には誰もいなかったが、常務が到着する一足先に、早月尾根を登ってきたという、いかにも重そうなザックを背負った五人組がやってきた。彼らもよほどきつかったのか、山頂に着くなり座り込んでいた。隊長は熱射病の予兆か、あるいは高山病なのか、気分が良くないとのことで祠の裏側の日陰で暫時横になって休んでいた。もうこの時点で隊長は手持ちの水が無く、常務と私の水筒も残り僅かになっていた。常務が到着したところでお互いの労をねぎらいつつ握手をかわした。チンネ方面の通行止めの標識と、映画点の記でも知られる、象徴的な三角点を確認。休んでいた五人組の一人に記念撮影をお願いし、名残惜しみつつ剱岳山頂を後にした。これまでの道のりを今度はひたすら下り続けることになる。一方で、日が暮れるまでに剣山荘にたどり着かなければならないという逸る気持ちと、他方、難所の連続であるこの道を安全に下る為には必要以上に時間をかけるべきとの思いが頭の中で交錯する。しかし、どちらか一方を選択しなければならないとすれば、これは間違いなく後者だ。こういう時こそ焦りは禁物である。体も神経も疲れ切っている状況でも山を楽しめる、そんな心の余裕を持つことが肝要なのだ。下りの最大の難所・カニのヨコバイにさしかかった。隊長はすでに下り始めていて姿が見えない。常務の到着を待ってヨコバイを一気に下った。ヨコバイはタテバイより恐怖をおぼえる。それは体全体が外側に振られる場所が一箇所ある。しかもちょうどその辺りに都合の良い足場が無いのだ。慎重に足場を確保し、後向きに三点支持でゆっくりと下る。自分が下り終えると、後に続く常務の下りが気になり振り返る。常務もこの難所を臆することなく足元を確かめながら慎重に通過されていた。景色を眺めるゆとりもあまりない中ではあるが、別山とその稜線がくっきりと目前に広がってきた。その奥の立山三山はまだ白い夏雲に覆われている。登りの際に大の字に寝転んだ雪渓に出た。この時点で全員の水筒はすでに底をついており、常務と私は表面の汚れた雪を払い、奥の方にある純白の雪をペットボトルに詰め込んだ。目いっぱい詰め込んだつもりでも容積にすると大したことはなく、溶け始めると半分にも満たないくらいだ。それでも僅かに溶けた氷水で喉を潤すと、一瞬ではあるが生き返った心地がする。これだけ雪があることを知っていれば煉乳やかき氷のシロップを持ってきても面白かった。再び下り始める。山頂であれだけ気分のすぐれなかった隊長が下りではターボエンジンを積んでいるかのように速く、次の岩場にさしかかると姿を見失ってしまう。その一方で後ろの常務は一歩一歩着実に岩場を通過していたが、眼鏡を山荘に置いてきたせいもあり、その歩みはゆったりとしている。その中間を歩く自分が前後のバランスを考慮しつつ歩かなければならないのである。振り返ると、剱の本峰は西に傾きつつある夕日に照らされ、岩間の黒い陰との、陰陽の世界を造り出し、無言のうちに一日の終わりを告げているようにも見えた。いくつもの岩場を越え、前剱を右に巻く頃には、夕日が我々を、そして目前の別山を赤く染めていた。もう明らかに山全体が「陰」の世界へ転換する時を迎えていた。それは霊感(第六感)をお持ちの常務がこの下りで幾人もの「登山者」と対面していることからもわかる。剱は山ヤの征服欲を掻き立てる魅惑の山だけに、ここで命を落とした登山者も数知れない。日中の「陽」の世界には現れない彼らが、「陰」の世界に一変する頃、一斉に姿を現すのだろう。常務は少なくとも三人の「登山者」を目撃し、成仏を祈り合掌したという。フォッサマグナを境に東の魔の山が谷川だとすれば、西の魔の山はこの剱だろう。難なく下山していれば今も楽しい毎日を送っていたであろう「登山者」たちが常務の前に現れたのは、やはりこの世に対する未練の想いがあるからに違いない。この山には成仏できない魂がいくつも存在することを我々も肝に銘じなければならない。しかし我々はこの生と死が交錯する「陰」の世界から「陽」の世界に戻らなければならない。必ず下り切らなければならないのである。常務がそんな魂に追われながら暗闘を繰り広げていたなどとはつゆ知らず、隊長を追ってその差はどんどん付くばかりだったが、突然常務が「下る道がわからなくなった。」と私を呼ぶ声に、何か嫌な予感を覚え、すぐに登り返した。すでに足元が見づらくなるほど暗くなってきており、傍らで落日の一瞬をおさめようと三脚を立てている二人組から「このお父さん(常務)を真ん中にして歩かないと危険だよ。」との指摘を受け、私が最後尾を務めることになった。一服剱のピークを過ぎ、暫く下ると明かりの点る剣山荘が見えてきた。安堵感とともに喉の渇きが一層深刻なものとなる。隊長と常務はヘッドランプを取り出し、暗い足元を小屋へと急ぐ。しかし行けども行けども剣山荘は遠い。なぜこういう時は必要以上に道のりが長くて遠く感じるのだろうか。もう三人とも頭の中は生ビール一色である。小屋の手前の雪渓で常務が再びペットボトルに雪を詰め始めた。常務の指示で私も詰め込んだ。いったいこの雪をどうするのだろうか。剣山荘に到着したのは19時45分。月明かりと星空の下、常務のおごりで生ビールを乾杯。行程12時間超の後の忘れられない一杯となった。すぐに食事の準備にとりかかったが、ここで先ほど詰め込んだ雪が登場。カップに雪を詰め、そこに常務持参のウォッカが並々と注がれた。疲れた体にほんのり甘みのあるウォッカが効いたことはいうまでもない。お疲れの常務は食事を中途に早々お休みになり、女性スタッフの了解を得た上で、薄暗い中隊長と継続宴会を催していたが、小屋のオヤジから21時就寝を強要された為、郷に入れば郷に従えでやむなく撤収。夜半の渇きに備え水を枕元に用意し床についた。
