日本人のエベレスト登山を俯瞰。『日本人とエベレスト――植村直己から栗城史多まで』が梅棹忠夫賞受賞

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1970年のエベレスト日本人初登頂から半世紀。日本人のエベレスト登山史を俯瞰した『日本人とエベレスト――植村直己から栗城史多まで』(山と溪谷社)が、第12回「梅棹忠夫・山と探検文学賞」に選ばれた。

『日本人とエベレスト――植村直己から栗城史多まで』(山と溪谷社)

『日本人とエベレスト――植村直己から栗城史多まで』(山と溪谷社)

同賞は文化人類学のパイオニアである梅棹忠夫にちなみ、「探検と未知への探求」をテーマにしたノンフィクション作品に贈られる。今回の受賞作は5人の共同執筆によるもので、パイオニア精神、アルピニズムの追求、そして世界最高峰への憧憬を胸にエベレストに挑んだ日本人たちの熱を伝える一冊だ。選考委員会は「エベレストと、時々の時代情況との一筋縄ではいかない関係に目配りされた好著」と評価した。

マナスルの初登頂から14年後、日本山岳会隊の松浦輝夫、植村直己が日本人で初めて世界最高峰に登頂し、日本中がその成功に沸いた。以降、日本人はエベレストでさまざまな登山を展開した。三浦雄一郎のスキー滑降。田部井淳子の世界初女性登頂。加藤保男の三季登頂。山学同志会隊とイエティ同人隊による無酸素登頂——。本書は70〜90年代のパイオニアワークを追いながら、日本人が次々に塗り替えた七大陸最高峰の最年少登頂記録、エベレスト最高齢登頂記録についても考察。また、90年代以降の公募隊登山の隆盛と、エベレスト登山の大衆化の意味にも迫っている。

本書は過去の記録だけでなく、現代のエベレストにも迫っていく。自身の登山をインターネットで配信し、無謀と言われながら南西壁に挑んで滑落死した栗城史多。この異色の人物にもスポットを当て、ノーマルルートの大渋滞、ネパール人による商業登山の活発化など、現代のエベレストの状況も伝えている。もし、植村直己が存命だったら、今のエベレストを見て、なんと言うであろうか。50年という時間の長さと、登山の多様化にあらためて気づかされる一冊でもある。

公募隊で込み合うヒラリー・ステップ付近のエベレスト。背景はローツェ(村口徳行撮影)

公募隊で込み合うヒラリー・ステップ付近のエベレスト。背景はローツェ(村口徳行撮影)

執筆者の一人で編集を担当した神長幹雄(元『山と溪谷』編集長)は、「さまざまなパイオニアワークが行われてきたのがエベレスト。現代はそうした新しい挑戦が難しい時代になっているうえ、コロナ禍で登山自体ができない時期が続いた。しかし、日本人のエベレスト登山を振り返って、挑戦する精神と、多様性の大切さをあらためて感じた」と語る。さて、日本人の次なるエベレストの50年史は、どのようなものになるだろうか。(文中敬称略)

 

書籍概要

『日本人とエベレスト――植村直己から栗城史多まで』(山と溪谷社)

タイトル::『日本人とエベレスト――植村直己から栗城史多まで』
発行・編集:山と溪谷社
ページ:448P
価格:2,200円(本体2,000円+税10%)
内容
1章 日本人初登頂(1970年)
2章 女性初登頂(1975年)
3章 加藤保男の3シーズン登頂と死(1982年)
4章 無酸素初登頂(1983年)
5章 交差縦走(1988年)
6章 バリエーションからの登頂(1993年)
7章 公募隊の大量遭難(1996年)
8章 清掃登山(1999年~)
9章 最年少登頂と最高齢登頂(1999年~)
10章 日本人の公募隊(2004年~)
11章 「栗城劇場」の結末(2018年)
終章 今後のエベレスト登山
詳細URL:https://www.yamakei.co.jp/products/2821172100.html

 

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