訃報 穂高岳山荘二代目、今田英雄さんが他界

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文=山と溪谷オンライン

穂高岳山荘の二代目として山小屋の近代化に力を尽くした今田英雄さんが、12月21日午後、81歳で他界した。

今田さんは1967年、初代・今田重太郎から穂高岳山荘を継承。重太郎は子どもがおらず、学生時代から穂高岳山荘を手伝っていた親戚の英雄さんが養子となって後を継ぐことになった。英雄さんはすぐさま経営体制を会社組織にしたほか、ゴミだらけだった穂高連峰の美化活動、登山ブームを受けた山小屋の建て替えなど、矢継ぎ早に大きな事業に取り組んだ。

新しい発想で仕事を効率化するのが得意だった英雄さんは、登山者に空き缶拾いの協力を呼びかけ、空き缶10個で絵はがき1枚を提供したほか、ヘリコプターによる空き缶の荷下ろしの負担を軽減しようと、「空気の缶詰」を考案。きれいに洗った空き缶に山の写真を貼り、飲み口にシールを貼って、穂高岳の空気を持ち帰る土産物として売り出し、荷下ろしの負担軽減と売上増を実現した。また、風力や太陽光による発電など、自然エネルギーを利用した発電システム開発にもいち早く取り組み、燃料代などの費用負担を抑えながら、山の環境を守るエネルギーシステムを構築した。

穂高岳山荘は、救助隊員や山岳写真家、山岳ガイド、映像作家と、さまざまな人が集い、そして人を育てる場となった。英雄さんは2011年に一人娘の恵さんに山小屋の経営を託し、穂高岳山荘創業90周年となった2013年を最後に山を下りた。以後はウェブでの予約システムの構築や新型コロナ対策など、現代の登山者を受け入れるためのサービスを充実させる三代目の仕事ぶりを見守り、2023年の穂高岳山荘100周年を見届けた。

「うちの山荘の一番の財産は人材なんだ」(単行本『穂高に遊ぶ』より)。今田英雄さんが育てた穂高岳山荘のスタッフは、山荘の仕事だけでなく、穂高の登山道整備や人命救助に尽力し、穂高の山と登山者の安全を守り続けている/写真提供=今田 恵(穂高岳山荘社長)

今田英雄(いまだ・ひでお)

1942年生まれ。岐阜県吉城郡上宝村(現高山市)栃尾に生まれ育ち、中学時代から穂高岳山荘を手伝う。中央大学在学中に穂高岳山荘を受け継ぐことを決意し、大学卒業後、今田重太郎の養子となる。半世紀に及ぶ穂高岳山荘での仕事ぶりは『穂高に遊ぶ 穂高岳山荘二代目主人 今田英雄の経営哲学』(谷山宏典著/山と溪谷社・2023年6月刊行)に詳しい。

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