【回想/2日目】我々が床を出る頃にはすでに周りは動き始めていた。朝食の準備にかかった。まずここで目に飛び込んでくるのは、雲海の向こうに光り輝く朝日と、天を突くような鹿島槍の秀麗な山容である。その左手の五竜も金色に輝いていた。毎度お馴染みの「うどん」をすすり、小屋のオヤジに礼を言い、二日目のスタートとなった。今日は剣沢キャンプ場を抜けて、直接別山直下まで登るコースを取ることになる。何と言っても本日最大のテーマは、途中参加の品さんときちんと合流することである。予定では我々よりまる一日遅いので、夜行高速バスが定刻通りに着いたとして室堂出発が七時半ごろ。それから別山乗越まで上がるにはかなりの時間を要するので、場合によっては我々とは逆コースをたどり、一ノ越山荘でザックを置き、空身で雄山、大汝山、富士の折立と順に越えて、合流したところで引き返すコースや、真砂岳へ直接大走りを上がるコースなどの代案を事前に留守番電話に入力しておいた。劔沢側は携帯の電波が届かないエリアなので、別山直下の稜線上で連絡をするしかない。いったいどこから現れるのかが今から楽しみである。今日も軽アイゼン(チェーン)を使うほどではないが、最初から雪渓の通過となる。徐々に歩を進め、ふと後ろを振り返り見ると、前剱の後方に競り上がるように剱の本峰がその姿を現した。昨日あれほど我々の前に立ちはだかった岩山も、今朝は天気と同様、どことなく穏やかに見えた。劔沢には登山者用の普通の山小屋のほかに、野営場管理所と少し離れて文部科学省の登山研修所の前進基地があり、ここ野営場管理所には急病人を救護するための施設も併設されている。そこのスタッフなのか研修所の人々なのだろうか、管理所の前で朝礼と体操をやっていた。いずれも屈強な男達に見えた。その先のキャンプ場を縦断し、いよいよ本格的な登りにさしかかる。雪も有ったり無かったりだが、滑る危険はない程度である。今日の行程は昨日と打って変わって、品さんとの合流を控えているので、あまり速く歩く必要はなかった。むしろスローペースくらいの方がちょうど良いかもしれない。小休止と称して剱を仰ぎながら常務のお話に耳を傾ける。キャンプ場のカラフルなテント群が、高山植物を思わせるくらい色とりどりの鮮やかな世界を創り出している。高度を上げるにつれてそのテント群が小さくなり、それと反比例して剱がどんどん大きくなっていった。更に剱の右側からは白馬や後立山連峰の山々が一斉に見えてきた。それでもやはり最もインパクトがあるのは、言わずもがな剱の力強い山体である。登り一辺倒の中、陽射しはあるものの、昨日とは違い心地よい涼風が吹いているため、我々の感じる疲労感は全然違う。見上げた別山が近づいたかと思いきや、いきなり前方が開け稜線上に出た。ここからは目前の立山はもちろんのこと、その奥には水晶や薬師が、青空の向こうにくっきりと残雪を湛えたその姿を確認することができる。すぐに品さんに連絡を取る。すぐにはつながらなかったが、ほどなく折り返しが来た。別山乗越手前まで来ているとのこと、何という健脚の持主なのだろうか。又すごいメンバーが我ら山岳会に加わったことになる。これで早期合流が確実となり、彼を別山山頂で待つことにした。別山山頂は、南峰と北峰に分かれており、標高は殆ど変わらないものの、剱を少しでも近くから見たいという欲望に背中を押されるためか、隊長と私は迷わず主稜線から五分ほど外れた北峰へと向かった。常務は品さん到着を南峰で待つこととなった。南峰からは遠く白山連峰が、いつにも増して鮮明なスカイラインを映し出している。北峰は我々の期待を裏切らなかった。別山も剱も剱沢側へ向かって急激に切れ落ちている為、言うなれば剱の頭の天辺から爪先まで全てを眺められるという形容が正しいかもしれない。そして明らかに南峰から見るより近くて大きい。南峰に戻ったが、まだ品さんは到着していなかった。目印となる祠の裏側(といっても品さんが来る方向から見ると表側)に陣取り、新メンバーの到着を今か今かと待ち続けた。携帯に連絡するも繋がらないところを見ると、必死の登りの最中に違いない。暫く時間を置いて一人の登山者が姿を現した。「あれは品さんに間違いない!」と瞬間的にわかった。顔までをはっきりと判別できる距離ではなかったが、どう見てもあれは品さんだった。こちらからの呼びかけに応じ、正式に合流。驚異的な登りが奇跡の合流を生んだと言ってよいだろう(続く)。






















































































